大洋ボート

半藤一利『昭和史 戦後篇』(3)

 マッカーサーの日本に対して意図するところは、軍事力の徹底的な解体とその再編の芽をつぶすことであった。また宗教的にいちじるしい権威をもつ天皇を国家権力の中枢から引き離すことであった。占領政策を早く終わらせるためにも、それを完遂させなければならなかった。彼のこの意図は、改正された新憲法において十二分に結実した。陸海軍を保持しない、交戦権を放棄するという理想主義的な憲法九条と、天皇を国家主権者から「象徴」に引きずりおろすことであった。旧憲法第一条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあるが、マッカーサーはこれを看過しなかった。形式的であったとしても、天皇が政治上の最高権力のままであることは、天皇の処分を強くもとめる連合国に対しても納得させられないという思いだったろう。勿論、天皇の宗教的権威の否定のメッセージは誰よりも日本国民に向けられていた。

 その目的でもあろう、憲法改正に先立って天皇の「人間宣言」なる詔勅が発表された。GHQがときの幣原首相以下の政治担当者に要請してできあがったもので、英文が先にあって日本語訳(このときは難解な文語)が日本人に発表されるという逆の順番は日本国憲法とまったく同じ形式になっている。ここで、天皇は天皇家の根拠と源泉として位置づけられていた神話と伝説とのつながりを否定した。また自分は「現御神」(あきつみかみ)ではない、日本民族が他民族に比べて優秀だなどいうことは嘘で、したがって他民族を支配してもよいという観念もまちがいである、こういう趣旨である。新聞発表は昭和21年1月1日。

 「朕とナンジ等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず。天皇を以って現御神とし、且日本国民を以って他の民族に優越せる民族にして、延いて世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基くものにもあらず」(p141,2)


 半藤一利はこのときのことを記憶しているが、意味はさっぱりわからなかった。それよりも同時に発表されたGHQの指令の修身、歴史、地理の学校授業の廃止のほうにむしろたいへん驚いたという。これまた、GHQから見た日本の好戦性を根拠づける「後進性」(日本は神の国というような)の一挙的な否定になろうか。「人間宣言」と同じ意味合いであり、強制であっただろう。

 日本側はGHQの要請を受けて、幣原喜重郎内閣(昭和20年10月~21年5月)の元で「憲法問題調査委員会」いわゆる松本委員会を設置した。日本の政治担当者のあいだには、日本は国体護持を条件としてポツダム宣言を受け入れたという了解があって、天皇の地位の変更には手をつけられなかったようだ。この間の経過をたどることは煩わしいが、要は憲法草案なるものは明治憲法の骨子をそのままにして文章をいじくる体のものであったらしい。GHQは松本委員会の草案を新聞の特ダネによって知ることになり、草案作成を日本人には任せておけないと決意したようだ。日本の政治家は、日本の政治体制の大改革をめざすGHQの強い意思をよく見抜けなかったのか。それとも旧権力たる天皇(旧憲法が生きているあいだは現権力ともいえる)をより重視し、忠誠心を発揮したのか。そこはわからない。結局は、日本人の草案は新憲法には生かされず、GHQ民生局という部署のスタップ25名がわずか1週間(昭和21年2月5日~12日)で、新憲法にあたる草案(英文)を完成させてしまった。そのことを日本の政治家がはじめて知るのは、同年の2月13日、つまりアメリカが憲法草案を作成し終えた翌日である。日本側は、日本の作成した草案を持っていって協議にのぞもうとしていたのである。

 GHQは、アメリカ作成の憲法を受け入れたなら、天皇の身分は保障される、裁判にかけられることもない。また日本国はすみやかに独立を達成できる。日本国民も自由を与えられる。こういうことを噛んで含めるように言った。またにわかには信じられないが、ある書物(マーク・ゲイン著『ニッポン日記』)によると、そのときに協議の場所であった外務大臣官邸の上空をB25が低空飛行して轟音とともにガラス戸を響かせたという。アメリカ人が去って日本人(吉田、松本、白州ら)が英文のコピーを読んでいるときのことで、威嚇の意味を持たせたのだろう。アメリカも本気だったようだ。吉田茂らは「驚天動地」だったが、問題は天皇ならびに国会等で他の政治家を納得させられるかどうかという重い課題をつきつけられたことだった。だが天皇はまたもや、というか、鶴の一声でいともあっさりと「象徴」を認めてしまい、政治日程をスムーズに運ばせる役目を担った。幣原が天皇に会って、新憲法のことを相談したのは2月22日。皇居内の御文庫というところだった。天皇は「象徴天皇」「主権在民」「戦争放棄」の新憲法の骨子をこのとき初めて知ったことになっている。また旧憲法の規定には天皇の承諾(勅命)がなければ改正できないことになっているので、これは必須の手続きだった。天皇は決断を留保せずにその場で承諾した。幣原平和財団編『幣原喜重郎』という本によれば、天皇はこう言った。

「最も徹底的な改革をするがよい。たとえ天皇自身から政治的機能のすべてを剥奪するほどのものであっても、全面的に支持する。」(p197)


 幣原首相の説得がうまかったのかもしれないが、私は昭和天皇の嗅覚の鋭さをそこに見たい気がする。天皇主権を手放すことには、政治家の多数による頑強な反対が考えられたが、天皇の承諾はその力を弱めさせる作用がある。またアメリカに対しての抵抗の空しさも、あらかじめ読んだのではないか。また「象徴」を認めることによる「戦争責任」の回避も計算に入っていただろう。さらに政治の世界がわずらわしいと思うなら「象徴」は「元首」よりも一歩ひいたところにあり、穏やかさも増す。天皇は動くときには動く。政治家がぐずぐずしている様子をみて、自分の決断を欲しがっているのではないか、それを考慮してズバッと動いてみせるのだ。つまりは天皇もまた政治家であり、その自覚があると見る。日本国憲法は昭和21年11月3日に公布され、翌年の22年5月3日からの施行が決まった。

 昭和天皇が重大な政治的発言をしたことが、時期がややあとになるが、ある。22年9月のこと、政府内でいわゆる「有事」の際の日本防衛をアメリカに依頼する構想が持ちあがった。のちの安保条約の原型だと半藤は言う。日本とアメリカとの事前の相談が前提になるが、「有事」には本土に大挙アメリカ軍を駐留させる事態を想定しなければならない。そのときは既に新憲法は施行されていて天皇が政治に口出しすることは禁じられているが、あえて天皇は禁を破った。天皇と政治家が政治上の生臭い話を交わすことが、そのときに至るも残存していたようだ。天皇はアメリカ軍の大挙しての本土再上陸に不満だった。そこで沖縄を使ってもらえと、宮内府の通訳を介して連合軍に進言した。

「天皇は、アメリカが沖縄をはじめ琉球ほかの諸島を軍事占領し続けることを希望している。天皇の意見によると、その占領はアメリカの利益になるし日本を守ることにもなる。(中略)天皇がさらに思うに、アメリカによる沖縄(および要請があり次第ほかの諸島嶼)の軍事占領は、日本に主権を残存させたかたちで長期――二十五年から五十年ないしそれ以上――の貸与をするという擬制のうえになされるべきである」(p315)


 またしても随分踏み込んだ発言、というよりも沖縄住民にとっては迷惑このうえない発言であることはまちがいない。はたしてこれは「すぐれた戦略家」であるかもしれない天皇自身の構想による発案なのか、それとも、そういう案はあるものの腹に隠しているかに見える当時の政治家、片山哲首相や芦田均外相の身代わり的な役を果したつもりだったのか。もし後者だとしたら、愚図る政治家と突出発言をする天皇という、この論で何回か見た光景と見事にかさなってしまう。だとすると、新憲法下にもかかわらず、政治家が責任回避とともに天皇を政治利用したことになる。どちらであっても私には厭な思いが残る。知らせを受けたアメリカは「なるほど、名案」(半藤)だとばかりに喜んで受け入れてしまい、戦後の長期間、事実そのとおりにしてしまった。アメリカもまた、政治からの天皇の隔離を憲法に書き込みながら、このときばかりは今だ習癖として残存する天皇の政治的権威を御都合主義的に利用したのだ。返還後の現在でも、日本国内のアメリカ軍基地の75%だったかは、沖縄に集中配備されている。また、書くのが気がすすまないが、東京裁判の進行中の時期でもあった。裁かれているA級戦犯との区別を際立たせるための、あるいは「アメリカの協力者としての天皇」を決定づけるための天皇の言動であったのかもしれない。

 憲法9条について少し触れておく。これはマッカーサー自身の強い意思がはたらいていると半藤はする。幣原喜重郎の「非戦」の外交方針にヒントを与えられたのではないかとの推測には半信半疑である。軍人が一国家の非武装を永遠のものとするという方針は、ちょっと考え出しにくいとも思われるが、彼は日本をそうすることが真に必要だと見做していたようだ。軍事同盟は当時の蒋介石の中華民国と結ぶことで事足りるという戦略だった。のちにこの構想は、蒋が毛沢東の中共に敗れたため破棄せざるをえなくなる。昭和24年から冷戦が激化の様相をみせはじめて、日本も自衛隊の前身となる警察予備隊を創設することになる。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」どころではなくなった。だが憲法はすでに施行されていた。しかも衆議院の三分の二以上の賛成がなければ改正できないという「硬質憲法」であった。マッカーサーのみならず、現在のアメリカにとっても、この憲法制定は大きなミスであっただろうか。しかし私は、この憲法ができて、この憲法のもとで育ったことを喜びたい。アメリカの世界戦略とやらに引っぱられて、喪わなくてもいい人命を喪わずに済んだのである。憲法が想定する日本と実際の日本の現実とは乖離しているという人がいるが、それでもいいではないか。理想は理想として眼に見えるかたちで残しておきながら、妥協するほかないところでは妥協すればいいと思う。(了)
関連記事
スポンサーサイト
    09:51 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top
Comment







(編集・削除用)


管理者にだけ表示を許可
Trackback
http://oceanic.blog70.fc2.com/tb.php/324-651a60e7
プロフィール

seha

Author:seha
FC2ブログへようこそ!

カレンダー(月別)
10 ≪│2017/11│≫ 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
最新の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
月別アーカイブ
全ての記事を表示する
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
ブロとも申請フォーム
ブロとも一覧
ブログ内検索
RSSフィード
リンク