大洋ボート

志賀直哉「真鶴」

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)
(2000)
志賀 直哉

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 少年の性への憧れと妄想があざやかに切り取られている。主人公は年齢は確定できないが、今でいうと中学生くらいだろうか。その年齢になると視野がどんどん拓けてくる。とおくのものが見えてきてあれもこれも触れてみたいという気持ちが湧いてくる。また性欲が自然に内部からつきあげてくることも自覚しないではいられない。そして、そういう欲しいものが視野の中心を占めることがあって、手に入れられるものなら強引にでも手に入れてしまおうとする衝動を抑制することができなくなる。また自分とつながっているはずの欲望の回路が、自分で気づかないうちに混線してしまってとんでもないイメージを結んでしまうこともある。欲望、とくに性欲にはこうした罠が必然的につきまとうものなのだろうか。ともあれ、志賀はこうした少年の一連の心の風景を端的に描いていて唸らせる。

 道具立てが巧妙だ。少年は弟をつれて小田原に出かけて行っての帰路。日の入りが過ぎていて風景が「青みを帯びて見られる頃」である。この風景(背景)が少年を妖しい気分に誘い込むのはもうまもなくだ。真鶴の家までは近いが、少年二人の帰宅時間としては遅い。遅くなったのは兄の少年のわがままのせいで、年末になって二人の下駄を買うために父から金をもらって出かけた。ところが兄は兄の権力にものをいわせて下駄ではなく、自分ひとりがかねてから欲しかった「水平帽」を買ってしまった。こういうわがままは一旦やってしまうとエスカレートするものだ。さらに兄は自分と同世代らしい女の子を連れた「法界節」の一家を見て魅せられる。彼が見初めたのは女の子ではなく、その母のほうだ。「彼は嘗てこれ程美しい、これ程に色の白い女を知らなかった。彼はすっかり有頂天になって了った。」ちなみに法界節とは私は知らないが、巷間芸で、楽器を奏でて歌いながら街を練り歩く人たちのことらしい。今でいえばチンドン屋に近いのだろうか。

 少年が同年代の女性ではなく、一回り以上上の大人の女性にあこがれることは、学校の女教師のことに先に数行だが触れられていたので唐突な感はない。私にも覚えのある感情で、とうてい実現しそうもないことに少年はあこがれこだわるのだ。少年の特権といえようか。法界節の一家が行くところ行くところに少年はついていく。「尨犬(むくいぬ)」のような弟を引きずりまわすのだが、あこがれの対象しか目に入らなくて弟へのすまなさはすっかり忘れられている。そういうことがあって帰宅時間がすっかり遅くなってしまった。海岸線を見下ろす高い道を歩く兄弟。弟はすっかり疲れている。兄の少年のなかで別れてきたばかりの法界節の一家への追慕が日の入り後の風景にかさなる。このあたりはひきこまれる。
 

 ――沖へ沖へ低く延びている三浦半島が遠く薄暮の中に光った水平線から宙へ浮んで見られた。そして影になっている近くは却って暗く、岸から五六間網を延ばした一艘の漁船が穏やかなうねりに揺られながら舳に赤々と火を焚いていた。岸を洗う静かな波音が下の方から聴えて来る。それが彼には先刻(さっき)から法界節の琴や月琴の音(ね)に聞えて仕方なかった。波の音と聞こうと思えば一寸(ちょっと)の間それは波の音になる。が、丁度睡い時に覚めていようとしながら、不知(いつか)夢へ引き込まれて行くように波の音は直ぐ又琴や月琴の音に変わって行った。彼は又その奥にありありと女の肉声を聴いた。何々して「梅―の―は―な」こういう文句までが聴き取られるのだ。(「うねり」の下線は原文では傍点)


 さらに少年は、見物人の前で熟練した踊りを見せる女の姿を思い浮かべたりする。女への未練はつのっていく。周りは夜に近づいて漁火がにわかに海にたくさん灯りはじめる。この風景の夜への傾斜と、夢にも似た朦朧とした少年の意識が作用して、妖しい空想にいざなわれても不思議ではない。おりから列車が明かりをつけて近くを過ぎていく。列車のなかに法界節の一家が乗っていた。それを発見したのは弟。今さらのように彼は疲れた弟が可哀想になっておぶってやる。

「寒くないか?」
 弟はかすかに首を振っていた。
 彼は又女の事を考え始めた。今の列車に乗っていたかと思うと彼の空想は生き生きしてきた。この先の出鼻の曲り角で汽車が脱線する。



 そして空想のなかで女は重症を負いながら何と少年の来るのを待っているのだ。悲惨な出来事を空想して、そのなかでの女との逢瀬の映像につよく引かれる。これは何だろうか。性欲や自由の希求自体のなかに日常性から逸脱させるもの、残酷なものが含まれている。残念ながら私にはそれ以上に言及する言葉をもたないが、少年や青年はそういう危険を意識しながら「こちら側」に踏みとどまらなくてはならない。そして志賀直哉は彼らしく、少年にその健気な意思を与える。兄はいい加減にあつかっていた「こちら側」にいる弟に対して、思いっきりやさしくする。母が迎えに来るという締めもあたたかい。

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