大洋ボート

カティンの森

  第二次大戦中にソ連軍に捕虜として連行されたポーランド人将校一万人余が、ソ連の秘密警察によって集団虐殺されるという事件があった。「カティンの森事件」である。だが戦後ポーランドを支配したソ連によって事件はナチスの仕業とされ長く真相が明らかにされることはなかったという。一九二六年生まれのベテラン監督アンジェイ・ワイダがこの惨劇を真っ正面から描き起こす。虐殺された将校と残された家族の物語だ。 

  冒頭の部分がいい。ナチスからソ連軍から逃れてきた市民の群れが橋の上でぶつかりあうように合流するのだ。東にはソ連軍、西にはナチスが迫っている。どちらが安全かなどと短い議論が交わされ、思い思いの方向に歩んでいく。ああこういうことなんだ。弱小国のポーランドは軍事大国に攻め入られるとひとたまりもないのだ。軍隊なんて何の役にも立たない。いきなり戦火を浴びた人々もいただろうが大部分は避難民だ。私たちもまた戦争被害を直接受けたことのない身であるから避難行は想像しやすい。つまりは映画のなかの戦争にに入って行きやすいのだ。

  捕虜収容所での総指揮官の大将が演説する場面。〈戦争は負けることもあるがこれも運命だ。以後も希望を失うな〉そんな意味のことを語って全員を諭すが、カメラワークがいい。はじめは演説をする指揮官のまわりに集まってくる部下の小さな円陣からはじまり、その円陣が集まるにつれて大きくなる。部下の肩越しにかろうじて見える指揮官。つぎにカメラは位置を上昇させて指揮官のまわりにスペースができていることがわかりその半身が見えやすくなる。つづいてそのままカメラは再び後退してさらに上の位置に移行して全体を俯瞰する。こんなにも多くの捕虜がここにいるのかと少し驚かされる。この間カット割りはなく、いわゆる長回しである。実に堂々とした古風なカメラワークで、対象をじっくりとらえて見せる。落ち着いた空気が流れる。

  カティンの森の遺体はナチスによって発見、発掘され遺留品から死亡者の名が判明しポーランド国民に発表される。主人公はカティンで殺された将校の妻だがその名が発表名簿にはないので生還を頑なに信じつづける。幼い娘も同じ思いだ。戦後、その家族の元へ捕虜収容所で将校と一緒にすごしのちに別れた親友が訪れる。将校の死を知らせるためだが、ドアを開けると娘さんがいきなりとびついてきて父でないとわかって気まずく後ずさる。この場面も印象に残る。同じ軍服で同じ背丈だったからだが、顔を見るよりも前に匂いや体つきで父ではないと本能的にわかったように見えた。子供にはそういうものが記憶に刻み込まれている、そして母とともに父の帰還を正直に信じて暮らしている。さりげない場面だがここもいい。

  戦後の遺族の思いもさまざまだ。ソ連支配への抵抗を試みる青年がいる。墓名碑にソ連の仕業と刻んで教会に墓を立てようとする女性がいる。また、くだんの将校の親友は自分が生き残ったことに自責の念を募らせる。逆に学校運営のためにソ連支配とその虚偽に従順になろうと決める女性校長もいる。同じ事件の遺族が個人の選ぶ道をそれぞれ模索するのだ。現実としてたぶんそんなところなのだろう。しかし私には少し不満が残った。この映画は戦中と戦後の数年間のみを描くが、もはや戦後六〇年以上の歳月が経ってしまっている。戦争とカティンを語りつづけることは、ポーランド国家と国民とナショナリズムにとっては重要事であることはわかるが、風化する、忘れるということも同時に進行している。忘れることによって幸福になれればそれもまたよいのではないかと私は思うのだが、そういう視点がこの映画には無い。語りつづけることは同じ言葉、同じ映像であるならば本人も受け手も飽きてくるだろう。そこで渾身の力を奮い起こして新たに語り伝えなければならないことになるが、これはいかにも苦行じみていはしないか。私が怠惰であるからこういう不満も出てくるのかもしれないが。

  ラストはカティンの虐殺が再現される。私にとって、遺族の戦後の歩みをはしょったように見えてもアンジェイ・ワイダ監督はどうしてもこれをスクリーンに叩きつけたいのだ。忘れるな!という思いだろう。血しぶきが狭い部屋の壁に飛び散っているが屠殺場ではない。血の匂いがむわっと押し寄せてきて窒息しそうな気分になる。あっ、殺される、とわかった瞬間の抗いようのない絶望感。覚悟を決める暇も遺書を書く時間もなく、ただおろおろする間に殺されてしまうのだ。これは映画だ、芝居だとわかっていても凍る思いがある。またこれは昔話として受け取るのではなく、現代のアフリカや中東、中南米でひっきりなしに行われている蛮行に通じるものとして受け取るべきではないか、そのメッセージも併せてこめられているのではないか、とも思った。
  ★★★★
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