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出エジプト記(1)

旧約聖書 (中公クラシックス)旧約聖書 (中公クラシックス)
(2004/11)
中沢 洽樹

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  「創世記」において神ヤハウェはアダムにはじまる同じ一族のリーダー格の男を選んで助言し命令した。また庇護した。親から子へ孫へと世代交代するごとにリーダー(族長)も交代するから、その度ごとにヤハウェはその男とともに一族の歴史を作った。そしてヨセフの時代になると一族はエジプトにこぞって移住した。ヨセフはエジプトにおいて王パロに次ぐ地位にまでのぼりつめたが、そのあとは一族は没落したようだ。ヨセフの父ヤコブは別名イスラエルといい、ヤコブの子孫はイスラエル人と呼ばれるようになった。もはや一族と呼ぶべき範囲を超えた集団としてとらえられるのだ。イスラエル人は順調に人工を増やしていったが、全員が煉瓦造りの奴隷的な労働に従事させられることになる。そこでイスラエル人のなかからエジプトからの脱出とカナン地方への帰還が願われることになり、出現したリーダーがモーセである。モーセは「レビ族」の出身で、ヨセフの血筋とは無縁のようだがイスラエル人と見なされている。その全体のリーダーがモーセになるからヤハウェの見わたす範囲も拡大したことになる。「創世記」では親子、兄弟、夫婦の物語が主だったが、「出エジプト記」においてはイスラエル人(ユダヤ人)全体の物語となる。後に民族と呼ばれる集団だ。ヤハウェはイスラエル人固有の神でありエジプト人は勿論、故郷のカナンやその周辺地域の定住民であってもヤハウェに帰属するまでは異族なのだ。

  モーセはイスラエル人のなかからリーダーとして選抜されたのではなく、ヤハウェが一方的に抜擢した。喧嘩が強いというエピソードがあるが、ヨセフのように自他の夢判断ができるというような並外れた能力とはいえない。また訥弁で人前で話すことを苦手にする男である。モーセ自身もヤハウェの命令(召命)に尻込みするのだが、そこは引かないヤハウェだ。魔法の杖を授けて彼に権威を与えて承服させる。

  ヤハウェは好戦的である。また神にたいして言うのもおかしいが自信家である。モーセをつかってパロを挑発する。最初はパロに〈われわれの神を祭るために荒野に行かなくはならない、そのための暇をください〉とイスラエル人を代表して申し入れるがあっさりと退けられ、しかも以前よりも労働を過重にされる。そこでモーセは魔法の杖で、蝗や蛙や虻を大量発生させてエジプト人を困らせる。さらに疫病を流行らせたり、エジプト人や家畜の初子をことごとく死亡させるというテロを行使する。ヤハウェはパロを挑発して弾圧を促すのだ。牧歌的なベールがかかっているが一連の行為全体がテロかそれに近いものであり、今日の政治的常識からすれば、エジプト王は「目には目を」で、ただちに暴力的反撃をして然るべきだが、何故かためらう。これは労働力としてのイスラエル人を保持しておきたいからだが、ずいぶん呑気に映る。堪えかねてイスラエル人に「暇」をいったんは出すが、どういうわけか既にエジプト脱出を開始したイスラエル人を後から軍隊をつかって追跡する。ちぐはぐぶりだ。だがヤハウェにとってはようやくエジプト人を本格的敵対に誘い入れることができたので念願がかなったところだ。
  

彼等はスコテを出発して、荒野の端のエタムに宿営した。ヤハウェが彼らの前を行き、昼は雲の柱で彼らを導き、夜は火の柱で彼らを照らしたので、彼らは昼夜を分かたず行進した。昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の行く手を離れなかった。(p214)


  このあとに有名な「海が割れる」奇跡がヤハウェによって起こされる。モーセが杖をかざしてそれはなされ、イスラエル人の群れは海の中の乾いた道を進み、追ってきたエジプトの軍隊がそこを通ったときにヤハウェによって海は元通り閉じられて軍の兵馬は沈む。ユダヤ・キリスト教徒や支持者にとっては痛快で、壮大さを感得するところだろうか、わたしはそれほどには受け取らないが。それよりも後段の「邪教」にたいするヤハウェの苛烈な憎しみに興味が湧く。

  モーセ一行のイスラエル人は六〇万人と書かれているが、実際には六千人にも及ばなかったと注釈にはある。一行はシナイ山という山の麓にしばらく滞留する。その山にヤハウェが降りてきてモーセと対面することになる。エジプトとの戦闘においては彼はもっぱら軍事・政治上のリーダーであったが、ここでは宗教的リーダーとしての務めを果たすことになる。もっとも、ヤハウェという神自体が民族の興隆を押しすすめることを主目的とするので、ときに戦争を敢行したりときに宗教的であったりするに過ぎない。モーセもその変幻に引っぱられるのだ。モーセはヤハウェの命ずるままを一行に告げる。神との対面のために三日間の準備をせよと。すなわち、衣服を洗い、山に柵をして誰一人のぼらぬようにする。山に手を触れただけでもだめで、その場合は死刑となる。また三日間は異性に接触することも禁じられる。おそらく「民」はモーセの言いつけに整然と従ったのであろうし、政治=宗教的リーダー(独裁者)としてモーセをあらためて承認させられたのだろう。やがて三日目の朝となると「雷鳴と稲妻と密雲が山をおおい、角笛の音が鋭く響きわたった。そのために、全宿営の民がふるえあがった。」さらに活火山のように激しい火と煙に山がおおわれ震えるなかをヤハウェが降りてくる。民は恐怖にとらえられはげしく狼狽する。ヤハウェは苛烈だ。恐ろしさを民の骨身にまで知らしめることによって民の絶対服従を強制するのだ。ヤハウェ信仰は人々のなかにそれぞれのかたちで育まれてきたと想像されるが、神の柔和さはここにはない。たまらなくなって民はモーセ一人にのみ神との対話を委託する、あるいは押しつけることになる。こわいことは御免だと思わされるからだ。かくして個人次元での信仰はともかく、公共的な次元での神の言葉の受信と発表はモーセの役割となる。最初の預言者ということになるし、さらに政治的統率者でもある。
  

民はみな雷鳴と稲妻と角笛の音を聞き、また、煙におおわれた山を見て、恐れおののきながら遠くに立っていた。そしてモーセに言った。
「あなたがわれわれに話してくだされば十分です。われわれは死にそうです。どうか神が直接われわれに語りかけないようにしてください」
  そこで、モーセは民に答えて言った。
「恐れることはない。神がお下りになったのは、おまえたちを試みるためであり、おまえたちの敬神の念を新たにし、罪を犯させないためなのだ」(
  民は依然として遠くに立っていたが、モーセは神のいる黒雲の中に近づいていった。p235)


 「創世記」のなかのノア時代の洪水やソドムの滅亡もヤハウェの力の行使であったが、ヤハウェであることを知っていたのはごく一部の人に限られていた。ソドムの死んだ人々は「硫黄の火」がヤハウェの意思によるものだとは最後までわからずに天変地異としか思えなかった。だがここへ来て、イスラエル人全体の前に、ヤハウェは半面死の脅迫をもたらす者として顕現した。  


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