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角田光代『三面記事小説』(1)

三面記事小説三面記事小説
(2007/09)
角田 光代

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 犯罪を擁護できるのは文学(芸術)だけではないかという感想を持った。明らかとなった犯罪に対してその犯人を警察が捕まえ、法律が裁き、社会が非難する。放置することはできない。これで間違いはないのだが、犯人はいかなる背景と動機にもとづいて犯行に至ったのか、微細に眺めると、だれでもが陥りそうな感情の沸騰がある。「愛」や憎しみという感情を浮かべやすいが、それがどうにもならない状態にまでなって、引きずられるままに犯罪にまで走ってしまう。犯罪者にならずに一歩手前で、理性によってブレーキを掛けることができてもその人間の感情や心理は、犯行直前の犯罪者と共通するところが少なからずあるのではないか。また、犯罪者特有のナルシズムがる。今このときの自分の状態は人生にとって二度と訪れることのないかけがえのないものだ。ならばその「世界」にブレーキをかけて凍結させたり、記憶しようとしながらも少しずつ忘れていくよりは、「世界」に忠実に、生々しさのままに感情を引きつづき解放してやったほうが、人生はそこでひとつの完結を成すのではないか。こういうナルシズムの内実を小説家が言葉で解剖し、救いとる。そうすることで、犯罪は単に犯罪者固有のものから、そこまでには至らなかった人々の内心の葛藤までも広く救い上げることができる。社会や法律の非難や措置とは別に、文学は人間のある種特異な状態を明らかにして、擁護する、やさしい眼差しをそそぐ。そんなことを思った。

 題名のとおり、新聞のいわゆる三面記事における犯罪の記述をヒントにして編まれた短編集だ。ひとつひとつの編に、対応する新聞記事の小見出しと記事の初めの部分が、うすい白抜きの活字で紹介されている。だがあくまでヒントで、モデルとして採用したのではなく、そこは作者・角田光代の想像力とデザイン力が発揮されている。また結末が必ずしも新聞記事と同じではないし、犯行の実際の行為までは描かない場合もある。たとえば、冒頭に来る「愛の巣」では、殺した人の遺体を時効を超えてまでの期間、自宅の床下に隠すという話だが、犯行そのものの記述はない。また人間関係は実際にあった事件とは無縁である。


 「ゆうべの花火」は闇サイトに殺人依頼する話だが、そこまでに至る女性主人公のみずからの立位置への認識と感情が、かなり急なテンポで変化する。また、主人公がそういう変化に乗り遅れまいとして動き回る。荒々しく、また慌ただしく、どろどろしている。それに描写は細部が省略されているので劇画的というのか、読者はふりまわされる。三一歳の独身女性が、同じ会社の同い年の男性と「不倫」関係を持つという、小説としてはよくある話である。

 

誤解して欲しくないのは、最初に好きになったのは私ではなくて向こうだってことだ。



 書き出しである。優越感を大事にするのだろうか。それとも、もっていきどころのない怨みの裏返しだろうか。こういうことを断っておかずにはおれない女性なんだろう、プライドが高いのか。

 ともかくも、その男、田口に声をかけられ食事に誘われるままについていく。田口は背が低いので女性にとっては好みのタイプではない。だが同じ会社の人なので、礼儀として断るのは悪いのではないかという軽い気遣いで誘いを受ける。女性はこだわるが金は男のほうが持ち、何回目かの花火見物のデートのとき、引用したような「実感」を得る。そして肉体関係をもつことになるが、田口が既婚であることがまもなくわかる。田口は見てくれはたいしたことはないが口は巧く、会社でも人気者だ。離婚を考えるようなことを言って女性の気持ちを引き止める。女性のほうも男が発散する親近感にひたりこむようになる。「実感」であり、それは幸福への予感に無防備につながっている。それに女性は、過去につきあった「背の高い」男性と田口とを比較して、はるかに深い恋の「実感」(好かれる)をえたことも勝手ながら納得する。女性の人生にとっては真の「初体験」である。男に一日でも会えないときやメールが来ないとき、締付けられるような寂しさに掻きまわされる。これも「実感」だ。

 だが読者は、まるで主人公よりもいち早く、この男が遊び相手としか女性を見ていないこと、また飽きるのも早いことを記述によって知らされる。女性の幸福の「実感」はほんの短いひと時にすぎないことを。しかしながら女性にとっては「実感」はかけがえのないもののようで、それを中心にして認識が立てられる。男は依然として自分を好きだという、およそ考えられない認識、というよりも思い込みにすがる。男が会うのをしぶると、自分から金を出してまで会う。男からの借金の依頼にも簡単に応じる。そして男が子供ができたこと、離婚する気はないこと告げると、女性は妻と子に怨みを向けるようになる。そこで妻を困らせてやれ、さらには殺してやれ、という闇サイトへの依頼につながっていくのだが、その直前の女性の勝ち誇ったような、やけっぱちのような、男を「買う」記述。

 

私が用いる護符は、しかしたしかに私たちの関係をもと通りにした。今や私は彼より優位に立っている。何しろ私は、彼を買うことができる。お盆休みに、彼が奥さんを連れて愛知万博にいったと聞いたので、わたしも旅行をねだった。一泊二日の拘束費三十万円プラス交通宿泊費で、私は彼と旅行することすら可能なのだ。花火大会は三万円で買った。(p83)


 「護符」とは金のことで、サラ金のATMから女性が無計画に引き出してしまえる。「彼を買う」という言い方は、やはり勝手な優越感にもたれかかっている。書き出しの文にも同質のものがうかがわれる。人や出来事を、過剰な感情を交えて見るタイプなのかもしれない。

 女も女なら男も男だ。ここまで甘えてしまっては怨みを買うことはわかりそうだが、舐めきっているのだ。だがそういうべったりした関係の継続が女性にますますのぼせ上がらせる。好きなのか嫌いなのかここまで来るとわからない状態だが、男を金輪際手放したくない、かかわりつづけたいという最後の欲望に発展する。みずからの「実感」を見据え、大事にしていたころと随分かけはなれている。「好き」「好かれている」というわずかな実感を梃子にしつつも、そこに愛憎の感情が上乗せされる。事態の変転につれて「好き」という自分の姿勢を維持しようとすれば、逆に自分が変わらなければならない、そういう要請に女性は追い込まれるのだ。感情をつのらせて頑なになれば、まわりの環境変化にも不変の姿勢を保つことができる。だから不変であるつもりの一方では、変わるのだ。日常の平穏な感覚からどんどん遠ざかるという意味で。。頑なな感情のなかに自分が拘束されている気分だろうか。そういう感情の沸騰を女性主人公はナルシスティックに大事にする。そして女性の頑なさを支えるのはサラ金ATMから引き出される湯水のような金である。これは女性そのものにはない「外部の力」である。当然だが、犯罪や途方もない行為をなすには、普段の自分にはない「金」や暴力が必要になる。

 自分の人生に刻印を打ち込むため、かかわった男との関係をさらに決定づけるため女性は闇サイトにしきりに嫌がらせや殺しの依頼をし、大金をふりこむ。だが実行はされない。ここからは話の落ちになるが、女性は「最後の賭け」にうってでる。闇サイトを運営する男の話もかなりでてくるが、これは省略せざるをえない。ただ、それまでの月収十四万円の警備員のアルバイトの世界からは雲泥の差の金が転がり込んでくるから、有頂天にならざるをえないだろう。大金はおそろしく人生を、人間性を変えてしまうものだ。この変化は主人公にも共通する。繰りかえすと、ささやかな幸福の実感にこだわりすぎた女性の急速な転変を、この「夕べの花火」は雑然としつつも荒々しくいタッチで描ききっている。

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