大洋ボート

アリステア・マクラウド「船」「広大な闇」

灰色の輝ける贈り物 (新潮クレスト・ブックス)灰色の輝ける贈り物 (新潮クレスト・ブックス)
(2002/11)
アリステア マクラウド

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  アリステア・マクラウド(1936~)の短編集『灰色の輝ける贈り物』からいくつか撰んで感想を書いてみたい。「訳者あとがき」によるとマクラウドは生まれは別の地だが、子供の頃カナダ東部のケープ・ブレトン島で過ごしたそうだ。同島は東は大西洋、西はセント・ローレンス湾に面する自然豊かな島で、漁業を生業とする人が多い。また現在はどうか不明だが、マクラウドの子供時代には炭鉱業も盛んだったようだ。後年彼は教師となって島を離れるが、その地での生活は彼に忘れがたい思い出を刻んだと思われる。漁師や炭坑夫はときには死をもともなう危険で苛酷な肉体労働だが、マクラウドは父祖代々受け継がれてきたそういう島の人々の暮らしぶりを誇りにしている。いうにいわれぬ愛着が読むにつれてにじみだしてくる。直接的には親や祖父母にたいする愛惜の念であるが、遙か昔にイギリスから移民してきた人々へもそれは向けられる。島の人々はゲール語という古語による歌を代々にわたって大事にし伝承してきたが、マクラウドもまたそれを大事にする。民族というと大げさになるが、現在の自分とそういう先祖とをつなぐ人々の歴史が意識されるのだ。マクラウドにも「都会人の孤独」はあるのかもしれないが、そういうものを彼は直接には描かず、混迷をただす拠り所として書いたようなケープ・ブレトン島の人々や自分の体験したことを描く。哀感や感傷はあるが、そこに流されずに島の人々への思いをつうじて人生への力強い肯定符が打たれるのを読者は体感できる。

  冒頭の「船」(1968)は処女作かもしれないが、はやくもマクラウドのそうした特長が出ている。都会で学校教師をしている主人公が故郷の島ケープ・ブレトンに休暇で帰ってきて、亡き父を偲ぶ。ものごころついたときからはじまって、やがて青年期になると父の近海漁業用の小さな船にいっしょに乗って仕事を手伝うようになるが、この父の人物像が私には好もしい。彼は読書家であり都会文化にあこがれをもっていて、彼の部屋には本やら雑誌やらが乱雑に積まれてあるというものだ。漁師という職業にうちこむだけでは飽き足らないのだ。そんな父に子供たちはなつき決まって影響を受ける。主人公は末っ子で何人かの姉がいるが、全員が島に生涯を埋めることに抵抗感をもち、都会にあこがれる。結局は姉たちはすべて都会の男と結婚して島を後にし、主人公も島の外に職を得るのだが、そういう過程において子供にとって父は理解者でありかつちょっとした情報源でもあるようだ。母が逆に保守的で島の生活に誇りをもっていて、子供たちにきびしくあたるので避難所の役割も父は果たす。母は生来的に生活に直結しない趣味や遊びには嫌悪感をもつ人で、父の読書が子供に「悪影響」をあたえたと見て父や読書に憎しみさえ抱く。漁の仕掛けの準備や家畜の世話、縫い物などに全ての時間をついやして暮らす母。楽ではないようだが、そういう生活を彼女は自負するのだ。
  主人公はなつかしがる。父母の対立が深刻になった一瞬を目撃してしまうこともあるが、生活の流れのなかでは大事であっても書き方としては控えめだ。主人公は父を中心とした島の生活全体をふりかえることに心地よさを感じているので、そこで深入りはしない。僻地の子供が都会にあこがれるのはありふれているのかもしれないが、逆に都会の人は僻地に好奇の目を注ぐ。つまり島にも観光地化の波が訪れるのだが、マクラウドはこの部分を主人公の目をつうじて好ましく、少しユーモラスに描く。父にとってはその時代の推移はやはり好ましくかつ照れくささもともなうようであった。父は観光客と交流する。漁船に搭乗させたり、彼等の「キャビン」に招待されてゲール語の歌を披露したりで、いくらかの収入にはなったのかもしれないが、満足感はそれ以上だったのだろう。父は観光客に「ヘミングウェイ」と愛称をつけられる。以下は彼等が撮った父のスナップ写真を主人公が見た描写。

父は堂々として見えたが、同時に写真の背景にそぐわないようにも見えた。かさばった漁師の衣服は、緑と白の芝生用の椅子には大きすぎたし、ゴム長靴は、きれいに刈りこまれた芝生をはがしてしまいそうに見え、日焼けした顔にビーチパラソルは似合わなかった。長い時間歌っていたので、春には風にさらされ夏には海の照り返しを受けてカサカサに荒れていた唇は、ところどころに切れ目ができ、口の端や白い歯に点々と血がついていた。手首を保護するためにはめている真鍮の鎖の腕輪が異常に大きく見え、幅広の革のベルトはゆるめられていた。厚ぼったいシャツと下着は襟元で開かれ、あごから首にかけて生えた無精ひげの延長に、茂るにまかせた荒れ野のような白い胸毛がのぞいていた。青い目はまっすぐカメラを見すえ、髪の色は左の肩越しに浮かぶ二つの小さな雲より白かった。後ろには海があり、限りなく青い水面がはるか彼方まで広がり、青い空のアーチに接していた。(p19~20)


  漁師服姿は芝生やビーチパラソルにいかにも似合わない。だがちぐはぐなだけではない。何も書かれてはいないが、たぶん父は観光客との交流のひとコマで満足して微笑を浮かべているのではないかとわたしは思う。それになによりも主人公が父をなつかしみ同情する気持ちがこめられている。「唇の血」について指摘したところだ。別のところでは「塩水やけ」について書かれていて、皮膚の弱い父は唇が切れたり皮膚が水ぶくれしたりで年中悩まされていたという。こういうことは身内や長いあいだ寄り添った人でないとわからない。また丹念さを心がけても島の生活を知らないと書けない。それに髪や胸毛の「白さ」の描写。老いよりも風雪に耐えてきた頼もしさが感じられるではないか。勿論それは主人公の父への畏敬の念である。それに作者マクラウドが愛惜してやまない海と空。ケープ・ブレトン島とそこでの人々の生活と時代の推移とが、十何行かに全体像としてちりばめられた見事な文章ではないかと思う。
  主人公はやがて成長するにつれて、父は本来は別の仕事に就きたかったのではないかとの推察にいたる。他の漁師と比べてそれほど漁が好きではないとみえるからで、また読書好きの面は彼の文化的な仕事へのあこがれを連想させた。父が大学進学をあきらめたことや、四十歳を過ぎてから結婚したことなどをうちあけられる機会があったからでもある。父における心の葛藤を主人公はしのぶ。むしろそのことを知ってからのほうが、主人公の父への愛情はよりつのっていく。「自分本位の夢や好きなことを一生追いつづける人生よりも、ほんとうはしたくないことをして過ごす人生のほうが、はるかに勇敢だと思った。」と。そんな父もロブスター漁を終えて時化の海を帰港する際に遭難死してしまう。主人公もいっしょに乗った漁船から転落して。このように亡き父に対する思いでつらぬかれた短編「船」だが、母へのいたわりも忘れない。伴侶を亡くし子供にも去られて一人暮らしの身になってしまったから。

 「広大な闇」の主人公は十八歳の少年で、それまで父の炭坑夫の仕事をケープ・ブレトン島で手伝っていた彼が自由の身になりたくて島を出ていくという話。炭坑での仕事ぶりが、こまごまと書かれてこれが後半になって効いてくる。主人公が父母をはじめとする島の人々の生活を自分の子供時代をもあわせて回想し、さらにそれを自分の現在に濃密につなげていくという形式は「船」と共通する。もっともこちらは十八歳だから直前の過去もふくむ。
  父は長年の炭坑での仕事の間事故によって右手の中指と人差し指が欠けている。炭塵を吸ったせいなのか咳き込むこともある。また仕事によるストレスのためか、酔っぱらって家族に暴力をふるうこともある。そんな父だが主人公は忌み嫌っているのではなく、酔ったときの父を介抱してベッドまで運ぶこともする。炭坑の仕事に凛々しさを感じるからである。「一度始めたら、つかまるぞ。一度地下の水を飲んだら、もっと飲みたくなって始終戻ってくるようになる。その水がおまえの血のなかに入るんだ。わしら、みんなの血に入っている。」(p43)祖父のセリフで彼もまた炭坑夫だったからで、仕事にたいする言い慣れた愛着の言葉で孫の主人公に穴掘りをしきりに勧める。それを理解しえない主人公ではないが、やはり若い人の例に漏れず僻地の島から脱出して都会へ出て行きたいのだ。そんな彼を父母は引き止めたがるが、強制はできない。彼の希望にまかせるしかない。別れの挨拶を祖父母にそそくさと告げてヒッチハイクでつないで島からとおざかる主人公。その車中で思い出すのは島以外の鉱山で落盤事故があったときの子供時代の記憶だ。義援金に供するために小さな姉妹は小遣いの小銭をとりあげられた。また父は救出作業のため慌ただしく家を後にした。何代目かの車に同乗させてもって休憩で停車した町の名が「スプリングヒル」まさに落盤事故があったところで、父が帰宅してから遺体の惨状について母にひそひそと語っていた記憶とぴったり符合する。
  回心といえば大げさだが、それにちかいことがそのとき主人公のなかで起きる。彼は「赤い大型車」の運転手ににわかに違和感を覚える。自由で孤独な運転手の身分にほのかに共感を抱いていたらしいことが一転する。運転手が娼婦を買うために立ち寄ったからだ。それだけでなく自分がこれから「自由」になるという見通しにも、あまりにも「単純化」して考えてしまった結果ではないかと自省するのだ。「自由」とは羽のように軽いものなのか。男が娼婦を買うように、だれもが人々と束の間交わり合いながら自分の目的に向かって旅立っていき、その行方を人々は知らない。自分もまた人々の行方を知らない。一方においてはそれでよいのだし、人生はそういうことで過ぎる。だが他方人々にはそれぞれ固有の「複雑」な思いがある。その思いは決して他人にはわかるまい、そういう眼差しで人々は他人を見る。主人公もまたそんな眼差しで他人から見られる。主人公にとって「複雑」な思いを抱くであろう存在とまず思われるのは父であり母で、その思いは家族である主人公がいちばん具体的に想像することができる。そして想像することを今まであまりにもおろそかにしていたのではないか、呑気だったのではないか、という自省である。島にいたころに自分の将来にわたっての「自由」に執着しすぎたことの迂闊さだ。読者はここで主人公とともに穴掘りのつらい仕事にたちかえらされる。
  気づくということであり、ふとした偶然によって人は遅れて気づく。これが本短編「広大な闇」の主張と思われる。親孝行をすべきだという訓戒ではなく、それに背いて主人公が羞恥にまみれるのでもない。島に急に引き返すのでもない。人と人とのつながりについてとりわけ家族について思いを注入すべきで、そこから共に生きるという実感にまでたどりつけたらいいのではないか。とりわけ父はお手本にもなりうる。「自由」で目的地へ向かってまっしぐらに進んでいくだけが人生ではない。マクラウドはそういいたいのだ。スプリングヒルに停車するあたりの文章は要領がいいとはいえず、わたしの解釈はやや恣意的かもしれないが。

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