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アリステア・マクラウド「灰色の輝ける贈り物」

灰色の輝ける贈り物 (新潮クレスト・ブックス)灰色の輝ける贈り物 (新潮クレスト・ブックス)
(2002/11)
アリステア マクラウド

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  短編集全体の題名にもなった「灰色の輝ける贈り物」は集中もっとも緊迫感ある文体でつづられている。子だくさんで貧しいらしい一家の長男の少年がふとしたはずみで大人の世界に一歩足を踏み入れる。慣れてしまえば何でもない世界なのだろうが、少年にとってはその時期に実感するであろう特有の興奮と不安が巧みに切りとられている。親との関係も変化する。それまで「いい子」であった少年が突然そうではなくなったから親をはじめとして大人は少年に心配と好奇の目を向ける。少年のほうでも、大人の反応にたいして考えを新たにせざるをえなくなる。
  ジェシーは学校の帰りに酒場の表に立ち寄ることが習慣になった。そこは二十一歳以下は立ち入り禁止の店であるが、外から覗くことができるビリヤードに興味をもってしまったのだ。やがて意を決して店内に入ることになるが、だれも咎めない。そこで客が来ないときには小銭を入れてビリヤードの練習をすることをくりかえして、腕をめきめき上達させる。客同士が競技するときには見物というスケジュールである。そうした日々のなかで彼は相手のいなくなった客に呼び止められて参加することになる。ポケットマネーでできるようだが賭博である。ジェシーは勝ちつづける。門限の十二時になっても止めることができない。自分でも体験したことのない興奮と不安と堕落に見舞われていることを実感するが、坂を転げるように競技から身を抜け出すことができない。父の友人コーデルとも偶然対面し競技するが勝つ。たぶん告げ口はしないだろうとたかをくくるからだ。それにその酒場は規模がやや大きく、少人数の歌と演奏のライヴがある。また長いカウンターがあってその上ではゴーゴーダンサーが踊る。夜の更けると酔いのまわった男たちはだらけてきて、子供には見せない顔をさらす。そういう少年にとっての大人の狂態や音響がつまり酒場という場所が、ビリヤードにくわえて、少年ジェシーを異様な感覚でつつみこむ。誘惑と嫌悪が混じり合うのだ。少年時をふりかえればさもありなんとだれでもが頷けるところだろう。それにマクラウドが巧いとわたしが思ったのは、それらにくわえて匂いについて描きだしたところだ。異様さは臭覚をもさいなむ。

  この酒場のすべてのもの、すべての人間の上に匂いがたちこめ、その匂いは、出口のない巨大なテントの天井のように圧迫していた。汗をたっぷり吸いこんだまま乾いた、めったに洗わない作業着の匂い、こぼれたビールの匂い、それを拭いたモップのすえたような匂い、湿って腐りかけた床下の木の匂い、そして男子トイレの自在ドアからたえまなく漂ってくる強い臭気。それは、排泄された尿や強力な消毒剤や、便器のなかに捨てられたタバコの葉っぱや紙の発する悪臭だった。便器の上の壁には、ぞんさいな字で書かれた表示が出ていた。「この便器は灰皿ではありません。当店のトイレにタバコの吸い殻を捨てないでください。われわれはお宅の灰皿に小便はしません。ここにタバコを捨てるな」
  そうしたものすべてが彼の五感に襲いかかるにつれて、なにもかも俺の人生を狂わせている、まだ十八歳なのに、人生のすべてが台無しになったと思った。そして家に帰りたいと思った。(p73)

  ジェシーが匂いの逐一について理解するのだろうか、わからないが、マクラウドが彼自身のそういう記憶を分析しているのかもしれない。「混合臭」や出所の複数ある匂いがジェシーのなかで一緒くたになって圧迫するのだ。よくわかる気がする。だがジェシーはここに書き出されたようには「家に帰りたい」とは思わない逆の気持ちも強くはたらくにちがいない、屈服しまいとするように私には読める。夢魔が作用したとしてもだ。そしてついに彼は十二時よりもかなり遅く店を出た後、コーヒーショップで夜の明けるのを待って帰宅する。ときには暴力的になる父からどんな叱責を受けるかこわかったが、彼はビリヤードで勝った金三十一ドルを家族に渡して許してもらおうと考える。家族が貧しいことを彼は知っているので、資することは悪くはないと思うからだ。切羽詰まってもいる。だが思いどおりには行かない。ここから第二、第三の物語がはじまる。彼はビリヤードを酒場でやっていたことを正直に告げて金をさしだすが、父母はつとめて冷静にジェシーに接して、朝ご飯を食べる前に金を返してこいと、厳格さをこめて命じる。十八歳で賭博に手を染めたことへの親としての当然の反応だろう。ジェシーにとってはにわかには納得しがたく抗議するが親の壁は厚い。彼は「怒りと無念さと絶望感」で泣くのだが、親の言いつけどおり行動する以外にない。だが競技の相手は複数であり、知らない人もいる。そこで相手の一人であったコーデル氏に金を返却しようとする。これが第三の物語だ。
  コーデルは金を受け取らない。ジェシーの金を返そうとした意志を十分尊重したうえで、また父に事実どおりに話すことをすすめたうえで。このコーデルの態度は大人としてごく当然だろう。後日コーデルとジェシーの両親とが話し合うことをにおわせて短編は終わる。金やビリヤードをめぐってはジェシーと両親との間でさらに話し合われることだろう。金の行方はどうなるかわからない。だがここでとりあえずは結着がついてジェシーはようやく安心する。
  少年にとっての金にまつわる虫のいい考えは両親によって拒絶され、その両親の言いつけどおりにとった行動はさらにその当人のコーデルによって否定された。ここで少年はとうてい考えの及ばない大人の言動にふれて途方に暮れている。うろうろさせられる。酒場に行ったこともふくめて、考えをどうまとめればよいのかにわかにわからない。だがそれだけではなく、父と友人コーデル氏とのあたたかいつながりにもふれてそのなかに包まれる思いももつのだ。そしてマクラウドは後者にどうやら重点を置いている。少年の目をつうじて大人の連帯のやさしいさまを描くことを忘れない。素晴らしい短編でありながらも、またその判断を動かす気もさらさらないが、ここは私としては個人的見方ながら、不満がなくはない。つまり子と親、とりわけ父との対立をもう少し拡大してもらえればさらによかったのではないかと思うからだ。少年のもつ嗜好や夢はしばしば父と対立し、尖鋭化することも少なくないので、少年ジェシーは自分の思いにもっと依怙地になっても不思議ではなかった。金のことはともかくもビリヤードの賭への参加を出来心以上のものにする書き方もあった。すると大人の壁はもっと厚く頑固になるので、親子の対立のさまも、少年の絶望のさまもちがった形相を見せたにちがいない。もっともマクラウドという作家は、反抗よりも、親やさらにそのうえの世代の苛酷な生活ぶりに尊敬をはらうことを主眼とする人だから、ないものねだりではあるが。
  とは言え、少年の目に映った酒場の光景はよく描きこまれて記憶に残る。

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