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「創世記」ノート

旧約聖書 (中公クラシックス)旧約聖書 (中公クラシックス)
(2004/11)
中沢 洽樹

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 旧約聖書のなかのあまりにも有名な書である。私はおおよその決まった解釈があるのかどうか知らない。また私はユダヤ・キリスト教の信者でもないし、そこに親近感を持つ者でもないから、感想を吐露することになんら自己規制をくわえる必要はない。他の本と同じように読んで感じたまま、考えたままを自由に記すしかない。あるいは稚拙に。

 読後感は、ああ、やっとこさここまで来たんだなあ、とおい道のりをよくぞここまでたどり着いて天寿を全うしたんだなあ、という、達成感と言えばよいのか、重い荷物を背中から降ろしたときのようなほっとした感覚である。つまり人間の祖先アダムから始まってエジプトで生を終えることになるヨセフに至るまでの同一の血筋を引く一族の物語が、一応のピリオドが打たれる。そこでほっとする。個人にまつわる話も豊富にあるが、この書は個人の物語ではなく、個人から個人へ、親から子、孫、ひ孫へと何十代?も連鎖して延々とつづく血族の物語である。それを「ひとかたまり」として呑みこまされる。個人の死は終わりではなく、その子供によって休むまもなく物語は再開され、つづけられるから、なにかしらまるで単一の個人が全部の一族の歴史を生きているような錯覚が起こってくる。彼らを支配し、ことこまかく指図するヤハウェという神が歴史をとおして単一の人格として頻繁に登場することも、その錯覚を助長する。また「私」という読者が当然単一の人格で、入れ替わり立ち代り登場する複数の主人公に同じような質の感情移入をするからでもある。これが感覚として少し重いから、読了とともに、ほっとさせられるのだ。

 一族の歴史を書いたものなら、いくらでもあるだろう。だがこの書がその類としては最古かそれに近いものだ。のみならず、天地創造の項目が書き出しなので、「世界」の成り立ちまでも包合してしまっている。エバの時代の裸同然で暮らした人類の時代ももらさない。つまりは過去全体を「ひとかたまり」として、この書は著わしたかったのだ。世界は過去の堆積によって成り立っている。現在のなかにも過去と同一のものが無数に存在している。そして過去は変更できない。ヤハウェをもってしても変更できない、つまり限定されたものとしてこの世界はある。世界や現在を引き受けるというなら、同時にこの「ひとかたまり」の過去を、固有で具体的な過去をも引き受けなけらばならない。それを義務とすべきだ。この書は、読者にそう要請するのではないか。

 またその過去はいうまでもなく神ヤハウェが大きい役割をになっている。歴史はヤハウェが単独で作るのではなく、人との二人三脚でつくられるものだが、ノアの時代に洪水を引き起こしたり、ソドムとゴモラという町を火を降らせて滅亡させたりしている。人間の傲慢さや暴力をいましめるためだというが、ヤハウェ単独の大きな力を見せつける。またヤハウェはアダムから始まる血族の繁栄、その生活の安定と支配権の拡大を時代ごとの一族の代表者に約束している。ヤハウェへの忠誠と謙譲、代表者自身の苦闘、それに人間関係や生活上の道徳心を条件として。俺が守ってやるからおまえも頑張れということだ。「契約」と呼ばれる関係だ。このヤハウェの常在がこの書「創世記」が記す過去の固有性の要である。

 人間は何をしでかすかわからないし、神もまた同じである。前半部に出てくるが、カインという男は暴力的で、アベルという実の弟を殺してしまう。二人は同時期にヤハウェに捧げものをしたが、羊を捧げたアベルはヤハウェに気に入られ、カインが捧げた農産物にはヤハウェは「目もくれなかった」。そこで腹をたてたカインがやにわに犯行に及ぶというものだが、その後がすごい。ヤハウェはカインに対して戒めの言葉をかけるが、厳罰をくだすことを何故かせずに、追放処分のみである。しかもカインを殺そうとする者からの防護も約束する。「カインを殺すものには七倍の報復があろう」と。ヤハウェはゆるやかどころか、えこ贔屓ではないか。この場合、人も神も道徳的だとはいいがたい。カインが系図につらなる重要人物だから庇護したのだろう。こういう人と神の奇妙な関係はほかにもたくさんある。アブラハムの子殺し未遂も奇妙といえば奇妙だ。人も神も杓子定規にはその行動を測れない、安心できない。だからこそ怖れなければならない、それが生であり存在であるという意味なのか。

「創世記」は説話や伝承のかずかずを集めてひとつの物語として編んだものであろう。だから編者はともかくも、著者に当たる人は一人ではない。繰り返しになるが、個々ばらばらであっただろう物語を「ひとかたまり」にした意義は大きい。最初期にこれを読んだユダヤの人々は、過去が民族という集団において同一の大きなかたまりとなって創作されたことに、目を見張る思いがしただろう。もはやこの書以外の過去はありえなくなった。またぼんやりしていた過去が固定された。無であった情報が圧倒するいきおいで「有」として建立されたのだ。現在の私たちには推しはかることのできない文化的衝撃であっただろう。そして一時的な衝撃にとどまらず、その後のユダヤ人を針路として規制することになった。過去の出来事のつらなりは現在を形成している。登場人物の個々は、大きくあるいは小さくまちがったかもしれないが、またヤハウェも完全に公正ではなかったのかもしれないが、ひとつの血族を庇護して、二人三脚で現在にまでたどりついた。その現在が「正しい」のならば、個々の事例はともかくも、現在を形成した過去は総体として「正しい」のだ。そうならば現在もまた未来を切り開くためには過去と同じ方法、ヤハウェへの信仰を厚くしながらの刻苦精励を引き継いでいかなければならない。逆に、現在の正しさへの確信が総体としての過去に大きく投影されたという言い方も可能だろう。この書の成立は古代ユダヤ人のそういう共同的な意志が結晶したものと見る。

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