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半藤一利他『あの戦争になぜ負けたのか』

あの戦争になぜ負けたのか (文春新書)あの戦争になぜ負けたのか (文春新書)
(2006/05)
半藤 一利、中西 輝政 他

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  六人の識者、戦史研究家による座談会形式で、第二次世界大戦前から大戦までにいたる日本の政治と軍事の姿勢を追求している。
  日本には世界戦略がなかった。中西輝政によるとイギリスははやくも1910年前後には「対米戦争不可」の大方針を決定していたという。アメリカのいちじるしい国力の興隆を眼にして戦ってもとても勝ち目はないと諦めたのだろう。それに比べると日本はどうだったのか。アメリカの生産力の大きさを認めつつも、また対米戦争絶対回避の論をもった政治家や軍人がいたにはちがいないが、ついにそれが国論にまでのぼりつめるにはいたらなかった。日本政府は東アジアの軍事勢力地図への関心がもっぱらだった。つまり朝鮮半島や満州国など日本の確保した地域を守るためには中華民国の勢力範囲である「北支」方面を支配しなければならず、そのための日中戦争であった。そして蒋介石の中華民国を援助してやまないアメリカと最終的には激突することになるが、最初から覚悟して対米戦をはじめたのではない。どちらかというと日本は東アジアの戦争に専念したかった、アメリカやイギリスにはできれば東アジアを放置しておいてもらいたいという願望に支配されていた。だからアジアをどれほど侵略すればアメリカが日本に強硬な態度で臨んでくるのか、そういう願望をからめながら読みを入れていたから、読みが甘くなった。できれば対米戦を回避したい、だが日中戦争はやめられないというジレンマに日本政府は支配されていたようだ。そんなさなかでアメリカの「在米日本資産凍結」と「対日石油禁輸」の処置がとられた。ときに1941年(昭和16年)6月、日本軍の南部仏印進駐にたいする対抗処置であるが、日本にしてみれば予想を超えたきびしさであった。
  対米戦争回避は一部政治家や軍人の持論であったが、ついに国論にはならなかった。アメリカという、他の先進国が束になってかかっても勝てそうにない国にたいして戦うや否やという根本方針を決定せずにずるずる先延ばししたのである。またアメリカが日本をかねてから標的にしていることも読めないままに日中戦争を継続したのであり、その泥沼のさなかでの行き当たりばったりの日米開戦であった。廬溝橋事件以来の日本国民に蔓延していた好戦的気分が政治家と軍人の背中を押したということもあるのかもしれない。「八紘一宇」というスローガンが戦前戦中期においてしきりに使われたそうで、これは四つの方向と四つの隅、つまり世界であり、世界は一つというほどの意味だそうだが、皇室と日本民族の優越性も籠められているという。この言葉のなかに当時の日本人の高揚感が表現されていたのか。
  米英との戦いに一歩近づく日独伊三国同盟の締結は1940年9月27日である。かねてより松岡洋右(1933年の国際連盟脱退当時の全権、1940、7、22~1941、7、18までの第二次近衛内閣の外相)はソ連をふくめた四国同盟を構想していた。三国のみでは頼りない、ソ連を味方にすれば米英により強く対抗できると踏んだのだろう、その構想は日本政府内部にも一定の影響力はあったようだ。だがドイツにはそんな気はほとんどなかったようで、それでも日本を同盟に引きずりこむために松岡の言をあからさまに否定しなかったという。つまり日本を表面的には丁重に扱っていた。さらに前年の独ソ不可侵条約締結とそれに連続する第二次世界大戦におけるドイツの快進撃が日本政府中枢の目をくらませた。四国同盟の実現可能性が大きくなるとともにドイツの勝利が視野に入ったと見えたのだ。「バスに乗り遅れるな」と誰かが言ったそうな。三国同盟の締結の翌年の1941年4月には、松岡の手によって日ソ中立条約が締結されたので四国同盟の実現がさらに近づいたと日本政府が考えても不思議ではない。だがその年の6月には、ドイツは独ソ不可侵条約を破棄してソ連への侵略を開始する。この間の、1939年から41年までの国際関係の推移はまことにめまぐるしいものがある。ドイツは対英仏戦に専念するために、またソ連は対独戦の準備期間を設けるための不可侵条約であり、一時的に過ぎなかったのであり、日ソ中立条約もまたソ連にとっては対独戦に戦力を注ぎこむためであった。四国同盟という構想はドイツにもソ連にもはじめから無かったようだ。日本には世界戦略がなかったが、それ以前に国際情勢の分析力がなかった。あれよあれよという間にていよく利用されたことにも気づかずに世界戦争に巻き込まれた。そういう感を抱かざるをえない。アメリカ、ドイツ、ソ連、それら諸外国にたいする見方が自分本位で甘かったのだ。(半藤一利『昭和史』によると、ドイツのソ連侵攻を知った松岡洋右は近衛秀麿をはじめとする諸大臣の前で、ドイツと一緒にソ連を攻めようとまくしたて、自説を180°転換させて驚かせた。)
 
  コミンテルンの日本政府への浸透も議論されている。ゾルゲ・尾崎秀美ラインは摘発されたスパイ網として有名だが、それ以外にもスパイ網が存在したのではないかとの推測がなされている。またこちらのほうがより重要かもしれないが、日本の政治軍事方針がソ連の有利になるように工作が仕掛けられ、歪められたのではないか、ともいう。情報漏洩にかぎらずとも共産主義思想に影響を受けた政治家・軍人たちがそういう方向に日本を導いたのではないか。中川八洋の本ほど断定的ではないが可能性が指摘されている。2.26事件の青年将校がソ連大使館員と接触を繰りかえしていたという「噂」も根強くあるという。陸軍省軍務局長の武藤章(東京裁判におけるA級戦犯で絞首刑)という人は、東条英機に親ソの疑いをもたれてスマトラに左遷させられた。ときに昭和17年5月、前年に摘発されたゾルゲ関連の捜査資料に東条が眼をとおした結果、武藤とその周辺の人物があやしまれたという。中西輝政と保阪正康の発言だ。保阪はまた国民党の指導者の一人陳立夫という人に1992年頃に取材しているが、陳がいうには日中戦争はソ連の演出の元にその指示にしたがった陸軍の共産主義者が遂行したという。蒋介石派と日本がたたかってたがいに消耗すれば毛沢東派を利することになり、ソ連の利益にもなる。現に戦後毛沢東政権が樹立された。ただそれが陸軍内の誰なのかは陳氏は言わなかった。知らなかったのかもしれないが、ソ連謀略論には確信がこめられていたようだ。中西輝政によるとイギリスのMI6も1937年ころから陸軍内部に親ソ的人物が複数存在するとの情報を得て、在日イギリス大使館からの情報報告を命じたという。ただ証拠といいうるほどの確定的な情報は、ゾルゲ・尾崎ライン以外にはいまだえられていない。旧ソ連、中国、イギリス、アメリカ、ドイツ等の当時の秘密文書の公開が待たれる。今後の研究課題だという。
  しかし私は前回の読書感想文でも書いたが、コミンテルンの工作活動がいくら活発であろうとも、それでもってすべての日本の政治方針が決定づけられたとは思えない。軍部の好戦性は今日的視点で見ると異常だが、明治以来アジアに獲得してきた領土を手放したくないという目先の欲求に縛られたのだろう。世界戦略はなかったが地域主義が頑としてあった。それに軍人とはたたかって勝つことによって地位を高からしめるものという偏狭な姿勢も災いしたようだ。たたかわないこと、妥協することも軍人の姿勢として併せ持つことが肝要であるはずだが、それがいちじるしく少なかったのではないか。また、敗走をかさねると「必勝」という信念が逆に肥大化する、物理的な戦力差を冷静に分析することよりも、自己の戦力をいかにして最大限にひきだすかということに関心がそそがれる。死へのおそれを戦術的により軽視する傾向がもたげてくる。「必勝」の観念とひきかえにして。さらに、勝利からとおざかったとしても「戦果」をあげることを重要視する。なにかしら自己破壊に傾斜していくこういう傾向が軍指導部に抜きがたくあったように思え、それはコミンテルンの工作・影響としてかたづけることをできないものと私は思う。また、こういう自己破壊的傾向はなにも戦争の局面にかぎってあらわれるものではなく、私たちが陥る可能性のあるものでもあるだろう。

  問題の指摘は多岐にわたっているが、もうひとつ神風特別攻撃隊等の自爆攻撃にふれてみたい。絶望的な特攻攻撃であったが、これが戦後における日本の抑止力として働いたという。特攻攻撃はアメリカをはじめ連合国の心肝を寒からしめ、その記憶は恐怖を植え付けた。武装解体された日本だが「寝た子を起こすな」式の警戒心を占領国アメリカに抱かせた。安易にいじめるようなことをすると手ひどい反撃が待っている。「抑止力」の所以であるが、こういう指摘はこの本ではじめてえられたが、なるほどと腑に落ちた。たとえば天皇だが、戦後当初はその処遇をどうするか決められてはいなかった。連合国にはなんらかの処分を求める声が多かったことはもとより、死刑を要求する声も根強くあったのだが、結局は死刑どころか裁判にもかけられずにその地位は安泰となった。日本人を統合・支配するために天皇は便利な存在とみなされたからだが、他面、天皇に触れることのおそろしさをこの「抑止力」が想起させたとも考えられる。

昭和史 1926-1945昭和史 1926-1945
(2004/02/11)
半藤 一利

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