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志賀直哉「小僧の神様」

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)
(2000)
志賀 直哉

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 だいぶ以前にこの短編を読んだときには鮪の鮨の味が口に残ったような感じがした。その美味さがきわだつことが印象的だった。文章が志賀直哉らしく簡潔なことがそういう具合に私に作用したのかもしれない。今度読んでみると鮨の美味さもやはり残るが、作品が複眼的な構成になっていることに驚かされた。つまり秤屋の小僧から見ても、作者の分身である貴族院議員Aまたは最後に登場する作者自身から見ても、どちらからも作品全体を見渡すことができる仕組みになっている。志賀がそれを意図したというよりも、気負わず、衒わず、無駄を排することを心がけた実に落ち着いた筆づかいが見事に結実した、その結果としての複眼的な構成だとみたい。

 秤屋というような店が今どきあるのかどうか知らない。ホームセンターのような大規模店に集約されてしまったのかもしれないが、とにかく主人公の少年はそこで働いている。年齢は明らかではないが、「真鶴」の少年と同じく今どきの中学生くらいだろうか。目上の若い衆が開店した鮨屋の噂をするのを耳にはさむ。彼もまた鮨が大好きなのだが、高価で安易には口にすることができない。やがて用事を言いつけられて往復の電車賃をわたされて外出する。そして帰り道、こっそり片道分の電車賃を浮かして鮨屋に入った。鮪の巻き鮨一個を手にとったが値段を聞いて金がわずかに足らず、鮨をもどして店を出る。それを隣で見ていたのが貴族院議員Aで、少年を気の毒がった。

 たいていの現実ならそこで話はおわってしまうが、小説なので次の展開がある。Aは小さい子供の成長具合をたしかめるため、くだんの秤屋へ体量秤(体重計)を買いにいった。Aは少年(仙吉)を覚えていた。そこでAはある企てをする。品を買って少年にそれを俥宿(運送屋)に運ばせる。そして帰り道、Aは少年に鮨を御馳走するのだ。店の人に十分に金を渡して自分だけ先に帰る。秤屋にはでたらめの住所を告げたので、二人はそれっきり会うこともない。少年は生れてはじめて美味いものを腹いっぱい食べて満足する。

 あとはこの出来事を二人がそれぞれふりかえることが書かれる。Aはあと味がよくない。テレではない。善いことをしたはずなのだが「変に淋しい、いやな気持」に支配される。Aは自分の「本統の心から批判され」ているのではないかと内省するが、「不快」ではなかったので、日にちの経つにつれて忘れる。私が考えるにはこれはたぶん偶然がもたらした「出来心」だから据わりが悪いからではないだろうか。そのほかにも貧しい少年に贅沢を覚えさせたことが悪いきっかけになるかもしれないという心配も起きるのかもしれない。とにかく、ここは余韻があって心地よい。

 一方、少年はAを「神様」か「仙人」か「お稲荷様」かと考えた。自分の心をすっかり見透してたらふく御馳走してくれたからである。また「附け上る事が恐ろし」くて、くだんの鮨屋には二度と行かなかった。まだまだ食べられる分のAの金が鮨屋に残っていたにもかかわらず。志賀はここで少年の性格の真面目さをつくって貴族院議員Aを、また読者をある部分において安心させる。そして最後の最後、志賀はAの気まずい思いを受け継いで、はるかに良質な少年への思いやりを披露する。「作者は此処で」というように作者自身が登場してきて、小説の構想を変更したことを記すのだ。内容は書かないが、小説上の人物への思いやりという、いささか頼りなげなものであるにしても、志賀の思想的姿勢が見られる。この結末は唐突な感はあるが、それ以上に美しさがまさっている。
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