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カフカ『審判』(1)

審判 (カフカ小説全集)審判 (カフカ小説全集)
(2001/01)
フランツ カフカ

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  主人公ヨーゼフ・Kは30歳の誕生日を迎えた日の朝、突然「逮捕」される。これがこの長編小説のはじまりであり、Kはいきなり非日常的な時間のなかに投げこまれる。なにかしら地に足がつかないようなそわそわした感覚に以後ずっとつきまとわれる。逮捕の理由は何か、二人の執行者は何も知らない。ただ命令を受けてそのとおりに忠実に執り行うのだという。Kには怒りの感情がにわかにこみあげるよりももしかしたたちの悪い冗談ではないかと疑いたくもなる情況だ。しかもKのつとめる銀行の若い行員が三人も同行している。さらにふざけたことに二人の執行者は部屋を借りているKのために用意された朝食を無断で食べたり、賄賂を要求したり、隣室の女性の部屋に侵入したりする。三人の銀行員は調子に乗ってその女性の部屋の備品をあれこれかきまわして覗く始末。その反面、逮捕されたわりにはKは拘留されることなく普段どおりにその日も出勤を許可される。というよりも出勤を強要される。
  Kには逮捕される覚えはまるでない。少なくとも明らかな法律違反を犯した覚えはない。部屋の貸し主の女性は「高尚」な出来事と憶測するが、思想犯に類することが念頭にあるのだろうか。またKは銀行内のライバルにあたる頭取代理に誹られたのではないかとの疑念も抱かないではないが、作者カフカはそれらをうやむやにする。それよりも以後のKの冤罪を晴らすための孤軍奮闘ぶりとその挫折、無効性にこれでもかこれでもかという具合に精力的に肉付けをする。言いつのれば言いつのるほどにKに逮捕を命じた「高官」はとおざかる。最初からそれは不明でずっと不明のままだが、もがき苦しんで近づこうとするだけに「とおざかる」印象が尾を引く。だからKは孤独地獄につきおとされる。Kに同情を寄せる人はひとにぎりはいるが、大部分の裁判所の人々やそれに関係する人々にとっては、Kは仕事のうえで接するおおぜいのなかのひとりに過ぎず、日常の一コマとしてKをみるに過ぎない。Kが何を言おうと、どんなに奮闘しようと彼等は彼等の「上」からあたえられた職責にもとづいて淡々とKを遇する以上のことはしない。このちぐはぐぶり、のれんに腕押しとも例えられるような手応えのなさ、それでいながら一方では「逮捕」状態は依然として持続し、時間のいたずらな経過につれて確定判決はどんどん近づいてくる、真綿で首を絞められる。こういうKと周辺の人間関係をカフカはたいへんユーモラスにかつグロテスクに描きあげる。こちらは正しいことを主張するつもりなのに、まるで誰も彼もまともに相手にしない、対話が成立しない。とんちんかんと同時に絶望的な応えしか帰ってこない。だが他の誰に訴えればいいのか、誰もいない。もうこれは笑うしかない、しかし笑ってばかりいられずにむかついてくる。さらに生理的な不快感に苦しめられる。暗黒が口をひらく。
  私は読むにつれてKを断固応援する立場に自然になっていく。逃げるのではない。目の前に立ちはだかる暗部の中心に向かってどんどん言葉を発すればいいと思う。しかもたんに冤罪を晴らすためでなく、「俺はこういう人間なんだ!」という主張を、自己の根底に降りていってそこからふりしぼるように言葉を発することができたら、つまり洗いざらいぶちまけることができたら、しかもそれによって聞き手をひれ伏せさせることができたら、どんなに胸のすく思いがするだろうかと、ないものねだりのことを痛切に夢想するのだ。急迫してくる処分を前にしての限られた時間でのそれは生きるということ、根源的な言葉を発することがすなわち十全に生きることではないか。Kの口からはそれに値する言葉を読者はついに聞くことができずに終わるが、カフカはすくなくともその見えない輪郭は提示してくれている。その意志を受け継ごうとする欲求は、この小説を読めば強く湧いてくる。

  逮捕を宣告されてからのKの行動をもう少しこまかく見ていこう。Kは電話で裁判所への出頭命令を受けて出かけていくが、この裁判所なるものの光景がまるで奇妙きてれつだ。外見的に裁判所とひと目で見分けがつくような建物ではなく、それだけで独立した状態でもない。貧しい人の暮らす集合住宅の建物の中にあり、容易に見つけられずにうろうろしていると、そこで住む女性「洗濯女」がKを見つけて案内する。女性はKが逮捕されて呼び出された人であることをすでに知っている。夫とともに裁判所に職を得ているからで、やや広い部屋が裁判所にあたる。人数は明記されていないが、勝手に想像するに五〇人から百人くらいの人がところ狭しと並んで「低い壇」に向かっている。またバルコニーが部屋の上部に囲むようにしつらえられてあって、そこにも人々が低い天井に頭をぶつけそうにして窮屈にひしめきあっている。どうやら全員がKの裁判を知っていて待機している。Kは「予審判事」のいる低い壇にすすんで尋問を受けようとする。だがこの予審判事、うす汚い冊子に眼をとおしながらKを「ペンキ屋」と呼んでしまう。カフカは裁判官のずさんさをこの一言で示し、Kを怒らせる。Kはおおぜいの陪審員?に向かって「不当逮捕」と「公の不正」を堂々と弁明する。また逮捕当日の執行者の乱暴ぶりを暴露する。陪審員であるらしい聴衆はKからみて右と左に整然と別れていてそれぞれKの弁明にちがった反応をするが、どちらがKに同情的で他方がその反対なのか、Kにははっきりとはわからない。押し黙ったり笑ったり、ときには共感の拍手をしたりする。だがKの言葉は聴衆の共感をつかむまでにはほどとおい。結局Kはこの裁判もまた公正無私でなく逮捕を追認するだけの形骸化された日程にしかすぎない、陪審員も高位の人のいいなりだと断定して、判事の尋問を拒絶して憤然とその場を去るのである。
カフカはこれほどのおおぜいのおそらくは貧しい人が裁判所に寄食していること、しかもなんら主体的な判断をもたずに羊のように「上」からの命令に従順なこと、そのうす気味悪さ、酸鼻を描きたかったのだろう。陪審員はKの抵抗をまるで動物園の珍獣のように物珍しげに見るのだろう。途中退席はKにとって忍耐の限度を超えたからだが、その馬鹿馬鹿しさとあきれ果てた気持ちはよくわかるが、しかし反面「裁判所」の心証をはなはだ悪くしたであろうこともあとから予測できる構成になっている。
  カフカは裁判所、つまり国家の支配と監視が毛細血管のように民衆のすみずみまで浸透しているさまを描く。人々は自分が生きながらえるために無抵抗で従順でたいへん慎重で、しかもそれは目に見える規則によってではあるが、それに加えて長年つちかわれた直感や空気を読むことによっている。あたりに気を配りながらこの辺が妥当なところだろうかと、裁判所がふりまく独特の空気を嗅ぎ分ける臭覚がはたらくのか、もしくは個人的判断はいっさいさしはさまずに群れとして同じ行動をとることが大部分である。ヨーゼフ・Kは逮捕されて始めてそういう世界と人々を知る、しかも一挙にではなく少しずつ信じられない思いで理解させられるので、最初はあまりにも馬鹿馬鹿しい思いがする。自分は何らやましいところはなく「無罪」に決まっていると、正直に主張することしか思いつかない。正直であることが彼が今まで培ってきた常識でありまた正しさであり、主張はやがては認められるだろうとの確信がある。そういう彼を「ペンキ屋」と誤認した予審判事に怒りを覚えるのも当然のことだ。彼は「洗濯女」に向かって自分は裁判官に賄賂を贈るつもりはないと昂然と言い放つ。彼女の二人しての逃亡の願いにも耳を貸さない。また虚偽の「自白」をして裁判官の心証をよくしてはとのレニという女性の勧めにも応じない。しかしながらぶ厚い裁判制度の壁にぶちあたってKの常識と確信はしだいにくずれていく。孤立無援の蟻地獄に呑まれていく。と同時にカフカはKの目をとおしてあるいは客観描写として裁判所にぶらさがって生きる人々への同情も惜しまない。人の生とはなんとみすぼらしくかつ猥雑なものか、がんじがらめのものか、疲れさせるものか。人の群れのなかにいて人いきれにむせかえるとは不自由以外の何物でもない。だがそれ以上ではない。カフカはあるいはKはそういう人々に同情とある部分では共感を覚えつつも、ついに肯定することはない。馴染むことのできない世界である。

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あらすじ  ある日、ヨーゼフ・Kは役人に逮捕されてしまう。理由も役人に聞いても解らない。それどころか上級裁判所での本当の審理はまだ始まっていないらしい。しかし、上級裁判 ... 2011.07.27 18:26
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