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武田泰淳「異形の者」

ひかりごけ (新潮文庫)ひかりごけ (新潮文庫)
(1992/04)
武田 泰淳

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 私からするとつかみどころのない主人公だ。社会に対する野望はもちあわせていない。あれをしたい、これをしたいという具体的な計画もない。実家が裕福な寺であったので、その跡を継ぐことが気楽に見えて自然にその道を選んだ。だがまったく後退的な姿勢のままかというと、そうでもない。学生時代には社会主義の運動に参加して投獄された経験もある。僧侶の資格を得るため、本山の寺に一定期間泊り込んでの集団生活をするいわゆる「加行」(けぎょう)の最中に政治的騒動が起きると、堂々と意見を述べて、火中の栗を拾うこともする。そういう正義感をもちながらも、対話のなかでは愛や憎しみを「誤解のうえに成立するものであります」と身辺からとおざけるようなことも言う。また僧侶の身でありながら禁欲的生活にはまったく自信がないと決めてはばからない。そうかといって観念的世界に興味がないわけではない。どうすれば諸観念にとりまかれながら据わりのいい位置をしめることができるか、あるいはできないか、ということも考えないではいない。自分に対する決定論よりも、むしろ曖昧な部分をより重視する、それと世界との関係に知らず知らずに引きこまれる。そんな人物像が見えてくるように思う。

 作者武田泰淳(1912~1976)自身の経歴をモデルにした短編である。武田の実家は浄土宗の寺であり、武田も加行に参加して僧侶の資格をとったからだ。(川西政明の巻末解説参照)だが順番は現在が先で、加行の物語は後にくる。同棲中の女性が勤務している「特殊喫茶」で彼女の勤務明けを待って座っている場面が始まりである。「特殊喫茶」とはなんだろうか。はっきりは書いていないが売春施設であることも考えられる。その「花子」という女性には上客がいて、花子を「マリア」と呼んで高価なプレゼントをときどき与える。既に肉体関係が生じたのかどうかは不明だが、たいへん好きであり、その感情を抑えられなくなっている。主人公は彼を「哲学者」と呼ぶ以上の説明はないが、インテリのようだ。男二人は花子との関係で知り合いになっている。「何か憎悪に似たものでギラギラ両眼をかがやかし、悲痛な切迫した口調」で哲学者は主人公に話しかけて会話は始まる。要は女性を大事にしなさいよという忠告だ。そこから一転して、彼は自分は地獄に落ちると言う。この部分も説明が省略されているが、女性を愛してしまったことへの自責の念が高じたゆえの思いだと受けとれる。たぶん「哲学者」はそれまで学究に打ち込んできて禁欲的生活のもとにあった。倫理的な土台もそこにあったのだ。女にうつつを抜かすことは、そういう生活を裏切ることになる。だが引き返せない。「地獄」をみずからに言い聞かせることで将来の自己処罰を決定づけて、かえって安心して、今後も花子を愛しつづけようとするのではないか。そして、哲学者のその言葉に対して主人公は意地悪な反論をする。この短編の読みどころのひとつである。

「先生は極楽へ往きますよ」
「極楽?」と学者は不機嫌をむき出しに、眉根をしかめた。
「先生が何と言われても、先生は極楽へ往きます」
「何故かね」
「だって人間はみんな極楽へ往くときまっているんですから」
彼は一瞬、呼吸をとめた。そしてさも憎らしそうに私をみつめた。小学校の一年生が黒板に白墨で大きな数字を二つ三つ書き、あらゆる数学上の計算はこれですと主張したときの、大学教授の目まいと憤怒が彼を襲っているにちがいなかった。
(中略)
そして、極楽というブワブワした軟体動物で、地獄往きのスピードを喰いとめられた具合わるさをモグモグと噛みしめている様子だった。(p77~78)


 虚をつかれて狼狽するインテリの表情が目に浮かんで、ある種痛快さを覚えずにはいられない。インテリは愛憎の急迫する情緒のもとでいそいで地獄の理論構築をした。だが思いこみが強すぎると忘れてしまうことがある。主人公が仏教にたずさわる者であることを「哲学者」が知っていたのかどうかは不明だが、罪人もふくめて人間はすべて極楽往生するという浄土宗や浄土真宗の教義をたぶん彼も知っていただろう。それを指摘されて思い出したはいいが、理論的反駁がただちにできない。すると理論も含めた情緒の世界がぐらついてくるのだ。一方、主人公にしてみればみずからの宗の教えを披露するくらい何の造作もないことだ。「うっかりと」「奥の手」が出てしまったにすぎない。理論の面で渡りあう意気込みなどなかったのではないか。ちょっと意地悪をしてみたかったのだ。それにしても哲学者はあっけなくぐらついた。武田はここでインテリの視野の狭さ、脆弱さを指摘したかったのか、それはあるだろう。もうひとつあるのは、あの世ではなくこの世こそ極楽であったほうがいいという主人公の願いだ。(この願いは後の、ある僧との会話に出てくる)女性を好きになる、肉体関係をつくるということは一種の極楽である。そうでなくても女性を好きになることくらいでくよくよしなさんなというやわらかい忠告もふくまれている。前半の部分はこの会話のあたりで終わり、後半では加行とそこでの「この世の極楽」への主人公の執着ぶりが描かれる。

 人間すべては極楽へ往く、そう言って「哲学者」を狼狽させた主人公だが、実は彼もまた同じことを言われて、哲学者とまったく同じ狼狽をしめしたことがあった。十代後半に体験した加行時のこと、ある僧侶との会話においてだが、この世のもろもろに対する執着がまったく無意味になってしまう、あの世の極楽が至上価値ならば、この世の「青春の悲しみも、歓喜も、毛髪もそそけだつ苦悩も、骨も肉もとろけ流れる快楽も」雲散霧消してしまうではないか。そんな馬鹿な、寂しいことはない。こうして彼は、自分の宗の教義をにわかに嫌悪するのだ。彼にとってはこの世の極楽のほうがよほどおもしろいので、加行という修行につきまとう禁欲ほどつまらないものはない。それに違反することに何のためらいもない。たぶん精進料理しか出ないのであろう、実家の書生からさしいれられた寿司などを口に入れたり、夜、女性のいる飲食店に出かけたりする。用意周到、坊主頭をかくすためのソフト帽や衣装もそろえているのだ。醤油をわけてもらうために炊事場に行って、係の若い僧にマグロの寿司を分けてやる場面など印象に残る。主人公はお坊ちゃんだ。

 若い身空で一定期間とはいうものの禁欲生活を送ること、これに積極的な意義をみいだす人は、それほどはいないだろう。宗教教義によほどの支持や興味を抱かないかぎりは。そういう人はこの短編には登場しない。だから禁欲が人に生じさせる変化を経て、教義にふさわしいと思われる人間像が描かれることはない。(主人公と対話した僧がそれにあたるだろうか。また百歳を超える大僧正も回想場面で出てきて、欲望とはまるで縁のない姿が描写されるが、いずれも「若く」はない)総勢約八十人の一人一人まではわからないが、禁欲生活にはつまらない思いを抱いているのではないかとかってに想像してしまう。主人公のようなお坊ちゃんはきわめて少数で、貧乏な階層が大部分だ。若い頃から寺に預けられて苦労をかさねた人、四十代、五十代にもなってようやく僧侶の資格を取ろうとする人もいる。ほとんどの人が就職と生活のために本山の寺に集まっているのだ。

 禁欲を実践したところで、禁欲的志向が安定することはない、むしろ逆である。自分の欲望のありように直面せざるをえない。なかでも女性への思いが募ってくる。主人公も例外ではないが、穴山という人物が直情径行的だ。隆起したペニスをむき出しにして控え室を仕切っている障子に走っていって穴をあける。彼の取り巻きや主人公が見守るなか、つぎつぎと障子に穴がくっきりとあけられていく。これは主人公のような「恋情のオブラート」につつんだ女性の肉体へのあこがれというものではない、生理的欲望そのものを凝視したうえで、その奥底にあるものの発散である。また破れかぶれのその行為には、現在の禁欲生活への怨みとともに将来にわたる穴山の野望と意気込みもこめられている。穴山は貧乏で、反抗心旺盛で、坊ちゃん育ちの主人公を憎悪している。「おめえは死ね。おめえなんか、もう死んじまったっていいんだ。だが俺の方はそうはいかねえんだ。これからいくらでもやることがあるんだ」と吐き捨てる。宗教的静謐とはまるで縁遠い、主人公とはちがった意味での生臭坊主の典型の人物だ。「若者の陰気なニヒリズム」とも書く。

 そういう穴山と主人公はやがて対決するはめになる。加行係の僧が遅刻してきた加行中の男を殴ってしまって一同は反発し憤慨する。穴山をふくんだメンバーはその僧に報復をくわえるという方針を提起した。もうひとつのグループの方針は一同がそろって下山するというもの。そこへきて主人公は第三の方針を提案する。大殿にこもって断食をすればいいのではないかと。二つの案にくらべると穏健な案で、主人公は加行中の大部分の人のことを慮った。人々のいちばんの望みは加行を無事まっとうして僧侶の資格をうることではないか、二つの案はそれをふいにしかねないものだ。断食(今でいうハンガーストライキ)ならばその最中に寺の監督者との交渉の余地が残されていると。この提案は一同に受けいれられた。さらに提案は寺にも伝わられて、暴行をはたらいた僧は寺によってただちに他の場所に移動させられるという決定が迅速になされる。「大殿」は葬式や法要の舞台として頻繁につかわれるから、寺も困惑して早く手をうったのだろう。主人公は一同の信頼をにわかにえるが、不快なのが穴山で、決闘を申し込んで、主人公も受けて立つ……。この結末は明らかではないが、小説のはじめの加行後の「現在」が書かれているので無事だったのだろう。政治的騒動に首を突っ込んで、危険な決闘にも乗り気はないものの赴く。なかなかの魅力ある主人公だ。腕力がありそうで、憎悪をつのらせる穴山に対し、勝つ自信があるのか、また意思堅固なのかは読んでいて心もとないが、それでも諦めなのか冷静さなのか、ある種のんびりした空気が彼をつつんでいる。卑怯者にはならない、逃げない、それはごく当たり前で、ことさら自慢するに値しないということだろうか。

 作者はこの短編の後半を物語の展開にのみこだわらずに、主人公の「心の風景」を描き出すことをより重視した、ここはもっと魅力あるところだ。意欲旺盛で行動のさなかにある場合、その人にとっては意欲と現にある行動がすべてで、ほかは見えない。だが逆に意欲がはなはだしく減退しているにもかかわらず、なお行動に踏みとどまらなくてはならない、制約がはたらいて行動から逃れられない、そうした情況にある場合には、意欲がそれまで占めていた位置には意欲と反対の力がのさばって作用するのではないか、意欲の残り滓はあるにしてもどんどん浸食される。さらに、意欲との「反対力」は切迫すると死として顕現するのではないか。この「反対力」を象徴するものが、この短編では仏像のまなざしである。加行の最終日近くの深夜、ひとりひとりで大殿の奥深くの「大きな金色のアミダ如来像」(阿弥陀を故意にカタカナ表記にしているのは、作者の意思)の前へいって誓いを立てなければならない。最終の行事らしい。

 (略)国宝に指定され、何回の火災にも焼けのこったとつたわられるその仏像は、人間の魂を吸いよせてしまう、不思議な眼力をもっているといううわさであった。奈良にしても鎌倉にしても、巨大な仏像の名作はすべて、荘厳にして温和な表情のどこかに、この世の生物のすべてを、軽蔑するとまで言えないにしろ、支配し自由にとりさばく一種の強烈さをただよわせているものである。固くつぐんだその唇に、底知れぬ嘲笑がほの見えるものもあった。その眼光のあまりのするどさが、この世にまれに見かける悪相をしのばせる仏像もあった。(p118)



「(略)俺もこうしてあなたの前に座っていると、馬鹿らしいとは考えても、何かしら本心を語りたくなるのだ。あなたは人間でもない。神でもない。気味のわるいその物なのだ。そしてその物であること、その物でありうる秘密を俺たちに語りはしないのだ。俺は自分が死ぬか、相手を殺すかするかもしれない。もう少したてば破戒僧になり、殺人者になるかもしれないのだ。それでもあなたは黙って見ているのだ。その物は昔からずっと、これから先も、そのようにして俺たち全部をみているのだ。仕方がない。その物よ、そうやっていよ。俺はこれから髪棄山に行くことにきめた。」(p122)(下線の部分は原文では傍点)

 
私見だが、仏像をまじまじ眺めただけでこういう仏像観が生れるとも思えない。また固有の宗教教義にのっとって仏像を眺めたとしても生れてこないのではないか。それよりも私は、武田の社会運動や戦争の体験を重視したい。先ほど記した意欲や明るさを損なうもの、その根源のもの、死を、武田は体験によって知らされたのではないか。その世界観が仏像に仮託されたと私は見たい。教義や仏像の芸術に先立つものとしてそれはあるのだ。死であるならば宗教者でなくても意識できるし、意識させられることが否が応でもある。死とのかかわりという意味では、宗教的世界観の入り口に立つことになるが、狭い意味での宗教教義ではない、宗教が全力で対決しようとする忌まわしさの根源である。仏像のやさしいまなざしが、やさしいという以上に何も語らない、何もしない、そこにとどまらず、もっと意地悪で軽蔑的で冷笑的である。「その物」はおどろおどろした地獄絵図ではなく、透徹したまなざしでありながら、たいへん不透明で無気味なものだ。極楽を暗示するといわれる仏像に「地獄」といってもいいものをみいだした主人公はおもしろい。

 仏教者の主人公(作者)が極楽、地獄といった専用の観念にとりまかれて、そこであらためて諸観念との距離をとりなおす、生きざまを語ることで自然にそれをなしとげることに成功した秀作である。ところで、死に臨んだとき、私は極楽往生をねがうのだろうか。まだまだ先のことと思いたい。

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