大洋ボート

ジャック・ロンドン「生への執着」

 「火を熾す」と類似の短編である。同じくカナダ北部を単独歩行する男の話だが、細部が光彩を放つ。前者とは状況が少しちがっているが、作者がもっとも言いたかったのは、題名のとおり主人公が最後まで生きる望みを失わなかったことだろう。男は飢えにさいなまれたうえ幻覚にも見舞われる。だが死を安寧の境地として受け入れることを頑なに拒否しつづける。幻覚にときおりは支配されながらも生きているという自覚は失われない。生きるとは身体を動かすこと、前へ前へ進むこと、力が残っているかぎりはそれをふりしぼって文字どおり這ってでも進んでいく。それができるうちは死ぬことはない。だからあえて死を受け入れることはないと言うように。身体が動かなくなったときが死ぬときにちがいない。そのときまでは男は現実のなかでも幻覚の中でも「生きる」のだ。

 季節は夏で、砂金採りに仲間と一緒に出かけて成果をあげて帰る途中だった。男は足をくじいてしまい、ビルという仲間から見放された。食糧が尽きていてその隠し場所の中継地点まで早くたどり着かなくてはならない。ビルは男をかばうことなく目的地へ歩を進めた。ついてくるならついて来いという態度だ。それから男の苦難がはじまる。夏だから凍傷が襲ってくることはないし、毛布にくるまって野営もできる。つまりは気候によって死に突き落とされることはないのだ。問題は食糧だ。男はミズゴケと呼ばれる苔や小魚をバケツですくって食べて最低限の食べ物にありつくものの、空腹がどんどん攻めてくる。刺すような痛みであり、やがてそれは重い疲労に変わる。また足首の負傷の痛みも増してくる。おりを見ては焚き火をして暖をとり湯を沸かして飲む。

 食べられそうなものが眼に入れば口に入れてしまう、まずい植物、そして雷鳥の雛。ガツガツ食う。親鳥がそれを見つけて怒るが男は石を投げる。それが幸いにも当たるがとどめをさすほどではなく、飛べずに這って逃げる。男も追いかけるが足がいうことを利かない。このあたりは映像がすぐれて眼に浮かぶ。まるで現場に居あわせるような迫力がある。さらにカリブー(トナカイ)の群れにも遭遇するが、ライフルに弾がない。ここから男の幻覚がはじまる。一発だけ弾倉に残っていると思い込んでライフルを取り出すのだ。カリブーの肉の美味さを思い浮かべながら。そのときは弾がないと合点してもしばらく時が経過するとまたしてもライフルを取り出すというように幻覚はつづく。最後には弾がないことを確認するためにライフルを取り出す。わざわざそんなことをするのは幻覚が幻覚であることを確認するためだろうか。

 私にはこれほどの空腹や疲労困憊におちいった体験はないが、地図もめぼしい目印になるものもないので道に迷うのは当たり前のように思える。南へ下るつもりが男は北へ向かって歩いてしまう。ただただ男は立ち止まることなく歩くのだ。男を幻想に一方的にいざなわせないのは「生への執着」といえば大まかにいえばそのとおりだが、ここで補うと、遭遇する獣への身の毛のよだつような恐怖が「生への執着」に走らせるということを記しておかなければならない。幻想を断ち切るのは視野にとびこんでくる現実、現実の単調でつらい継続にぼんやりしてしまいさまよいこむのが幻想だ。
 

三十分どうにか歩きつづけてきたところで、幻覚が戻ってきた。彼はふたたびそれと戦ったが、なおも幻覚は消えなかった。やがて、もう耐えきれなくなって、弾などないのだと確かめるためにライフルを開けた。何度か、頭はさらに遠くまでさまよい出ていった。男はただの自動人形と化して、ひたすら歩きつづけた。奇怪な思いや突拍子もない考えが蛆虫のように脳を蝕んだ。とはいえ、こうした現実からの離脱は、いつもごく短時間しか続かなかった。胃を齧る空腹の痛みにじき呼び戻されるのだ。一度、目の前に現われた光景に驚いて、そうした離脱から乱暴に引き戻され、危うく卒倒しそうになった。ふらつき、よろめき、酔っ払いが倒れまいとするみたいに体を揺らした。目の前に、馬が一頭立っていたのだ。馬!(p227)


 まもなく、これは馬ではなく熊であることがわかる。そのときの恐怖といったらないだろう。だが男は熊の習性を本能的に思い出したのか。逃げれば追いかけてくるに決まっているし、その足では逃げられるはずもない。またしても男はライフルを取り出そうとするが、思い直してナイフをとりだす。「恐怖のもたらす勇敢さから生気を得て」獰猛なうなり声をあげる。熊も同じくうなるが、横にそれていく。たぶんこれはジャック・ロンドンの体験でなければ彼にとっての信用に足りる見聞であるだろう。恐怖が恐怖であることを電気ショックのように知らされたとき、ふりしぼるような大声がひとりでに出てしまうことはありうるのではないか。私にそれができるかどうかはわからないが。

 さらに今一度男は獣に出会う。病気の狼で男の衰弱を待って食べようと付きまとう。男には追い払う体力もない。頬をざらつく舌で舐められたり、眠っている最中に手に牙を当てられて眼を覚ますところなど、迫真的だ。狼を間近で目撃している気になる。ここでまたロンドンは書き込む。恐怖はべったりした同じ質ではない。
 

元気な狼だったら、男としてもそれほど気にならなかっただろう。だが、あのおぞましい、死んだも同然の奴の胃袋に収まるかと思うと、たまらなく嫌だった。この期に及んで、男はえり好みをしていたのである。頭がまた朦朧としてきて、幻覚に悩まされはじめ、明晰な時間はだんだん稀に、短くなっていった。(p236)


恐怖から抜けきれたのではないものの少し余裕が出てきて、病気の弱った獣への負けん気、不潔感につうじる嫌悪感へと変わっている。「えり好み」という言葉も秀逸だ。この辺の筆力は並ではない。

 結末は男はハドソン湾に停泊していた捕鯨船に救われるが、最後には膝も利かない状態で「芋虫」のように這ってのろのろ進んだ。自分が這ったコースを堂々めぐりして、自分の来た道だと理解できずにビルがとおった跡だと錯覚するのは痛々しい。これは幻覚というよりも識別能力が劣化したゆえの錯覚と解すべきだろう。それから熊や狼だが、これは小説上の「事実」になっているが、男の幻覚だと強引に解釈することも不可能ではない気がする。外部の現実から恐怖や刺激はおそってくるが、内部の夢や幻覚からもそれがおそってこないともかぎらない。

 「火を熾す」では主人公はいったんは死を受け入れたものの夢の中では生き返った。本作「生への執着」では、恐怖心がたえず主人公を目覚めさせた。人間は思いのほか頑丈にできている。そういう人間に備わっているであろう豊かさの本源に遡り、切り拓いていくことがジャック・ロンドンの作家的夢だったであろうか。


火を熾す (柴田元幸翻訳叢書―ジャック・ロンドン)火を熾す (柴田元幸翻訳叢書―ジャック・ロンドン)
(2008/10/02)
ジャック・ロンドン

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