大洋ボート

プラトン「クリトン」

ソクラテスの弁明ほか (中公クラシックス (W14))ソクラテスの弁明ほか (中公クラシックス (W14))
(2002/01)
プラトン

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 死刑判決がくだされて獄舎につながれているソクラテスのもとに、幼友達で支持者でもあるクリトンがこっそり訪ねてくるという小編。夜明け前でソクラテスが眠りから覚めたころだ。クリトンは獄舎の人に賄賂をにぎらせて、やすやすと侵入した。彼はソクラテスに脱獄をすすめる、外国での生活の準備も整っているという。クリトンをはじめソクラテスの支持者は、彼に死刑判決が下されたことが無念でならない。裁判にもちこんだこと、そこで無罪を勝ち取れなかったどころか、ソクラテスの不遜ともとられる態度も影響して最悪の結果を生じさせたことに腹立たしい思いがある。無力であり、自分たちとしては男らしさが欠けるとも言う。だからソクラテスのためは勿論、自分たちの名誉挽回のためにも是非脱獄させなければならないと決意を固めている。だがソクラテスはこれをきっぱりと断る。

それはつまり、大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、善く生きるということなのだというのだ。(p111)



 有名な言葉だそうだ。「善く」はまた「美しく」や「正しく」と同じでなければならないと言う。ここでは「正しさ」を前にもってくるが、ソクラテスほど「正しさ」の身をもっての実践にこだわった人は、それほどいなかったはずだ。脱獄と判決に服することとを見比べて、後者こそが正しい道だとひるまずに断定する。前者は「ただ生きる」ことそのもののようだ。

 ソクラテスは国家や法律の秩序を重んじるというよりも絶対視した人であった。それら公的秩序を父母と子の美しい上下関係にまでたとえる人である。紀元前のことだから、国家や法律というものの整備や施行はまだまだ草創期であったのではないか。だからその秩序をあまねく行き渡らせること、逆に言えば、無法状態での支配や処断をすみやかに廃止することが、彼の「正しさ」の目標ではなかったかと推察する。ソクラテスの裁判など、今日的視点からみれば無茶苦茶なところがある。最初に罪の有無を決めて、有罪ならそのあとで被告の態度を吟味してから量刑を、死刑か罰金刑かを決める。陪審員にたいしていかに従順かを品定めする体のもので、陪審員は容易に感情に流されてしまう。この裁判では命が羽のように軽いのだ。だがそれでも当時としては、正式な裁判であり、そこで下された判決だから、ソクラテスは「正しさ」の選択として刑に服することをとった。

 ソクラテスは私的な復讐や仕返しを忌み嫌った。自分の望んだ判決が下されなくても、裁判は裁判であり「正しさ」のあらわれだ。一方において裁判の実施を善きこととしながら、判決が不服だからといって脱獄などしてしまうのは「正しさ」の瓦解ではないか。一旦旗を押し立てた「正しさ」は中途半端であってはならないのだ。正しさを身をもって前面に押し出すこと、現世に広く知らしめること、正しさのお手本とみずからが化すことが、ソクラテスの生きる目的であったように思う。それはまた、大衆など多数派の意見に服することでもなく、正しさは言い換えれば神であり、その指針にいさぎよく従うことを意味した。

 国家や法律がいつも正しいとはかぎらない。法律はどんどん作り換えられていくし、それにつれて国家の姿、大衆にたいするありようも変化する。そこに絶対的な正しさが前もってあるなどとは、とても言い切れない。そこは私でなくともソクラテスには違和感を抱くにちがいない。だから正しさの内容ではなく、それを主張するとともに実践に定着させるところ、そのどっしりとした外観が私たちに畏怖を呼び起こすのだ。

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