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半藤一利『昭和史 戦後篇』(2)

昭和史 戦後篇 1945-1989 (平凡社ライブラリー)昭和史 戦後篇 1945-1989 (平凡社ライブラリー)
(2009/06/11)
半藤 一利

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 当時の日本人が天皇に対してどういう感慨を抱いていたのか。私は生れていない時期なので、また現在とあまりにも世相がちがうので想像をしにくい。言えることは、天皇のため、国のためというスローガンのもと、やたら多くの人が命を粗末にして死んで行った戦争の時代から、まだほとんど隔たりのない時代であるから、天皇に対する崇拝の念は、多くの人の中に固く保持されたままであったことは当然考えられる。また逆に、急速に戦争から戦後へと空気が入れ替わった時代だ。「天ちゃん」という天皇を揶揄する言い方がいつからはじまったのかは不明だが、来る日も来る日も食糧のことを心配しなければならない時代でもあり、戦中の強制力もなくなったのだから、天皇の存在が影の薄いものに変わっていったことも、多くの人のなかでは事実だろう。社会主義思想が普及して、天皇のGHQによる処分に賛成する人もいたという。私は他人事のように書くが、私自身に当てはめると、つまりこの時代に私をタイムスリップさせたらどうなるか、少し考えてみたがよくわからない。若いときのように左翼であれば、ためらいなく天皇の処分に賛成するだろうが。

 左翼であった時代は定式にのっとってそう見做したに過ぎず、左翼のときもそれ以後の長い年月のなかでも、天皇についてそれほど多くの時間を割いて考えたことがない。また、天皇にまつわる政治的な事件も、私にとっては皆無に等しかった。昭和天皇の死と大げさな国葬も、国やマスコミの全体が腫れ物を扱うような感じで、違和感はあったが、日常生活には差し障りはまったくなかった。考える必要に迫られなかった。左翼も右翼も後退し、天皇を神輿に担ごうという政治的動きもほとんど力をもたなかった。だから私にとっての天皇とは「無」に近い存在であった。「無」に等しいのではなく「近い」という言い方をするのは、くどいが、まともに考えたことがないため留保しておきたいからだ。

 歴史のイフであるが、天皇が東京裁判に出廷させられて何らかの処置を下されたなら、日本人はどういう動きをしたのだろう。裁判でなくても、「元首」「象徴」といった憲法の体系から除外されて,国事にいっさい参加を許されない存在に成り果てたとしたら。これもわからない、GHQに対する抗議行動がわきおこることは考えられるが、それがどの程度の規模なのか。また現在に至るまでのその後の日本人の精神形成にどんな影響を与えたのか。明るくは決してなく、暗いにちがいないが、荒廃、殺伐、そんな言葉によって表現されるべきものなのか。これも答えは出せないが、憲法において天皇が元首から象徴に変わったことによる日本人の精神の変化という問いかけには、どうこたえるべきだろうか。これはイフではなく実際に進行したことだ。だがこれも一口で言い表すことは困難な気がする。天皇という特別にあつかわれる人がいて、私たちにはその挙措を十分に把握することができない。政治には普段は口を挟まないが、重大な局面になると法規やこまかい内規にのっとって、国民大衆のまえに姿を見せる。あるいはなんらかの言葉をたれる。こういう天皇の戦中戦前のありようが廃止された、政治的に利用されることのない「象徴」という身分に「格下げ」された。このこと自体には、私は大満足である。頭の上の重石がとりはらわれた解放感があるというものだ。一方において、経済復興一辺倒という言い方には批判や皮肉がこめられているが、あるいは天皇のこの身分の「格下げ」がセットになっているとも考えられる。問題が茫洋としてきた。答えがますます見当たらなくなる。

 東京裁判は昭和21年5月3日に開廷し、23年11月12日の判決まで行なわれた。知られているように東條英機以下7名が絞首刑となった。この裁判に対しては、政治家はもとより一般の日本人もそれほど大きな抗議の声をあげたという痕跡はない。天皇の処遇については無視できない数の日本人が関心を持ち、先に触れたようにGHQにたくさんの手紙が寄せられた。この人たちは東京裁判の被告にどういう思いを抱いたのか。半藤のこの本には触れられていないのでわからない。が、想像をたくましくすると、天皇と軍や政府の高官はまったく異次元の区別すべき存在だと見做したのではなかったか。後者は交替可能だが天皇はそうではなく唯一無二の存在であり、神でさえある。明治憲法第三条は「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」とある。これは法律的には追い詰められない(日本人によっては)存在としての天皇が浮かび上がるが、ここでは法律論ではなく、天皇を神とあがめる感性や日常習慣がある人々にとっては骨の髄までしみこんでいたことからくるのだ。天皇以外の人間は一段位が下なのだ。天皇には戦争責任があると私は思う。内心で非戦論者であったとしても、また軍事作戦に直接の指揮をふるわなかったとしても、政府の戦争遂行における重大決定には天皇の裁可が不可欠であったという。また昭和16年の連合国への宣戦布告も天皇の詔勅の体裁をとっている。だが天皇をあがめ信仰する人々にとっては、そんなことは埒外である。せいぜい、部下が下手を打ったせいだと見做す。その部下が裁判にかけられるとなっても、天皇がかけられるのとは風景がちがう。冷淡さが顕れるのだ。うがちすぎの想像かもしれないが。

 以下の半藤一利の語りは東京裁判ではなく、直接には天皇の憲法上の身分の変更に対する日本人の反応を推測したものであるが、東京裁判はもとより当時の日本人の心情の中心を言い当てているように私には思える。個別の思いではなく、全般的な空気としてそうではなかったかという推測であり、また当時中学生だった半藤の回顧でもある。「GHQと寝てしまった日本人」とは、なかなかうまい言い方だと思う。

 当時の日本国民は、戦争の悲惨を痛感していましたし、軍部の横暴にこりごりしていましから、平和や民主主義や自由といった、占領軍が示してきた新しい価値観を貴重なものと感じる人が多かったと思うんです。悲劇をもう一度繰り返したくない、戦争は本当にこりごりというのが現実でした。そこに敗戦の虚脱感が合わさって、なんというか、日本政府よりもアメリカを信じている人のほうが多かったのではないか、と私などは観察するのです。すでに二百日に及ぶ占領下の生活のなかで、下品な言い方をすれば、GHQと″寝てしまった″日本人にとっては、GHQは日本政府よりもよっぽど信頼のおけるいい旦那だったと思わないでもないんです。それ以上に、GHQの政策によって、なんとなしに日本にたいする嫌悪感のようなものが強くなって、むしろアメリカへの親近感をもちはじめていたんですね。(p193)

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