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創世記(1)

旧約聖書 (中公クラシックス)旧約聖書 (中公クラシックス)
(2004/11)
中沢 洽樹

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  神話だから、はじめに天地創造がありつづいて生物や人間の創造がある。ヤハウェという神以外に登場人物がいないのだからそうならざるをえない。人間が登場し、その行動が詳しく記述されるにしたがって神はしだいに後景にしりぞく。放牧や農耕の生活様式が現在と変わりない段階に達すれば、神がいたずらに活躍する場面は少なくなる。人間が歴史をつくるのだから、神が神の痕跡をあからさまに残したならば人間の歴史ではなくなる。神は人々の主観の内部にとどまって、人は行動の成果を「神様のおかげ」というようにふりかえる。行動の過程においては、人は自己内対話のなかに神を登場させ、神は作戦参謀のような役割を果たす。神はまた部族ややがてはユダヤ民族を束ねる一大権威となって物語は終わる。人々に支持され人々を引っぱっていくリーダーがおり、その背後にはヤハウェがいる。人々もリーダーとヤハウェをともに見上げるのだろう。

  「ノアの洪水」という話がはじめのほうにある。人間が暴力的になって堕落したから地をまるごと滅ぼしてしまおうとヤハウェは決意する。そしてその時代の登場人物であるノアの家族だけを救う。つまりノアに命じて大型の船をつくらせて
、その家族と生き物をひと番いずつ乗せて避難させる。「ひと番いずつ」とはのちに子孫を増やすための用意だ。やがて山が隠れるほどの大洪水が起こり、ほとんどの人や生き物は死に絶えるが、「箱船」に避難していたノアの家族と生き物だけが、無事に命を長らえるという話だ。ヤハウェ神こそずいぶんと乱暴者だが、なにかしら洪水の引いたのちに新しい世界がはじまるという、すがすがしさがないではない。洪水だから、人や生き物の死体や家屋の痕跡が水面に浮かんでいる光景が目に浮かんできそうだが、そういう描写がないことも作用している。洪水は自然災害だがそこに「神による」という冠がかぶせられると印象がちがってくる。生きた災害というよりもお話だからでもある。

  神は人間の暴力や堕落、傲慢をはげしく否定し、ときには「ノアの洪水」やソドムとゴモラの滅亡のように大量の人を殺戮してしまう。また天にも届く「バベルの塔」をつくった人間の所行を傲慢だとして、それまで統一された言語であったものをばらばらにしてしまう。言語が世界中でひとつであれば便利だとは思うが、そんな希望をくだいてしまう。だがこの神がいうところの暴力や堕落、傲慢というものにはわかりやすい線引きはない。善人と悪人という区別においても同じだ。思えることは、信仰心の希薄さや神の権威をないがしろにすることに神は敏感ではないかということだ。人間の側からみれば、とにもかくにも神は怖ろしい、おそれ多い、理由以前に。人間をそう思わせて人間をひれ伏させることに神の目的の大きな部分があるようで、それはヤハウェという神を信奉するしないにかかわらなく見える。

そのころヤハウェの名を呼ぶことが始まった。(第4章27)



  どんな原始的な段階にあっても神であるかぎりは、それを信奉する者は複数であると思われるが、また人々は各々において神へ教えを請うたにちがいないが、創世記の神が耳元でささやくように言葉を告げるのは、ほとんどの場合たった一人であり、それは族長といわれる部族のなかのリーダー格の男性である。アブラハム、イサク、ヤコブ(イスラエル)、ヨセフという直系の族長にあたる人々だ。神との対話を試みその記録を残した人は少なからずいたことは疑えないが、この書をまとめた人は、神は同時期においてはたった一人の人に言葉を与え、その人と部族を先導するという形式に変えた。さまざまな物語を系図の順番に当てはめたのだ。それはリーダーに神が語りかけることによってリーダーを動かし、神が時代を前へ前へ推し進めるためである。神の自己実現の長い過程としての構成になっている。神が神への絶対的服従を要請するかわりにイスラエル地方の一部族を庇護するという一体的な「契約」関係だ。エジプト人やメソポタニア人とはヤハウェ神は縁がない。天地をつくり人間をつくった神がひとにぎりの部族としか深い関係がないというのも首をかしげたくなるが、神話とはそういうものらしい。もっとも、ユダヤ人にとってはそうでなければ不都合なのだろう。

  ヤハウェがアブラムに言った。
「おまえの故郷の地、おまえの父の家を出て、私の示す地に行け。そうすれば、おまえを偉大なる国民とし、おまえを祝福し、おまえの名を高めよう。[それは祝福となる。] わたしはおまえを祝福する者を祝福し、おまえを呪う者を呪う。おまえによって、地のすべての種族が祝福を交わすであろう」(第13章 12-1 )


  アブラハムが以前の名のアブラムのときの神の言だが、こういう命令と引き替えの繁栄の約束は繰り返される。アブラハムにかぎらず、以後の族長にも頻繁に そそがれる。国民というからには広い範囲の領土が視野に入っているが、そのとき以後、アブラハムの一家はメソポタニアからシリア、イスラエル、エジプトと転々と流浪する弱小の身分であるから夢のような約束である。

  ヤハウェの暴虐といえる所行はソドムとゴモラの町に「硫黄の火」をふりそそいで 滅亡させたあたりで終わる。あとはアブラハムの忠誠心を試すために、彼の子イサクを燔祭(動物や鳥を殺して神に捧げる儀式)に供するよういったん命令する箇所が目立つのみで、殺害の直前になって神はアブラハムを制止するから、これは精神面での虐待にあたろうか。以後は族長の、つまりは人間中心の物語となる。老齢で出産不能とおもわれたアブラハムの妻のサライにイサクという子を産ませる。それ以前にアブラハムは奴隷の女に子を産ませていたのだが。洪水や火に比べるとその奇跡は個人的な次元にとどまっているが、正妻の子供の誕生を血統的に最重視するという現代の世界にもある思想が、この書ができた時代にも強固にあるようだ。アブラハムの孫にあたるヤコブの妻ラバンにも、神の助けによって老齢になってから子供が生まれる。そのうちの長男が、のちにエジプトで活躍することになるヨセフである。ヤコブはラバンの姉レアも妻でどちらも正妻であるようだが、ヤコブが気に入っていたのはラバンである。姉や奴隷の女との間に早くからたくさんの子を設けた ヤコブであったが、最愛の妻の子を晩年に授かることになる。

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