大洋ボート

にがい記憶

 高校2年のときである。私はその頃過激派の活動家だった。仲間は10人ほどいただろうか。何かきっかけがあれば「デモに行かないか」と人によく声をかけていた。大部分の人間は私の誘いには乗らなかったし、乗っても1回デモに参加したきりで、あとは相手にしないことが常だった。そんななかで私は1年後輩の知人を学内で発見した。同じ中学で私が2年のときに生徒会活動を一緒にした仲間だった。2年の後期のことだから、2学期のまんなかから3学期までの期間だったと思う。生徒会活動といってもクラブ活動のようには毎日はない。何かの行事や打ち合わせのたびに顔を合わせていた。記憶は曖昧だが、平均して週に一度くらいの顔合わせだっただろうか。3年になってからは私も彼も、生徒会とは無縁になったので、何か一緒になってする、ということはまったくなかった。

 その彼が同じ高校へ進学してきたのである。仲間になってくれるかもしれない、と私は思い、彼を喫茶店に誘って機関誌に書いてあるようなことを一方的に語った。そしてもう一度会おう、ということで彼もしぶしぶうなずいた様子でその場は別れたのである。だが1週間くらいのちに彼は電車に飛びこんで自殺してしまったのである。知ったのは新聞記事からで、関係者の話として三派系の先輩高校生からの誘いを苦にしていたことが原因ではないかとの指摘があった。先輩とは私のことにちがいなかったが、まったく信じられない思いだった。まさにあっけにとられた。

 そのときの私はどう考えたのか。原因をつくったのはたしかに私だったが、私には責任はない、という風に結論づけた。奇妙な言い方かもしれないが。私は彼の以前にも以後にも何十人という人(主に高校生)に声をかけてまわったのであるから、それを自殺に結びつけられて責任をとらされることには強い抵抗感があった。しかも彼と話し込んだのは一回きりだ。(記憶にまちがいがなければ)彼はあまりにも脆弱だったのだ。原因の根本はそこにあり、その見方は今も変わらない……。だがわりきれないものはずっと尾を引いている。ときどき彼のことを思い出すことがあるが、酒を飲んで感傷的になると「おれが殺してしまったのか?」との思いがつのることもある。だが素に戻るとやはり責任をとろうという気持ちには正直にはなれない。責任を背負おうとすることに私は私の内部に欺瞞を見てしまうのだ。客観的に見ても私には彼の自殺の責任はないとおもうのだが。

 今、悔やまれることがあるとすれば、彼の葬儀に出席しなかったことである。彼の遺族から非難されることを当時はおそれたからだろう。(彼の同級生に事情を聴きに行くこともしなかった)また、それ以前に哀悼ということの大事さを、当時の私はまったくわかっていなかったからでもあるだろう。私は彼を意識からとおざけた。隆盛だった学生運動の流れに乗り遅れまいとして、前へ前へと進んでいった。エネルギーに満ちた頃であり、立ち止まることをおそれたからである。つまりは私は、彼の問題以前に、若さなどということが理由にはなりえない、がさつで未成熟な人間であった。それはやはり今もにがい。



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