大洋ボート

グラン・トリノ

 人殺しをすると人間はどうなるのか。あまり背景を広げないほうがいい。妻に先立たれて一人暮らしをするクリント・イーストウッドは朝鮮戦争に従軍したとき、上官の命令なしに何人もの北朝鮮兵を殺した。血気にはやったのか復讐心に駆られたのか、そのときの心理は語られないのでわからない。だが時がたつにつれてそれは、たいへんな嫌な思いとなってのしかかる。人殺しをしてしまうと、殺された人間は二度とよみがえらないという事実がある。また人殺しをしてしまった人間から「殺人者」という履歴が消えることはないという事実もある。なかには忘れてしまえる人もいるだろうが……。極言するとその殺人が「上官の命令」がたとえあったとしても、また正当防衛であったとしても、やはり「殺した」という事実は人一人の歴史のなかにたいへん嫌な思いを刻み込むのではないだろうか。この映画から特にそう考えたのではなく、以前に死刑執行にたずさわる刑務所の官吏の人たちのことを書いた本を読んでの思いである。加賀乙彦の『宣告』も重たい思いで読んだ。

 最後の場面でこの映画の主張が力強くももの悲しくも描かれる。それはたんに「嫌な思い」にとどまるのではなく、より積極的に、より徹底して非暴力をつらぬこうとする確信ある姿勢である。内にこもっての嫌な思いを転化して外部の世界に非暴力思想を、行動として、メッセージとして残す。たいへん直接的でありシンプルでもある。またその結果、親しい隣人を助けることにもつながる。

 この映画にはまた家族の問題が描かれている。二人の息子はすでに社会人としてそこそこの地位にあるらしい、孫も何人かいる。だが息子や孫との関係はぎくしゃくしている。イーストウッドは、彼らにとってはいずれは面倒をみなければならないということでは厄介の種である。同時に遺産の分け前にも与りたいという図々しさも持っていて抜け目がない。イーストウッドからは彼等の心のうちが透けて見えて、つまらない思いを抱くしかない。そんな彼の前にあらわれるのが、となりの家に引っ越してきた中国人の少数民族の一家である。人嫌いのイーストウッドは最初は「米食い人種」と独り言をつぶやいて嫌がるが、孫と同様の年齢層の少年や少女が不良グループにいじめられるのを目の当たりにして黙っていられなくなる。元来の正義感が頭をもたげてくるのだろう。

 家族には血のつながりがある。これは消すことができないもので、血ゆえに愛情がはぐくまれることが大部分だろう。しかしこの映画のような家族ではそうもいかない、これはわかりやすい。図式的なほどのわかりやすさだ。これに対して、非血縁で異人種の隣人の少年少女との関係は濃密である。アメリカ社会と馴染もうと努力する彼らをイーストウッドは何かと世話を焼く。そして、人間関係のあたたかさが立ちのぼってくるさなかで非暴力思想も同時に熟してくるのだ。

 繰り返しになるが、クリント・イーストウッドがこれほど明瞭で直接的なメッセージを定着させるとは思わなかった。いつまでも記憶に刻み込まれる映画になりそうだ。

関連記事
スポンサーサイト
    00:42 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top
Comment







(編集・削除用)


管理者にだけ表示を許可
Trackback
http://oceanic.blog70.fc2.com/tb.php/287-05b89ca9
プロフィール

seha

Author:seha
FC2ブログへようこそ!

カレンダー(月別)
07 ≪│2017/08│≫ 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
月別アーカイブ
全ての記事を表示する
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
ブロとも申請フォーム
ブロとも一覧
ブログ内検索
RSSフィード
リンク