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夏目漱石『こころ』(1)

こころ (ワイド版岩波文庫 (204))こころ (ワイド版岩波文庫 (204))
(2002/02)
夏目 漱石

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  この小説は二十歳代以来二度ほど読んだと思う。ぞくっとしたのは、やはり主人公の友人が同じ下宿の主人公の隣の部屋で自殺したくだりであった。頸動脈を剃刀で一気に掻き切ったKという友人の鮮血が襖に飛び散った跡を、主人公は驚天動地の思いで目撃するが、読者の私にもそれが目に見えるようだった。ただしそれはモノクロ映画で見るような黒い血の色だったと記憶している。今度読んで、それが夜明け前の薄暗さのなかで発見されたことをはじめてのように知って、やはりモノクロの血の色の印象に変わりがなかったことを知らされた。しかしその他のこと、とりわけ主人公の人間観やら心情やらは忘れたというよりも以前は曖昧な理解しかできていなかったことを知らされた。何も読んでいなかったのではないかと、恥じざるをえないところが多くあった。
  「先生」とある青年に呼ばれる主人公が青年宛に遺書を書いて自殺する。遺書にあたるのが「下」の「先生と遺書」で、そこで主人公とKの一人の女性をめぐっての三角関係がくわしく綴られる。主人公にはKを裏切った、自分がKを殺してしまったという痛恨の思いがあり、のちの生涯の全体にのしかかるほどの罪責感に苛まれる。長く生きた主人公だったが、明治天皇の崩御や天皇を慕った乃木大将夫妻の殉死に触発されて死の道を選ぶことになる。青年は偶然知り合った先生を尊敬のまなざしで注視して交際をつづける。そして先生をもっと知りたいと思い、その青年の思いは先生も承知している。主人公は青年の欲求を満たしてありあまるほどの長文の手紙を書いて、羞恥とともにあらいざらいぶちまける。
  前回読んだときには、青年から先生、先生から明治天皇や乃木大将へという先行する世代への尊敬の思いが糸として一本につながっている観があって、倫理的にうつくしいと感じた。また死を選ぶことによって人生を、自分はこうだと決定づけることもうつくしく感じられた。同時に縁遠さも感じたにちがいない。余生への未練を断ち切ることなんて私にはとてもできないという思いであっただろうか……。だが今回はその部分にはあまり動かされなかった。主人公は公平にみて醜い人間であること、Kの自殺によってそれが決定づけられてしまったこと、だが主人公もそれを骨身に染みて知っていて、何年たってもそれを正面から見据えることをやめない、逃れられない、当時も今もその切迫感のなかで生きつづけていること、その部分に動かされた。また主人公の、というよりも漱石の特異で窮屈ともいうべき女性観にもたいへんに引きつけられた。
  もうひとつ。「若さ」とは壮年になってもふりかえられるものだ。異性もふくめて周辺と積極的に、また「はじめて」関与していこうとするのが若さで、このとき世の中の厳しさや自分の甘さや醜さを痛切に知らされる。そして痛切さはあるもののそれを読み解くことが、人によっては即座にはできない。読み解こうとするうちにいつのまにか歳月がかさなっていく……。「若さ」の骨格は死ぬまで残るのではないか。若さの渦中にあるときは壮年の人の書いた若さは、無知や傲慢が手伝って同じ若さとして理解したくないという、そうまでではないにせよ縁遠いという気持ちがはたらくのではないか。私がかつてそうだった。だが自分がいざ壮年期になってみると、自分について考えることは自分の若さ(その時代もふくめて)を標的にして考えることと極めて近似していることに気づかされるのだ。すると壮年の人の書いた若さが、ずいぶんと身近に感じられてくる。この小説でもそんな思いをもった。若さは体力のすり減ると同時進行的に消滅するものでもないらしいのだ。
  主人公は明治のなかばの頃の大学生で、複数人数で一部屋に住む下宿から逃れて軍人の未亡人と娘の住む「素人下宿」に引っ越した。彼はその娘さんを見初める。また主人公には同郷で同い年で、同じ大学に席を置く友人Kがいる。Kは浄土真宗の寺の息子で医者の家に養子に出された。医学部に入学する約束で養家に大学に通わせてもらうが、その約束を破って彼は文化系の学部に入る。宗教的な「道」を極めようとの決意が固く、その方面の学問探究にのめりこむ。勉学の度が過ぎるあまり心身を衰弱させるが、それもまたKは意義あることと自負する。主人公はKを一目置くが、その衰弱ぶりに同情するあまり自分の下宿に引っ越すことをつよく勧める。良好な環境に住まわせることで、その「神経衰弱」からの回復を期待した。主人公の思惑はあたってKは健康を回復するが、そこへきて主人公にとっては厄介なことが起きる。Kもまた娘さんを好きになってしまうのだ。それはまたK自身にとっても厄介である。なぜならKは自己を虐めることをいとわない禁欲主義的な生活態度を旨とするから恋愛という一種大きな本能にかまけてしまうことは主義主張に反するのだ。その煩悶によってKは再び衰弱の下降線に落ちていく。迷いに迷い、たまらなくなってKは主人公に相談を持ちかける。俺を批評してくれと依頼するのだ。だが、そこまで来てもKは、主人公が以前から娘さんを好きであることをまったく知らない。ただ主人公だけが相手を恋敵であると意識し憎むという構図になる。相談されたときにも心の内を黙っている。さらに嫉妬にあおられるように悪辣にも、Kの普段の言説を借用してKを打ち砕く。「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と。主人公にはKがくたくたに衰弱していることが手に取るようにわかるから、その言葉はまるでとどめを刺すようだが、残酷にも主人公は内心凱歌をあげる。
  もしこのとき主人公が自分の恋心を打ちあけて、なおかつ恋愛は人間にとって自然なことでありそれ以上に大事だという自分の普段の思いを吐露すればのちの展開はちがったのかもしれない。主人公はそのとき狭小であった。恋というエゴを優先するあまり友人を捨てたのだ。まもなく主人公と娘さんは内々に婚約を決めるが、そのときもKには知らせないままで、Kは未亡人(奥さんと呼ばれる)からその事実を知らされて数日後自殺する。このことからKの自殺は「失恋」だけではなく、友人たる主人公の虚偽と裏切りが密接にからんでいたと考えられる。主人公もそう考えざるをえず、先に記したように自分がKを殺したという罪責意識にずっと苦しめられるのだ。
  主人公は自分の「悪」に落ち着いて正面から向き合っている。隠したり飾ったりはせずに、正確な再現を旨として書いている。遺書だからということで、自分を死の世界に突き落とすために苛烈に表現するのではなく、正確さそれ自体が読者には苛烈に映る。嫉妬の炎が主人公を内側からかき立てて、ついにエゴにしがみつかせるという主人公の心の推移がよくわかる。自虐的であり、書くことによって、再現することによって、主人公は自分を容赦なく痛めつける。フィクションという前提をもって読むものの、よくここまで書けるものだと重い感動に引きずりこまれる。
  嫉妬とは、だれにでも経験があると思うが、制御の効かないものだ。性欲が肉体に宿る動物的本能だとすれば、それが精神面に反映したものが嫉妬ではないか。いや、性欲を、外に向かって行使しないことで抑制することができたとしても、嫉妬はそれによって内面を支配されただけで捕らえられたことになるから始末が悪い。嫉妬しまいと念じてもしてしまう。嫉妬することが無意味で不合理だとどれだけ思っても、すずやかな理性で内側を支配しかえすことがなかなかできない。また、嫉妬心を抱きながら、あたかも何でもないようにふるまうことほどつまらないことはない。萎縮してしまう。そこでありうるのは変な言い方だが、逆に嫉妬に一体化してしまうのだ。主人公は娘さんが好きで、そこへ近づいてきたKに嫉妬するのだが、主人公からみて娘さんには脈がありそうだから、引き下がるのは馬鹿らしい。恋愛感情の渦中にある主人公は行動したくてうずうずしているので、そこで嫉妬という後ろ暗い感情の力を借りて、Kに心にもないことを吐いてしまう。自己中心性だ。

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