大洋ボート

ブラインドネス

 不快感を催させかねないあらあらしい映像が、全体のかなりの部分を占める。視界が真っ白になって見えなくなる眼病に人々がつぎつぎに感染していくのだが、その視界を代わって表現するかのように白のまさった映像で、ピントを故意にずらしたり、おもいきって省略したり、「眼前」の重要な事物を逆に黒っぽくしたりする。これは従来的な映画の映像に対する挑戦の意味を持つだろうし、かなりの部分成功していると思う。不快ついでに音響のほうも不快さをもっとくわえてもよかったのではないか。というもの最初に眼病を患う伊勢谷友介とその妻の木村佳乃のマンション宅で、ジュウサーが悲鳴のような音を立てるからだ。不自然なほどの大きい音でこれは驚いた。これはその後の展開に期待を持たせるいい意味での私にとっての驚きだった。しかし音のほうは、この部分が最初で最後だった。枕の意味をもたせたのだろうか。

 話は隔離施設に収容された人々が、不自由な目でどういう行動をとるかということだ。絶望と憔悴のなかで希望を失うまいとする人々のなかで、一致団結して待遇改善を勝ち取ろうとする者がいる。また欲望にまみれて少ない配給食糧を独占しようとし、そのうえ暴力支配を確立しようとする者がいる。前者は眼科医のマーク・ラファロで、後者はガエル・ガルシア・ベルナル。さらに眼科医の妻のジュリアン・ムーアは実はたった一人目が見えていて秘密にして夫についてきている。のちには彼女が夫に代わって大活躍するのだが。

 これはSFというよりは寓話だ。今日では考えにくい伝染性の眼病によらずとも、ある特定のせまい地域でほかの病気や貧困が蔓延する場合と状況はまるで同じではないか。つつましく平等に甘んじようとする人々が大部分であっても、必ずや自分さえよければという輩が出てきて非情な暴力をもちいる。そしてその暴力に抗することは並大抵ではないが、ずばぬけた力があれば可能にもなろうというものだ。そしてまた、そういう「力」がなく抗争が早期に決着がつかず泥沼化すれば、どちらが善か悪かということも見分けがたくなる。映画ではそこまではいかない。本作では暴力に抗するたくましい「力」がジュリアン・ムーアの「目」に当たり、映画の時間のなかであっさりと決着がついてしまうので、かえって通俗性を帯びてしまうのだが。

 隔離施設には看護師などはいない。にわか眼病者は誘導する人がいてもときには自分で歩かねばならない。両手を前にさしだしておそるおそるぎこちなく歩く。どこに何が待ち受けているか、目的のものがどこにあるか全くわからないのでけ躓いたり倒れたりが常態だ。またあちらこちらにものを捨てるわ、用を足すわで、建物内部がどんどん汚れていく。テレビ画面から冷酷に呼びかける監視者の映像も、時間の経過につれて何故かしだいにぼけていきよじれていくのも象徴的だ。最初に書いた白が過剰な映像を基礎としてのこれら施設内部の光景の移り変わりは、映像的にたいへん腑に落ちる。

 そして一行が脱出に成功したあとの街の風景はやはり汚れて乱れきっている。皮肉という次元ではなく街全体も眼病に汚染されたことを一行も視聴者もはじめて知る。だがおりから降り出した雨のなんとさわやかなこと。シャワーとして人々は喜んでそれを浴びる。さらにジュリアン・ムーアが自宅に一行を招待しての料理のもてなし。これが私にはたいへんおいしそうに感じられた。生唾が湧いてきた。
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