大洋ボート

12人の怒れる男

 チェチェン人少年の義父殺しの裁判が結審し、十二人の陪審員による審議がはじまる。場所は臨時に設けられた小学校の体育館。裁判所が改築中らしい。裁判の描写は省略されているが、どうやら有罪が濃厚な雰囲気である。陪審員はそれぞれ忙しい様子で落ちつかない。手っとり早く有罪判決を出して自宅やら予定の場所やらへ行きたがっている。だがたった一人の男が無罪を主張して審議は長引くことになる。

 推理劇としては少々荒削りの印象がしないでもない。わかりやすくするならば、陪審員のなかのいくつかの有力な主張を再現ドラマにして、少年や義父や「真犯人」や目撃者を登場させればよかったのだろう。あとはそれを比較検討すればよい。だが監督ニキータ・ミハルコフの狙いはそこにはなかった。陪審員それぞれがもつ人生経験とそこから自分流にひきだされた「真実」を吐露させること、またエリツィン以来の「自由」と資本主義が押し寄せてきた新生ロシアの社会的現実(その荒廃)をあぶりだすこと、それにひところ激しかったチェチェン戦争、このあたりにあったと思われる。三者は無論関連するのだ。推理の「論理」だけならば、論議はもっと早くすすむだろうが、陪審員は自分の人生経験からえられる「真実」で肉付けしたい。そうすることでその「論理」をより強固なものに完成させたいのだ。たとえば殺害に使われたナイフは少年の所持していたナイフときわめて酷似していた。犯人が少年でないならば、何ゆえナイフは酷似していたのか、という問題だ。(少年の所持していたナイフはどこにあるのか、無くしたのか、映画中では説明がなかった)そのナイフは市場で容易に手に入れられるナイフだとしても、あまりにも偶然が過ぎるのではないか、これが少年犯人説の有力な根拠で、それを支持する陪審員も多い。だが反対者は「奇跡」は起こりうると、みずからの人生に照らし合わせて、食いつくように語る。会社社長は、現在の妻と結婚できて酒びたりのどん底生活から這い上がることができた。その出会いは「奇跡」そのものだったと。また別の男は父の「奇跡」を語る。大戦当時リトアニアに住んでいた父は、危険覚悟でナチス将校の愛人に手を出した。子ども時代にその女の写真を父に見せてもらったが、この世のものとは思えない美しさだった。父の気持ちがわかった。戦争が終わると語り手の実母と離婚までしてその女と晴れて一緒になったと。「奇跡」「偶然の一致」を肯定的に説明するのに、それぞれがここぞとばかり人生経験を引き合いにして、長々と「自分語り」をするのだ。陪審員ひとりひとりの判断が被告の少年の運命を大きく左右する。すっきりした論理だけでは後悔がのこるというのだろうか。

 さらに最後のほうになると「論理」は「信念」にまで傾いてくる。隣のビルにすむ老婆の目撃証言はずさんだった。犯行時間は夜で明かりもついていなかったので、視認はできそうにない。「殺してやる!」という少年の叫び声を耳にしたが、それも距離や騒音の関係であやしい。ところで、老婆は少年とその義父であるロシア人将校と懇意にしていた。義父がそのころ愛人をつくっていたことも知っていた。そこで老婆は自分のロシア人将校に対する嫉妬感情を少年に投影したのではないか、これがある陪審員の類推である。その主張に対してそれまで頑強に有罪説を下ろさなかったタクシー・ドライバーが、自己体験を披露する。老婆のではなくて、少年自身の嫉妬感情を大いにありうると断定する。何故なら彼の息子も父の二度目の妻に対して執拗に嫌がらせをしてなつかなかった、父を盗られたという思いがあったのか。だが随分時間が経ってから息子は父(語り手)に泣いて謝ってくれた、抱き合って私も泣いたというのだ。血のつながりのない家族であっても、時間をかければ仲良くなれるといいたいのだろう。息子と真につながりを持てた、という実感がタクシー・ドライバーにはある。さらに敷衍して彼はチェチェン人の少年もそうやすやすと義父を殺したりはしない、と自分の息子を老婆とはまったく逆の見方で少年に投影して見せる。「論理」ではなく「信念」や希望なのだ。またこのタクシー・ドライバーは最初の妻が逃げて、アメリカ人の元に走ったという新生ロシアの「洗礼」を受けている。そしてついに彼も主張を変える。

 商売上、あくどい仕掛けをして賄賂を稼ぐと告白する陪審員もいる。この言は重要で、地上げ屋の暗躍説を浮かび上がらせ、たいへん説得力をもたせることになる……。

 チェチェン戦争が、短い時間だがふり返られる。猛烈な機銃掃射、一転して戦闘が終わって戦車の上に犠牲者が横たわる、どしゃ降りの雨のなかで。さらに殺されてしまった少年の実の父母、これらの映像がなかなか効果的だ。注文をつけるとすれば、大部分が字幕の上映時間一六〇分は疲れる、ということか。(わたしは二回見た。大事なところが記憶から抜けてしまったので)それでもロシア人に対しての見方を少しばかり変えられるチャンスをもらった気がした。ロシアといえば、周辺の小国や独立志向の強い自国領土内の民族をいたずらに軍事的に踏みにじる大国のイメージが強いが、すべてのロシア人が自国家のそういうあり方に追随的ではない、批判的であることがわかる。資本主義の金儲け一辺倒の悪い面も冷静に観察できている。チェチェン人への偏見の是正もあって、ロシア人の良心を見た気がした。
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