大洋ボート

戦いのイメージ

  岩陰に隠れるでもなく佇んでいる男が眼に浮かぶ。彼が眺めやるのは前方に果てしなく広がる空間である。砂漠と呼んでもいいだろう。彼とは誰か。私のようでもあるが、そうでない気もする。少なくとも私にとっては親和感が自然にわき上がる人物像だ。彼はやがてその広い空間に出て行く。そのための準備をしているのであり、それまでの疾走に対する休息をみずからに与えるようでもある……。
  こんなイメージがついこのあいだまでよく浮かんだ。私なりの戦いのイメージだったかもしれない。だがこの空想の戦いには具体的な目標は特になく、したがってかくかくしかじかの言葉の群れもない。戦いとは現在の自己を含む周辺と世界を自己の思い通りに変えようとして、世界や人々に働きかけるものであり、またその働きを妨害してくる人物や事象に対して、あくまでも働きと意志を貫こうとするものであろうが、そういう生々しさや臨場感はない。したがって妨害してくる対象に対する恐怖もなく、空想の呑気さを中心に置く体のものである。私はこの空想を愛したのか、自然にわきあがってきてほんのり陶然とするところもあったので、愛したといえるのであろう。またその男の姿に対して声をかけるかのように凝視したことも少なくなかった。凝視によって何か意味ありげな結論がもたらされるかのように。当然というべきか、私の凝視はたいした成果もあげることもなかった、つまりそのイメージはそれ以上の広がりと実りをもたらさなかったのであるが。
  私は現在において戦っていないはずはない。生活の維持と再生産という限られた目的のために戦っている。生活そのものとして戦っているのだが、それを否定したいという思いは絶無であるはずなのだが、理性面ではともかくも、この現在の戦いには、私はどこかしら欲求不満を抱いているらしくて、それがかかる空想をしばしば喚起させるのだと思う。もっと他の戦いの方法はないのかと無い物ねだりをするのかもしれない。自省して他人事のように私自身に対して考察を加えるのだが、私は戦いを支えるリズムを、しかも力強さと単純さを兼ね備えたリズムをぼんやりと空想したのだろう。無論リズムだけでは戦えない。具体的な目標とそれをささえる言葉がなければ戦いにはなりえない。それくらいは百も承知していたはずだが、好ましいリズムひとつで戦いになりうる仮想空間を無意識に呼び込んだのだ。その空想を味わうように眺めるとき、私は痴呆であったのかもしれない。イメージの中の空間が砂漠ならば、地平線がある。その彼方にあたかも具体的な目標物が、はたまた理想郷があるかのように、私は彼をしてそこへ向かって走らせようとする……。
  少し飛躍する。私がここまで書いたことが例にあたるのかどうかは別にして、人間とはとんでもないことを思い、あるいは悩むものだということを最後に加えておきたい。つまり常識とか標準的人間像とかで人間の行動を律することはできても、その心の奥底ではそれらに相反するものが煮えたぎっている。人間一人一人の表皮をめくれば顔をしかめたくなる歪さが潜んでいる。そういうことを想起せずにはいられない。それが行動に直結しないかぎりにおいて常識や道徳なるものが成立するのだ。 
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