大洋ボート

政治的「正しさ」について(メモ)

 「正しさ」とはたったひとつに集約されるのだろうか、概念なり、イメージなりに。問いがあまりにも漠然としていて答えるのが、どうもむつかしい。神にも近づくような道徳的向上であるのか、大多数の人々の生活の安定と平和なのか、「正しさ」は多方面から誘いの手をさしのべてくる。

 問題を局限して、政治的正当性ということでスケッチしたい。政治的な「正しさ」がたったひとつあると仮定する。最低限、その「正しさ」の主張をする組織にとっては選挙や革命で政治権力を掌握できた場合、その社会は「正しい」姿をめざして本格的な歩みを開始することになる。当面、その権力が遂行することが戦争であろうと平和であろうと、政治権力は「正しさ」を喧伝してやまない。ここでは平和と「正しさ」がイコールなのか否かを問題にしない。

 政権奪取に至らない段階でも、政治組織はみずからの「正しさ」を宣伝する。組織の拡大と強化のために、組織員はさまざまな活動に没頭する。組織員を増やすために団体や個人との交渉をこころみる。資金集めや対立する政治組織への非難、論駁なども重要だ。そうした活動に従事することもまた「正しさ」の実現としてとらえられる。つまり「正しさ」の内容をより深く理解するという方面で「正しさ」に近づくのではなく、極言すれば「正しさ」を宣伝して広めることの奴隷となることが、まさに「正しさ」の具現として、とらえかえされる。

 「奴隷」であれば、個人など無きにひとしい存在に成り果てるが、それでも自己陶酔の快感が作用すると、幸福感を得られる場合も少なくない。「正しさ」の実現のために身を粉にしているという自負がある。また主観的な手ごたえもあるだろう。「正しさ」はそうした快感を得て、なおかつ快感を梃子とする個人によって多く支えられる。

 政治組織においては、その員数が多ければ多いほど、死や脱退による個人の消滅は、その人が組織にとってよほど重要な地位を占めていないかぎりはそれほど問題にはならない。また逆に、個人にとっても、みずからの脱退によって政治目的がいちじるしく損なわれることがほとんどないことが自覚される。その個人にとっての思想的課題があとに残されることだけが確からしい。疲弊や倦怠によって、たまらなくなって脱退したのであれば、あらためて喧伝するところの「正しさ」に対して向き合わねばならないからだ。

 政治組織の性格によるが、実力行使を重要視する組織の場合、たとえば「自爆テロ」に殉ずる人がいる。逆に「敵」に斃される人がいる。こういう組織ではたえず死を意識せざるをえない。死はいうまでもなく怖い。逆に相手方に対しては、実現させてどれだけの政治的打撃を与えられるかどうかは別にしても、最大の脅迫になりうる。また個人がみずからの死をイメージさせられることで、みずからに対する脅迫にもなる。脅迫だが、どんづまりにおいてみずからの力を鼓舞しそそのかす作用もある。死が最大の貢献だと組織は位置づけて励まし、個人も感覚的にそれを受容する場合があるからだ。死が最大の力の発揮と見做してしまう感覚がだれにも備わっているからだ。自分の将来にあるかもしれない死も、同時期の組織の仲間の死も、意欲旺盛な期間においては力を増幅させる。もっとも、意欲なるものが永続する保障はない。連続的に生起する死は惨状そのものだからだ。ほんの少しでも平和を味わったことのある者はそれを体で記憶している。その幸福や安楽は自然で、まったく無理がない。別の角度からの視線はすでに着実に潜伏しているというべきである。

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