大洋ボート

原発問題

  専門知識がないと理解できないことがある。今でこそ、くどいくらいの報道で概要らしきことがぼんやりとはわかってきたのではあるが、今回の大事故があるまでは原子力発電所のことなどまともに考えようともしなかった。そして運転開始から約50年経過して無事に来れたあいだはそれでもよかったのである。思考のうえで怠慢だったのか、かならずしもそうは思わない。どこか科学技術にたいする楽観的な見方が無意識に多くの人に、そして私にもあった。もっと根本をただすと「未来」や人間というものへの無前提な信仰があった。人間は勤勉であれば必ず報われる、個人の次元でも、科学技術の開発と運用の部門でも、不可能を少しずつ可能にしていくことができる、そういう思い込みが私たちを漠然と支配していたのではなかったか。いくらでも突っこむことはできるが、時代的な気分であって、それを今さら出発点に立ち返ってひっくり返すことなどできない。逆に言うと「想定外」の規模の災害を理屈のうえでは認めつつも、その現実上の到来を私たちは想像しようとはしなかった。真面目に想像することに大儀を覚えた。ましてや「想定外」の災害に原発が耐えられや否やというような問題にたいしては、私が素人であることもあって思考の埒外に置き去りにしていたのである。
  人は思考する代わりに経験にもとづいて結論を出すことがあり、それは多くの場合まちがってはいない。たとえば60年以上この国に戦争がないからこれからもおそらくないであろうと予想することは自然であり、十中八九正しい答えであろうと思われる。外国にたいしては留保をつけても日本政府がみずからそんなことはやらかしはしないだろうとの信頼は多くの国民がもつところだろう。そしてその問題と今回の災害とをつきあわせれば、日本はながい平和の時代がつづいたので、そういう経験と、災害や科学技術の脆弱性の問題とを無意識に同一視してきたのではないか。またそれは怠慢というよりも時代の大きな流れに慣らされたやむをえない姿勢ではないかと思うところだ。
  だがこれからはそうはいかない。想定外の災害はいつかは必ず訪れる。日本に来なくても世界の何処かに襲来する。世界中に原発があり深刻な被害をこうむる可能性が高い。既存の原発は補修工事を、建設予定の原発は設計変更を余儀なくされるであろうが、それをも上回るのが「想定外」の災害の威力である。また、たとえ、そういうときが実際に訪れなくとも、もはやそういうことを考えざるをえなくなってしまった以上、科学技術にたいする信頼もきわめて限定的なものに落ちてしまったし、人間の「未来」への無前提な信仰も喪われてしまった。今回無事だった私のような人間の思考世界も楽観主義的な色合いはうすまらざるをえない。頭部に痛みのない切り傷を負ってしまったような世界観を一変させるに充分に足る今回の大震災と原発事故である。
  原発事故の収束にはまだまだながい時間を要するだろう。たたかいはつづく。
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