大洋ボート

空気人形

 だれかがチラシに書いていたが、痛々しい感覚がよく表現されている。それにまた、みずみずしさもある。ストーリーの展開はあるにはあるがゆったりとしていて、動きの少ない魅力的な映像がふんだんにあり、視聴者は立ちどまらされる。私にとってはある種のなつかしさ、若い時代にあった勤労すべき社会とうまくなじめないという困惑、また途方に暮れてしまうような徒労と倦怠、こういうものを思い出させてくれる。その奥に見えかくれするのが核心としてある痛々しさ、みずみずしさなのではないか。

 主人公は人形で、ペ・ドゥナという韓国人女優が演じている。レストランでウェイターをしている独身の板尾創路のペットで、セックスのはけ口である。ダッチワイフという言葉は古いのかどうか、そのものだ。この人形がふと「心を持って」しまって、アパートの一室からさまよいでて、さまざまな人たちと短い交流をかわすという童話的な話だ。服装も、黒の上下に白のエプロンという可愛いメイドスタイルだ。

 ペ・ドゥは虚空の一点を凝視しつづけるような表情を終始たもつ。寂しげであり、緊張の糸がぴんとはりつめられて繊細である。たいへん魅力的でもある。人形の世界から出てきて人間の「心」を持ってしまった当惑とこわさとはこういうものなのかと、不思議に納得できてしまう。ところで「心」とは何なのか、この映画では、それは他人と交流を持ちたい、愛し合いたいという欲求であり、裏返せば、それが満たされなかったときの絶望だ。人間はそういう心を持っているのか、本来ならもっていておかしくはないが、ここに登場する人物はそういうものと無縁だ。

 板尾創路は職場でミスをして、上司にあたるシェフにこっぴどく叱責されるが、へらへらした愛想笑いを絶やそうとしない。かじりついてでも職場にとどまろうとする姿勢がありありとみえる。「おまえの代用品はいくらでもいるんだ」と言われても驚かない。つまり自分もまた「代用品」に過ぎないということだが、プライドが傷つくこともない。何でもいい、それだけ職にしがみつかなければ生きていけないのだろう。愛以前の問題としてそれはあり、だから愛には目を向ける余裕がなくなっている。だが「心」をもってしまった人形のペ・ドゥにとっては「代用品」という言葉ほど痛いものはない。後半、しばらくぶりに板尾のアパートに帰ってくるペ・ドゥだが、板尾がはや別の人形とベッドで寝ているのを見てショックを受けるのはうなずける。

 ペ・ドゥはレンタルビデオ店にふらふらとさまよいこんで、そこでアルバイトをすることになって店員のARATAと恋人関係になるが、ARATAはやがてペ・ドゥが人形であることを知ってしまうと、それまでの「愛」を意識した真面目な態度を一変させる。魅力的な女性が人形であることを知ったとき別の緊張感が彼に走る。いろめき立つのだ。板尾ほど人形には狎れきっていないARATAだが、性への好奇とペ・ドゥの人形が重なる。人間に見えるペ・ドゥを人形扱いしてみたくなる。これも「心」をもってしまったペ・ドゥにとっては許しがたく、奈落に突き落とされた気にしかなれない……。

 生きるためには「心」や愛を摩滅させることも辞さない人間と、「生きる」必要のない人形が人間の世界に一歩踏み出して「心」をもってしまった、その位置の人形には「心」しか拠り所がないということの逆説、そういうことがみずみずしく表現された映画だ。人物関係の記述に手間をかけたが、映像もうつくしく、痛切だ。何度か登場する空き瓶や埃をかむったりんご、これらはゴミを入れたビニール袋の置き場といっしょに映される場面がある。つまりは用済みのたんなるゴミに過ぎないのだが、向こう側の人形の「心」の世界から透視すると、これほどうつくしい切ない存在はない。映像のこの見事な二重性。それにまたペンキの剥げかかったみすぼらしい公園のベンチと、向こう側にそびえる空を覆い隠すほどの高さのビルディング。この対比も社会の無気味さをよく伝えている。社会とは何か、それはとにもかくにも巨大な装置で、そこにぶらさがっていなければ生きていけない。一定時間、そこに身をおかなければならない。時間が過ぎたとき、年をとったとき、そこから逃れられる。そして公園のベンチに腰掛けて巨大ビルを眺めたとき、不可解さが起こらないはずもない。それを視聴者に端的に喚起させる映像だ。撮影は台湾出身のリー・ピンビン。

 最後になったが、板尾創路はうつろな表情がたいへん自然に出ていて、いい。テレビタレントよりも、俳優のほうがあきらかに向いている。
★★★★

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