大洋ボート

志賀直哉「城の崎にて」

 志賀直哉は大正二年(一九一三)山の手線の電車にはねられて重傷を負った。病院を退院後、兵庫県の城の崎温泉で三週間の間療養した。本作はそのときのことが題材になっているが、作品の執筆と発表は四年後の大正六年である。また、この文庫本の高田瑞穂の解説によると、志賀には大正三、四、五年の三年にわたる作品発表の空白期があり、その期間を経たのち本作は「佐々木の場合」に次いで発表された。

 電車にはねられたのだから一歩間違えれば志賀は死んでいた。助かったのだが、いわば死が身体を擦り抜けていったようなものだ。それまでは死はとおくにあるとぼんやり思っていたのが、いつ死んでも不思議ではないという感慨を志賀に抱かせた。志賀は「何かしら死に対する親しみ」を抱くに至った。それは諦めでもあり「淋しさ」でもあり、「静まった」心境でもあった。そうした作者自身の心境を中心にして、志賀は宿の周辺に目に付く小動物などの風景を微細に観察する。「死に対する親しみ」といっても深刻さや衰弱した気配は微塵も見られない。むしろ三年の空白期間を設けたことからくる筆力の貯めが感じられ、作家としての十二分の活力を受けとることができる。

 蜂、鼠、イモリの生と死が観察される。屋根から一匹、二匹と飛翔する蜂、だがそのなかに既に死んで動かなくなった蜂がいる。翌日同じ場所を見るとやはりその蜂が同じ姿勢のままそこにいる。鼠が人のせいだろう串を首に刺されて小川のなかを動き回る。人々がおもしろがって眺め、ある人たちは投石する。イモリが小川の岸にたたずむ。志賀が投げた石が偶然当たってしまう。ざっとこんなところだ。勿論、こんな風に下手に要約してしまうと味わいは失われるが。

 小動物の観察は志賀の心境に小波を立てる。例えば、鼠が串を刺されたまま石垣を登ろうとする。だが串がつかえてできない。すると今度は川の真ん中へ泳ぎ出る。生き延びようとする努力だ。志賀は「淋しい嫌な気持になった」。死は静かな境地かもしれないが、その直前には想像を絶する痛みや「苦しみ」がある。

死後の静寂に親しみを持つにしろ、死に到達するまでのああいう動騒は恐ろしいと思った。


 志賀の観察は微細であるにしても、必要以上に長く対象にとどまることはなく、オーソドックスだ。初めから記述された自らの心境に早く帰ってくる。観察を長引かせていわば発酵させて、そこに独自の想像力を付け加えて渾然一体となった世界をつくる、例えば梶井基次郎のような方法からはとおい。
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