大洋ボート

絲山秋子『ばかもの』

ばかものばかもの
(2008/09)
絲山 秋子

商品詳細を見る

 たくみな小説だ。人間とはなんて脆い存在なんだろう、それでもふらふらしながらなんとか生きている。ときには、あれよあれよという間に地獄へ転げ落ちてしまう。ああ、俺にも若いとき、こんな感覚があったなと、まざまざと思い出させられた。しかし私は自分の若いころのことを少しか、大部分か、忘れてしまっている。切実さが直截に伝わってこないもどかしさがあり、それが自分でも歯がゆい感じにもさせられる。それに突き当たったこともふくめて衝撃を受けた。

 ヒデという主人公は地元の北関東の大学生で、大学はどうやら二流のようで東京へ出て就職したい希望はあるものの学歴がネックになってうまくはいかないだろうと自分で思っている。どちらかというと怠惰で、のんびりしたタイプの男だ。そんな彼が夢中になるのが、バイト先で知り合った額子(がくこ)という年上の女性で、女性の誘いに乗るままに仲良くなってしまった。冒頭から描かれる彼女の部屋でのセックスの場面が、全体の割合からするとわずかだが、じつにスパイスが効いている。ここでこの小説はほとんど成功したみたいに見える。

 映画によく出てくるようなうつくしさに装いを凝らした描写ではなく、即物的だ。あけすけで、不格好だ。ヒデはセックスをきわめたいという思いにとりつかれている。そのため額子をなんとかして「イカせたい」という願いで頭がいっぱいだ。「好きだ」という言葉もセックスの際にふるいたたせる類でしかなく、じつに陳腐だが、本人にとっては「好きだ」は、そういう意味では切実だ。うまく行為を果さねばという思いが渦巻いている。額子のほうはどうか。男を部屋に入れるからには男を好きにちがいないし、セックスもしたいのだろう。だが上辺か、身体を開きながらもふてくされた、馬鹿にした態度をとりつづける。男にとっては屈辱とも見えるが、遊びと混ぜこぜだと思えば気にしなくても済む。とにかくセックスは身体を動かすこと、「どすん」というような音がしそうだが、そんなことは書かれず、会話が見事にはまる。

「うっ、うっ」
額子が吠える。吠えればいい、俺のすてきな犬。俺の額子。俺の。俺の。
「額子、すげー気持ちいいよ」
「……」
「額子も気持ちいい?」
「っせーな」
 ああ、ここで額子がかわいい声を出したら俺はイクところだった、とヒデは思う。(p12)


額子が僅かに体をずらし、
「くせえ」
と言う。そういうな額子、おまえの分もあるんだぜ。ギョーザはもうすぐタイムリミットだ。なんとか食ってくれないか。ビールだったら今取ってきてやらあ。
「額子うまいよ、食うか?」
「……いらねー」
(中略)
額子って、終わったあとの方がかわいいよな」
「ばかもの」(p22)


 セックスによって相手と一体になりたいという思いはだれにでもあるだろうし、切実さがこもるだろう。上手になりたい、「イカせたい」のだ。「一体になる」ことはセックスにかぎられたことではないが、そこは若い人の盛んな本能があってどうしてもセックスが突出してしまいがちだ。また「一体になる」ことを除いてもセックスそのものへのコンプレックスもある。壁をぶち破りたいという思いだ。ところがこれが女性にとっては単に体を無闇にひっつけてくるだけのうるさい存在にしか映らないことも頷けるところだ。まして単に性交渉なら相手はだれでもいいと男女とも割り切ってしまうことにも通じるし、相手がそんな思いを抱いていると憶測もしかねない。だから幅広い意味で相手を「助ける」ことや「愛する」ことと、セックスによる一体化願望とはともすればズレが生じてしまうのだ。セックスにそうした「助けたい」や「愛したい」という感情を一緒くたに封じ込めたつもりでも、相手には伝わらないことが往々にしてある。また自分の怠惰がそうしたセックスと同伴すべき感情をおろそかにしたり忘れてしまったりもする。こういう分析がこの小説の冒頭の部分にぴったりと添うものなのか少し心許ないが、書いてみたくなった。

 やがて、ヒデの剥き出しの本能と、これも本能的にそういうヒデを嫌がった額子との関係はまもなく破綻してしまう。額子がヒデの下半身を露出させたまま、公園の木にベルトで縛りつけてそのままさってしまうのだ。だが後半部において二人は紆余曲折ののち関係を復活させる。省略的な書き方と私が書いたのはそのことにも通じていて、このときの関係を二人が見直したからだ。見えにくいが、愛情のかけらはあったことになる。

 中盤部においては凄まじい展開がある。地元の家電量販店に就職し,翔子というガールフレンドもできて同棲もし、社会人としての順調な滑りだしをしたかにみえたヒデだったが、アルコール中毒という地獄が待っていた。ここも、そうだなあと、私なりに唸らされた。若い日とはともすれば身体感覚を重要視する、本能的にもそうだろう。幸福に満ちた生活にあって、その幸福感を少しでも感覚的に延長し、拡大したいのだ。私の若い時代もそうだったが、そのときにはおもしろいかおもしろくないかという感覚的な二者択一を過大視する。やがては、人生はそんなにおもしろくはないものだという結論に自然に達すると「おもしろい」という尺度も、しだいに落ち着いたものに変貌していくのだが……。たまたまヒデは酒に滅法強い体質だった。酒量がどんどん増えていく。本人の記憶がとんだ時間のなかで、翔子はじめ友人らに乱暴狼藉をはたらいてしまう。忠告を受けるが酒をやめられない。人がみんな去っていく、会社も無断欠勤が多くなって辞めざるをえなくなる。鬱屈がつのるとまた酒。酒の快感はしだいにわずかな時間でしかなくなり、かわりに酒への飢えに支配される。それに飲酒後のどうしようもない倦怠と徒労、わかっていても、そのサイクルから逃れることができない。人間はほんとうに脆いものだ。結局は本人の決断で入院治療によって快復をえるが、だれにでも大小はあっても、なにかしら人生の経過のなかには予断をゆるさない罠が待ち構えているんだなあと、怖ろしさを味あわされた。そしてまた、そういう危機を克服しないかぎりは人はまともにはなれないのだ。アル中のような厄介さでなく、もっと小さなものであっても。

 ヒデが立ち直るよすがとしたのはプライドである。人に軽蔑されたくないという最低限のプライド。しかも自分では自分を激しく軽蔑する人間が。人の輪のなかにとどまっていたいのだ。これは実際に人が立ち去ったあとでも強く願われる。これがないと滑り落ちてしまう。説教くさい感想文になりつつあるが、挙げておこう。

 俺の体はもちろんアルコールを激しく欲していたが、それ以上にこのおばやんに軽蔑されることが怖かった。そうだ。俺はあらゆる人から軽蔑されることが怖い。両親に。ネユキや加藤に。いなくなった翔子に。額子に。そして額子の母親であるこのおばやんに軽蔑されたら、俺はまた死んではいけない理由を見落としてしまいそうだった。俺は何よりも軽蔑されることが怖くて、それ以上に自分で自分のことを軽蔑してきて、それなのに人から軽蔑されることを長い間、ずっとやってきたのだ。
「俺、今日は飲まないよ」
 自分の声ではないような気がした。なにかによって喋らせられているようだった。(p102)



 「おばやん」は額子の母。ちいさなおでん屋をやっていて、額子が姿をけしたあともヒデはそこに飲みに行っていた。これが額子との再会を可能にしたことは言うまでもない。

関連記事
スポンサーサイト
    22:47 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top
Comment







(編集・削除用)


管理者にだけ表示を許可
Trackback
http://oceanic.blog70.fc2.com/tb.php/334-44e8d2a3
プロフィール

seha

Author:seha
FC2ブログへようこそ!

カレンダー(月別)
10 ≪│2017/11│≫ 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
最新の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
月別アーカイブ
全ての記事を表示する
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
ブロとも申請フォーム
ブロとも一覧
ブログ内検索
RSSフィード
リンク