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夏目漱石『彼岸過迄』(1)

彼岸過迄 (ワイド版岩波文庫)彼岸過迄 (ワイド版岩波文庫)
(2008/07)
夏目 漱石

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  嫉妬とは愛情の裏返しということがよくいわれるが、そうであったとしても嫉妬のほうが後者よりもより強烈にはたらきかけることがある。男女間における愛情はたとえ「一目惚れ」がきっかけであったとしても、接触をかさねていくにつれてより愛が強くなったり逆に潮が引いていくように弱まったりする。そこでは自然な感情の満ち引きとともに理性や打算による思慮があって、もっと前に進もうかそれとも後退しようかとの選択に悩まされることがあるだろう。つまり決定を引き延ばして進路を曖昧なままにしておく期間があってもさしつかえない。これにたいして好意を持つ異性の近辺にもう一人別の同性があらわれて、つまり競争相手としてあらわれてその異性に愛情を注いだとしたらどうなるか。その人に好きな異性を奪われる可能性が急に出てくるので慌てる。愛の進路におけるゆったりした思慮に閉じこもってはいられなくなる。またそれ以前に強い不快に支配される。異性への愛情が曖昧な期間でもこの嫉妬の不快さ、締めつけられる感覚は強烈で、愛の感情とは別に人生のあらたな局面に立たされるといっても過言ではない。また理性的な人ほど嫉妬に苛まれている自分の状態を異性や競争相手から隠そうとする傾向がある。もっとも、異性が敏感であれば隠しようがないのだが。
  主人公の須永市藏も人生のそういう局面に遭遇する。私自身も恋愛体験は貧しいものに過ぎないが、嫉妬の針で突っつかれるような感覚に悩まされたことが一時期あったので身につまされる。
  市藏は大学を卒業したばかりだが、従姉妹の千代子とは子供の頃から親しく接していた。家族同志も良好なつきあいをつづける仲だった。それに母が千代子が生まれてすぐに「この子を市藏の嫁にくれないか」と千代子の両親の田口夫妻に強く頼み込む。田口夫妻も娘の将来をそんな早い時期に決めることはためらわれたが、将来における本人の意志を尊重するという前提の元で、母のこの願いを受け入れる。また市藏も千代子も成長期に入って親同士のこのやんわりした約束を知る模様である。それに後に明らかになるが、市藏は父と小間使いの間に生まれた子供で、生まれてまもなく父母に引き取られて養子として育てられたという経緯がある。母が市藏と千代子の縁組みを切望するのはこのことが作用している。市藏とは血縁がないが千代子は妹の子であるからつながりがあり、二人を結ばせることで母は市藏との血のつながりを間接的に回復させる形にしたいのである。肉親の情であろうか。市藏はこの出生の秘密を知らないが、しだいに疑念が暗雲となって形成されて悩まされることになる。大学卒業前後に事実を叔父の松本に聞かされてはじめて知る。
  この出生への疑念がきっかけの一つでもあるが、市藏は社会や人間への深い懐疑の持ち主であり、卒業後も人にすすめられても定職に就こうとはしない。「世間との格闘」に時間と神経を磨り減らすことをおそれる。友人の田川敬太郎によれば「退嬰主義の男」であり、市藏と同じく定職をもたない自称「高等遊民」の松本によれば、松本自身は社会の考えにあわせるタイプであるのにたいして市藏は社会全体を「考える種」にする人である。社会に順応するよりも一歩後ろへ下がって考えることを大事にする人である。書きおくれたが、市藏の父は子供時代に死去した。しかし高級軍人として多額の資産を残したのでその利子があって生活には困ることはなく、松本と同じく「高等遊民」をつづけることもできる。市藏には出世や金銭への欲望がいちじるしく欠けていて、母のいう「名をあげる」ことへの興味はないではないが、その内実を確信を持って満たすことはできない。詳しくは書かれないが、市藏は懐疑を梃子にして思想的格闘を演じる青年である。引きこもりではないがその傾向は少なからずあり、神経質で陰性だ。漱石自身の若い頃がモデルになっているのだろう。
  一方、千代子の父田口は事業に成功を収めて資産家となった人で、千代子もまた男性の立身出世を純粋に望む人で、社会に打って出ることを当然市藏にも望む。少なくとも市藏はそう解釈して、千代子との人生観の乖離を自覚して、千代子と結ばれたなら必ず千代子の期待を裏切るであろうという恐れを抱いている。だから千代子からは逃げたい。これは市藏の千代子との結婚にたいする理性的な判断であるが、もうひとつ彼は千代子への「熱烈な愛情」が不足していることも認めざるをえず、これは情の面での判断だ。だが市藏は千代子を決して嫌いではない。子供時代から家族ぐるみのつきあいがあって、遊んだり冗談や悪口を言いあったりした仲である。それに母の望みも痛切に知っているので、親同士と千代子とが相談して縁談をまとめてしまえば、自分が後で知らされたとしてもそれを受け入れるしかないという諦めもある。松本が市藏に語るところによれば、市藏親子は血のつながりのある普通の親子よりも何層倍も深い情の絆で結ばれた親子関係である。逃げたい、だがそれほどはっきりとは拒否の姿勢をつらぬくことはためらわれる。市藏は親子の情に縛られていて、悪くいえば「煮え切らない」のだ。反対に、千代子が別の男性との間で縁談が成立すれば市藏は胸を撫でおろすことができ、千代子を祝福する用意もできているつもりだ。
  市藏は千代子が自分にたいしてどんな気持ちでいるのか、千代子やその家族と自分の母が二人の縁談についてもしやより具体的に進行させないか、非常に気になる、知りたい。だがそれならば千代子やその家族もまた当然市藏の気持ちを知りたいはずなのだが、そこは市藏は衝撃を与えることをおそれて曖昧にしておきたい、自分の態度を決定しないうちに話が決着することを望む。市藏の無意識の狡さで、煮え切らないといわれるところだ。『心』の主人公の「先生」の青年時代もまた自分の気持ちを打ちあけることを不自然に引き延ばしつつ相手の女性の気持ちを知りたがったので、そこは同じである。一方、千代子はそういう市藏の気持ちのからくりを、市藏自身が想像するよりもはるかに深く見抜いている、従姉妹同士の親密さ以上の男女間の愛はついに自分にはそそがれないとなかば諦めている。だが男女間の気持ちはたえず動くもののようである。秤がどちらに傾くかわからず、この小説の興味もその辺にある。
  そんな市藏と千代子の間にあらわれるのが高木という青年である。この小説のもっとも緊迫する部分だ。田口家は鎌倉に別荘をもっていて夏休みの期間中に決まって一家で滞在する習慣なっていて、そこに須永親子も招待された。高木は千代子の妹百代子(ももよこ)の知り合いの知り合いという関係にあり、彼の一家もまた鎌倉に別荘を有していて、そのつながりもあって田口の別荘に入って交際することができた。高木はイギリス帰りということだからインテリかもしれない。「見るからに肉の緊(しま)った血色の好い青年」で、健康とはなやかさの空気を周囲にふりまく人であり、しかも社交上手で会話を楽しく進ませる能力にたけている。彼は結婚相手を探している最中でもあり、市藏もそれを知っている。高木は当然そういう眼で千代子を見て親密さを増そうとするのだろう。市藏の理性的な面からすれば両者の縁談がまとまれば、彼は肩の荷を下ろすことができるので歓迎すべきなのだが、事態はまったく逆になる。市藏は嫉妬の感情にじりじりと痛めつけられる。それまで彼は千代子を単独に思い浮かべたり、母や千代子の両親とのつながりのなかで千代子について考えたりしたが、「競争相手」を介在させて千代子を考えることはなかった。彼は適応できない。まして高木を頭のなかから排斥することもかなわない。不快であるどころか、嫉妬の炎で焼かれて一個の人間としておかしくなってしまうのではないか、変異するのではないか、そんな危機感すら市藏はにわかに抱くに至る。嫉妬とはこういうものなのだろう。競争相手が予期しない場面にいきなりあらわれて普段から意識している相手と仲良くすると、どうしても発現する。人は理性では割り切れないエゴイズムを懐胎していて、動物的感情を爆発させて反撃したい思いに思う先からとらえられる。実際に行動に移すことには距離があるが、感情の煮えたぎりは抑えられない。
  初対面にさいして市藏が自身と高木の人物像を比較するくだりがある。

彼は見るからに肉の緊った血色の好い青年であった。年からいうと、あるいは僕より上かも知れないと思ったが、そのきびきびした顔付を形容するには、是非とも青年という文字(もんじ)が必要になった位彼は生気に充ちていた。僕はこの男を始めて見た時、これは自然が反対を比較するために、わざと二人を同じ座敷に並べて見せるのではなかろうかと疑った。無論その不利益な方面を代表するのが僕なのだから、こう改まって引き合わされるのが、僕にはただ悪い洒落としか受け取られなかった。
 二人の容貌が既に意地の好くない対照を与えた。しかし様子とか応対ぶりとかになると僕は更に甚だしい相違を自覚しない訳に行かなかった。僕の前にいるものは、母とか叔母とか従妹とか、皆親しみの深い血族ばかりであるのに、それらに取り捲かれている僕が、この高木に比べると、かえってどこからか客にでも来たように見えた位、彼は自由に遠慮なく、しかも或程度の品格を落す危険なしに己を取扱う術を心得ていたのである。(p234~235)


  だれでもがこういう場面に出くわすことがある。見た目も話しぶりもうかがえる性格も、自分よりも好ましく周囲の人から思われるであろう人と同席させられる。周囲の人は彼に興味津々で、しかも彼の巧みな話術に乗せられて楽しい時を過ごす。市藏の立場に置かれたなら、だれもが寂しさと劣等感をもたざるをえない。しかも市藏は普段は田口家を訪れたさいは自分が高木の位置を占めているのだから一層身の置き所がない。実際、その場では市藏は口数が少なくなって、会話の輪に入ろうとしない。高木が「千代ちゃん」と呼ぶのもおもしろくない。だが、だからといって市藏はにわかに千代子にたいして恋情を募らせようとはしない。そこはそのままで、「競争相手」として高木と接することに激しい懊悩を抱くばかりだ。高木も交えて田口一家と市藏は、漁師の舟に乗せてもらって遊ぶ機会もあるが、市藏は母を残して一足早く東京へ帰宅してしまう。千代子が彼を試すために故意に高木を彼の前に出現させたのではないかとの疑いも抱きながら。つまり鎌倉に来てから千代子にも理不尽な恨みを向けるのだ。(彼はそれを千代子の「技巧」(アート)と呼ぶ)そういう自分を見抜かれたくないという思いもあって、居たたまれなくなって市藏は帰宅する。
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