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半藤一利『昭和史 戦後篇』(1)

昭和史 戦後篇 1945-1989 (平凡社ライブラリー)昭和史 戦後篇 1945-1989 (平凡社ライブラリー)
(2009/06/11)
半藤 一利

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 サブタイトルは「1945-1989」となっているが、戦後10年ほどの記述が大半を占めている。高度成長が軌道に乗った1960年代が戦後という時代の完成とみられ、以後は比較的平坦な時代がつづくので必然的なことかもしれない。日本の土台がしっかりと固まらなかった時代により興味を注ぐのは歴史家として当然だろう。私も戦後の10年間により興味を持つが、ここでは天皇と憲法の問題についてとりあげて、若干の感想を記したい。

 昭和天皇とマッカーサー元帥(日本占領連合軍最高司令官)の第1回会談は昭和20年9月27日に行なわれた。当時外務大臣であった吉田茂などの根回しが事前にあったという。場所はGHQ本部が設置された第一生命相互ビルではなくてアメリカ大使館、また天皇はわずか車2台での移動であった。つまりは「お忍び」であり、国民に知らせたくはなかったのだ。

「私は、国民が戦争遂行にあたって政治・軍事両面で行なったすべての決定と行動にたいする全責任を負うものとして、私自身をあなたの代表する連合国の裁決にゆだねるためにおたずねしました。」(p39



 マッカーサーの回想録からの孫引きである。日本の外務省の公式記録では、この天皇の戦争責任への言及をふくめた発言はなかったことになっているという。しかしマッカーサーはじめ、複数の証言者がいて同じ趣旨の天皇発言を書きつけているので、半藤は発言を事実とする。バイニング夫人(当時皇太子であった現・平成天皇の家庭教師)という人は、マッカーサーからの聞き書きとして、天皇はマッカーサーに対して、こう発言したという。

 

天皇「あなたが私をどのようにしようともかまわない。私はそれを受け入れる。私を絞首刑にしてもかまわない」(p41)


 天皇は突出している。秘密を大前提にした会談とはいえ(マッカーサーはのちにこの禁を破った)踏み込めるかぎりの発言ではないか。以前からこの発言は知っていたが、今あらためて素直に驚くとともに、畏敬の念を当時の天皇に向けずにはいられないのだ。「国体の護持」を条件として日本はポツダム宣言を受け入れて降伏したのであり、天皇自身もそれを知っていた。国体とは天皇の国家主権を指すのだし、それ以前に、天皇の生命も当然保障されるべきものとしてあるのにもかかわらず、それをふりすてんばかりの発言ではないか。戦争における自決、玉砕、神風特攻隊などの死の連鎖の壮絶な空気を、天皇自身もおそらくは引きずっていた時代とはいえ、凄まじさがある。天皇がマッカーサーにどういう発言をすべきか、側近の人や政治家に事前に相談したのだろうか。それはわからない。だが、相談を受けたなら、周囲の人々はやはり制止したのではないか。国体の護持を最重要の政治目標とする日本の政治家からみれば、天皇みずからが戦争責任を認めることは相手国に追求の材料を与えること、裁断を誘発することにひとしいからだ。

 ただ、こうも考える。天皇自身の肉体を持ってする8月15日につづく第二の降伏宣言ではないかと。私は逃げも隠れもしない、また反抗の意思もない、あなたがたに全面的に恭順の意を表明する、というように。開戦の詔勅も天皇の名においてなされたし、終戦の日の玉音放送も天皇みずからの声によるものだ。軍人や政治家は影でこそこそすることはあっても、大舞台に立つのにふさわしい人間は結局は、この国においては天皇という自分しかいない、真に日本を代表して説得力ある言葉を吐く人間は自分しかいない、天皇にはそういう自覚があったのだろう。自惚れではなく、戦中にも戦後にも独裁者は日本には存在せず、結局は自分のところに順番が回ってくるという自覚だ。立派な男が大勢いても頼りにならない。天皇にとっては寂しいことではないだろうか。一方、周囲の政治家をみると、天皇(国体)を守ると言いながらも、マッカーサーに対してこういう発言をする天皇を制止できなかったのだし、天皇の身分保障の見通しをだれも持ち得なかったのである。ちなみにこの会談に先立つ9月11日には、GHQから主要戦犯容疑者39人の逮捕指令が発せられた。天皇もどうなるかわからないと、政治担当者が考えても当然だったであろう。天皇自身も「国体の危機」が視野に入ったであろうから、「絞首刑」発言は、みずからの未来予想の部分でもあった。

 マッカーサー自身も天皇をどう取り扱うか、処分を下すべきかどうかで迷ったらしい。アメリカ本国や他の連合国は死刑かどうかはともかく、なんらかの処罰を天皇に下すことに積極的であった。アメリカの「ギャラップ調査」という少人数を対象にした世論調査によると、実に70%にのぼるアメリカ国民が処罰の必要ありと回答している。(20年6月)

処刑せよ 三三%
裁判にかける 一七%
終身刑とする 一一%
外国へ追放する 九%
そのまま存続 四%
操り人形として利用する 三%
無回答 二三%



 連合国の趨勢的意見をそのまま受け入れたならば、マッカーサーは天皇を裁判つまり極東国際軍事法廷(東京裁判)に列席させたにちがいない。それができる権能を彼はもっていたのである。だがそうはしなかった。天皇に会って(会談は計11回)彼の人柄にたいへんな好印象を抱いたのも大きな要因にちがいないが、天皇に処罰を加えることによっての日本人の反乱、ゲリラ戦を惹起することをおそれたのだ。そうなれば大量の人員の軍隊を長期にわたって駐留させなければならない。せっかく平穏に行きかけた日本統治が水泡に帰すというわけだ。またマッカーサー宛に、天皇の処罰回避を懇願する手紙が一般大衆から膨大な量で寄せられた。引用された手紙をさらに私流にかいつまむと、天皇は日本国の伝統の根幹をなすものであり、天皇の存在なしにはわれわれは生きていけない、天皇にたいする信仰心はもっとも大切だ、もし天皇を裁判にかける事態になったら、われわれはアメリカにたいして「今後永久に一大憎悪を抱く」、こういう激しい調子はもとより、子供のたどたどしい文面まであるが、主張は同じだ。マッカーサーは矢面に立たされた心地だっただろう。東京裁判の条例が公布されたのが昭和21年の1月22日。
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