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谷崎潤一郎『春琴抄』(1)

春琴抄 (新潮文庫)春琴抄 (新潮文庫)
(1951/01)
谷崎 潤一郎

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 フィクションの強さを感じさせる小説だ。人はここまでやってしまうのかと、うならされる。ありそうもない話だが、だからといって遠ざけてしまう気にはなれない。異性に対する考えられないほどの執着があればこその悲痛な行いであり、その行いによって佐助の執着と欲望は完成する。佐助の行為に対しては手放しで礼賛する気にはなれないが、それはそれで一個の人生を自分自身の力で見事に完結させてしまったなと、羨望さえ湧いてきそうである。だが、佐助の春琴に対する執着は、同時に春琴以外のもろもろへの興味、たとえば平安な生活などに対する大いなる断念なしには持ちつづけることができなかった。またそれを断念とも見做さないほど目の前の異性に夢中だったのか。凡庸で移り気な私のような人間にはたいへんな距離がある。

 江戸から明治にかけての時代で、舞台は大阪道修町。鵙屋琴(もずやこと)は裕福な薬種商(薬屋の古称)のもとに二男四女の次女として生を受けた。大きな町人の家では親が子女に稽古事をさせるのが慣わしで、琴も例外ではなかった。舞踊、歌、琴、三味線に早熟な才能を発揮し師匠筋にも認められるところとなった。春琴という号ものちに音曲の師匠からおくられたものである。だがこの少女九歳のときに病をえて失明してしまう。まもなく店に丁稚奉公のため住み込みでやってきたのが温井(ぬくい)佐助で、このとき十三歳。春琴は琴・三味線の稽古をその後も怠らなかったので、佐助が手を引いて師匠の家まで送り迎えを任せられることになった。これが佐助にとっての幸運の、あるいは運命の始まりとなる。佐助の眼に映った春琴ほど盲目であるにもかかわらず、うつくしい女性はいなかったのである。なおかつ彼は三味線の音色にも魅せられて金をためて三味線を購入し、夜奉公人仲間が寝静まった部屋の押入れで稽古するのだ。このとき佐助は稽古にも身を入れるが、同時に盲人の闇の世界にも思いを寄せ、あこがれる。

 まもなく佐助の行いは家の人たちの知るところとなるが、好意的に受けいれられて、春琴が手ほどきをすることに決まって家の一部屋を使う。ここらあたりから春琴の作者いうところの「驕慢」さが剥き出しになってくる。稽古の厳しさが尋常でないのだ。叱咤にとどまらずに罵倒し打擲(ちょうちゃく)する。春琴の師匠である検校の教えもきびしいことは評判でそれをまねたこともあるが、そればかりではなく春琴の生来の「驕慢」、また嗜虐性が露わになったのでもある。兄妹のなかでひとり盲人であったことから、春琴は親にひときわ大事にされて育てられた結果、我儘放題になった、贅沢三昧にもなった。佐助の三味線は筋がいいとのことだが、それでも天才肌の春琴からするとまだるっこしく、醜く映るのだろう。その不快を隠そうともしないで、ぶちまけるのだ。なにも春琴は佐助を忌み嫌っているのではない、むしろ逆で、好きであればあるほど歯がゆい、そこで感情が高じるのだ。教える立場の人が無理難題を弟子に押し付けて、弟子が苦労して呑みこむのを平然として待つ、そういう要素もあるがすべてではない。こういうタイプの女性は確かに居る。相手にこうあってほしいと思うことを傲然と押しつけてくる。相手の反発をおそれはしないのか、いや彼女は自分が好意を寄せられていることを知っているので、ちょっとのことでは反発されないと高を括って意志をぐいぐい押し付けるのだ。逆に相手のほうは真意をはかりかねるだろうし、こういう女性は好き嫌いいずれの場合も人に接するときは態度がほとんど同じなのであろう。

 佐助はどう思ったのか。罵倒され暴力をふるわれて嗚咽の声が部屋の外に漏れることが記される。だが心理描写は省略されている。この世で一番うつくしいと慕う女性にそこまでされて絶望の淵に落ちたのか、そういう瞬間もあっただろうが、なんとか忍び堪えた。また自身の師匠から見た場合の三味線の腕の不甲斐無さに情けなくもなっただろう、師匠の春琴の顔に泥を塗るような思いにも責められたのかもしれない。師匠の真情がつかめない不安も当然強かったにちがいない。また作者は明かさないが佐助にはマゾ嗜好が感じられる。

 春琴のはげしい稽古ぶりはまもなく家の人に知れて、大きな商家としての内外の立場もあり、春琴は大阪市内に一軒家をあてがわれる。月々の生活費も潤沢過ぎるほど実家から贈られるし、春琴の世話役として家人から当然のように佐助が命じられる。そのため佐助は薬屋の仕事を免除される。奉公の末、薬屋としての開業を約束されていたので家人はためらったのであるが、佐助にとっては本望以外の何物でもなかった。何よりも春琴の真情を知ることができたし、これから将来にわたって春琴の傍に居られることを保障されたからだ。その家で春琴はいまだ検校の師匠のところに稽古にかよっているにもかかわらず佐助に加えてあらたに弟子を何人か引き受ける。また佐助はそれまで以上に春琴の身の回りの面倒を見ることになる。女中もいたが、トイレ、入浴、着替え等とくに身に密着を要することはすべて佐助が行なった。食事の際、食べ物を箸でつかんで春琴の口に運ぶのも佐助の役である。うつくしい女性の身の回りの世話をする幸福感、これは男性なら誰でもがくすぐったくも抱くのかもしれず、わかりやすい。

 春琴は実家からはなれて暮らすことになって「驕慢」はさらに増長する。弟子に対する厳しさ、酷薄さは佐助に対すると同様である。バチで顔を打つこともあった。水準以上の稽古代をとり、盆暮れの届け物にも高額を要求した。女中などへの給料は安くし、細かい銭勘定にも口を挟んだ。だが祝儀に際してや人力車夫へのチップをおもいきってはずむなど外面(そとづら)を飾るところが顕著であった。言葉づかいや仕草も上品で、琴・三味線の腕は無論以前からの高い評判のままだったし、美人だったので一目置かれた存在だった。だが書いたような内面の悪さのために、彼女をよく知る人々からは怨みを買うことも多かったのだ。また食道楽は以前から同様で、ほかにも鶯(うぐいす)や雲雀(ひばり)など高価な鳥を飼育して音色を楽しむという贅沢もくわえた。

 それもこれも佐助がやはり傍にいて骨身を削って助力したから成立ったのだが、佐助にしてみればやはり幸福の連続だったであろう。春琴は佐助とのあいだに何人かの子を生むが、近くには置かずすべての子を養子に出して冷然としていた。この実質上夫婦の二人の特徴がここにあらわれている。子供をもつことは邪魔で二人の関係をとおざけることになる、またそれ以前に子供という存在に無関心なのだ。ここまで書いてきた二人からすれば自然のなりゆきといえるだろう。ずっと後に家人が入籍を勧めても佐助は拒んだ。春琴はそういう彼女であっても年齢のかさなりにつれて柔和さを少しは加えて、身分差は気にならなくなり入籍に対する拒否反応はうすらいだのだが、佐助自身が身分差の固定化をむしろ望んだのだ。奉公人と大きな商家の箱入り娘という身分差からくるあこがれ、お傍につかえることさえ勿体ないというへりくだり、というような以前からの心的習癖、そこからくる肉体拝跪の姿勢を何よりも大事にしたのだ。

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