大洋ボート

森恒夫『銃撃戦と粛清』(9)

 「気絶から覚めたときには別の人間に生まれ変わって共産主義化を受けいれるはずである」とはあきれる。現実認識にもなりえないまったくの低脳ぶりで、幼稚だ。気絶から覚めたら共産主義化を受けいれるだって? 森はそんなに簡単に共産主義化なるものを考えていたのか。それに殴打がかならず気絶を到来させるとも限らない。現に永田が危惧したように加藤能敬は気絶しなかったし、そのうえ、気絶という目標は暴行の途中で変更されなかったために暴行=リンチはより激しさを増した。森の言葉では「なし崩し的に拡大した」のである。森のこの気絶目標は加藤、小嶋の他尾崎充男にも、坂口によると進藤隆三郎にも適用されたが、進藤は腹部を集中的に殴打されたため一日のうちに惨殺されてしまった。坂口によると、加藤も進藤もいたいたしくも総括をなしとげようとして必死に踏んばったために気絶しなかった。加藤は起立させられて全員から殴打を受けながら一度も倒れなかったそうだ。「本当に驚嘆すべきことだった。」だが森はまったく倒錯していた。

 ところが森君は、倒れないのは素直に総括する態度ではない、とみなして殴打を続行したのである。加藤君の命がけの総括を己が想定したように気絶しないからとして、これをむしろ総括する態度ではないとみなしたのだ。途方もない傲慢な判定である。(同、p263)


 「途方もない傲慢」どころか、森はベースという密室内で専制君主になりはてたのだ。自分は絶対的に正しい、どんな結果が到来しようとも正しい。語義矛盾だが「間違っていても正しい」のだ。そういう誇大妄想的確信と通常ではない勢いが最初にあって、死者を生み出した新たな事態に対しては「敗北死」のような理論を絞りだす。気絶というリンチ当初の目標も何人目かから引っ込めてしまったようだ。別の角度からみれば客観性や結果よりも意図と主観を絶対的に固守しようとする。その固守において森は専制君主であった。死という衝撃さえも森にとっては「共産主義化」の目標にはまったくダメージにはなりえなかった。

 結果には原因がある。原因がすべてわかるのではないが、この場合の死という結果の原因は言うまでもなく「共産主義化」目標にもとづく総括要求という暴行である。だが森は死という結果を偶然とみなした。賽の目が投げるごとにちがうように。だから賽を何回も投げるように総括要求を繰りかえした、「革命的気概」を引き出すために死を近づけた。彼は尾崎充男が最初に死んだとき、大失態を意識したはずだ。だが、責任を認めて指導部を降りることはしなかった。あるいは彼無しでは「殲滅戦」をたたかうべき組織が瓦解するのではとの危惧を抱いたからかとも思ったが、それだけでもない。森自身が書くように「観念的世界」の倒錯に夢中になってしまったようである。

 考えられない程陰惨な、残虐な行為を私が展開し、又その他のメンバーにさせた原因は何だろうか。私自身が文字通り″狂っていた″とは思わない。(客観的には″狂気″の世界であれ)亡くなった(ということは、私が殺害した)一二名のメンバーに対して、私は当初から彼を殺さねばならないなどと思ったことは決してない。ましてや、そうすることが革命の利益であるなどとは決して思わなかったのである。だが、(自己批判書第一部で述べた様に)軍の共産主義化の問題を″観念″の世界に追いやることによって、死=敗北であるという、それ自身階級闘争に於る死の問題としては正しいが陰惨な拷問に等しい行為を続けたあとの死に対しては詭計的である狂気の世界へ入っていったのである。(中略)私は自分が狂気の世界にいたことは事実だと思うし自分がそういう世界をつくりだしたと思っているが、常軌を逸する程前後の見境いがつかなくなっていたとか、物事を判断する能力を失っていたとか思わない。逆に非常に多くのことを考え、判断し処理したのである。それ故、この狂気は一般に云われるそれではないことが明らかである。
 それでは狂気の正体は何なのか、どうも私はこの事については自己批判書で書ききれていない気がしていたし、今でもそうである。今の段階で答えは人間に対するべっ視ではないかと思う。(p267)



 「非常に多くのことを考え」誰の妨害も反対もなく「判断し処理」できたのは専制君主だったからだ。専制君主は必ずしも狂人ではない。やったことが狂気にみえても専制君主が冷静に判断しての結果である、というのだ。だがそれ以上のことがここで突っ込まれているだろうか。「敗北死」理論は詭計であったと書いているが、そうだろうか。森は失態を覆いかくすためにデッチあげたその理論を心底から信じようとしたのではないか。「敗北死」という結果は偶然であり、次回はそうともかぎらない、と。専制君主が信じれば、声高に言いつのれば取り巻きも引っ張られる、君主と同体化しようとする。「詭計」とはだまして陥れることだが、何回も繰りかえすと真実に近づくような錯覚が生じてくるのではないか。さらにそれは既定方針となる。その闇に森は専制君主としての権勢で、参加者全員を自分も含めて陥れた。自己保身も大いにあったにちがいないが、君主という地位ゆえに鈍感だった。観念の世界に没入することで忘れようとした。また、この文の日付は七月十五日となっているが、この期に及んでも殺意はなかったなどといわれると、うんざりする。

(前略)そして彼はすでに立直る事をあきらめたかの様に、彼の活動内容をしゃべり、引継ぎが可能な様に事情を説明したりした。この間、我々が見ていて異常と思われる位夢の中でしゃべるような様子であったので、急いで彼の瞳孔を調べると、半分近くに拡大している状態だった。それで我々は、彼が恐らく精神的に絶望して死の世界に入ろうとしている可能性がある事、それが瞳孔の異常として表われているので彼をこの絶望の状態から何とか引き出さないと駄目だと思って、詰問調の追及を質問調に変えたところ、その時にのみ彼の瞳孔は正常にもどった。こうした事から、我々は一方で彼が精神的に敗北する過程に入っているという判断をすると共に、もう一方逃亡の危険があると考え、彼の手足を力が抜ける程殴っておく事にし肩甲骨の裏を手拳や膝頭で殴り、大腿部を足や棒で殴ったのち、逆エビ状に再び縛ったのである。(p132~133)



 これは行方正時が緊縛を説かれて森らに追求される以降の場面だ。総括リンチはどれを取り上げても陰惨残酷で、逐一をたどっていくつもりはないが、ここだけは森の倒錯性を顕著にあらわしている場面なので引用しておきたい。食事も満足に与えられないうえ、ベースの柱に三日ほど緊縛されていた行方だから衰弱が著しかった。森らに緊縛中の逃亡の意志のありやなしやを問われて、力なくそれを肯定してしまうのである。むきになって反論する力も、逆にしらばくれる力も残ってはいない。それに逃亡を夢のように望むことはきわめて自然ではないか。哀れだ。だがそういう行方の心的世界を忖度する気持ちは、森にはいささかもない。倒錯観念がこびりついてしまっていて、眼前の現実をあたりまえに見ることすらできなくなってしまっている。肉体のいちじるしい衰弱によるのではなしに「精神的に絶望して」死にかけているというのだ。行方の肉体は森の倒錯の所産たる革命的気概を「探索」するための材料に過ぎないのだ。「詰問調の追及を質問調に変え」るのも、たいへんやらしい。生殺与奪の権利はすべて俺がにぎっていると誇示せんばかりだ。そして死=絶望、敗北、生=逃亡というでたらめな定式が無造作に烙印される。

 総括要求による犠牲者はこのあともつづく。簡単に記しておく。一九七二年一月十八日、寺岡恒一死亡、享年二四。一月二十日、山崎順死亡、享年二一。一月三十日山本順一死亡、享年二一.同日、大槻節子死亡、享年二三。二月四日、金子みちよ死亡、享年二三、妊娠八ヵ月。二月十二日、山田孝死亡、享年二七。先に記した六名とあわせて十二名の死者を出す惨劇となった。なお寺岡と山崎は総括要求ではなく、森によって処刑宣告されての死亡だった。

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