大洋ボート

森恒夫『銃撃戦と粛清』(6)

 六〇年代後半以降のあのはげしい闘いにおいて、すでに死者は散発的に出現していたが、積極的に相手を殺そうとする意思がはたしてあったのか、私は当時は、おおむねはなかったと捉えていた。機動隊なり、競合敵対する党派なりの成員に打撃、もしくは重症をあたえようとする意図までだったと思う。結果としてときにやり過ぎてしまうことはあった、と解釈していた。逆に機動隊によって惨殺されたとみえる死者もあったが、これも機動隊側に明瞭な殺意があったのか、もとより証拠はないが、やはりなかったと当時私は解釈していた。事故や傷害致死として私は見なしたし、末端の高校生活動家であった私の仲間も同じような考えではなかったか。それはまた、私達にとって死がかなりとおいものであったという意識の反映でもあっただろうか。たしかに「血みどろの戦い」「血で血を洗う」という類の言葉が機関紙には連日踊っていたが、私達は煽情目的と受けとっていた。そういう日は来るかもしれないが、もう少し先と高を括っていた。若い盛りであるから、死に対しても舐めてかかる姿勢があったのかもしれない。末端の活動家においてはそういう空気は結構ながくつづいたようにも思うのだが。

 遠山美枝子が森に「処刑」という言葉を突きつけられる場面がこの本にあるが、遠山は無論恐怖したにちがいないが、恫喝の可能性として受けとることも捨て切れなかったのではないか、煽情的で血なまぐさい言葉が活動家を少しでも引っ張りあげようとして飛び交う、六〇年代末期。まだ言葉はいくらか割り引かれて、私達の前に現実とともにあるという時代。そういう時代の「空気」を彼女は知っていた、それがわずかな希望になりうると考えていたと思いたい。だがいつからか、とくに七〇年代に入ってからか、活動家の一部において殺意がしだいに明瞭に台頭してきたものらしい。私はそのころは運動からは身を引いていたので、実感として語れることはないが。

 森は、最初から殺意を持って被総括者にのぞんだのではないだろうが、その可能性は意識していた。そして実際そうなってしまった。無茶苦茶な闘争心と冷酷で不遜な心性が、被総括者への配慮をうばってしまった。ベース内とはいえ、寒気のなか、負傷の手当てをろくにしなかったし、食事も与えなかった。最初の死者は尾崎充男である。遠山、進藤、行方が合流した夜の全体討論の渦中で、柱に括られたまま絶息したという。尾崎の死は静かだったので全員にはわからなかったようだが、森はさすがにショックで、かぎられたメンバーで緊縛状態であった尾崎、加藤、小島の三人を外に連れ出して加藤、小島は立ち木に縛りつけ、毛布を与えて見張りをつけた。尾崎は地中に埋めた。三人を除いて重大な討論を始めるという口実だった。

(前略)そして、その様にした後、(今から考えて非常にナンセンスな事だが)全員に食事を出し、尾崎君の死を報せ、我々の厳しい共産主義化の闘いの中で尾崎君が最終的にこの闘いに勝利し切れず自ら敗北の道を辿って死んでいった事、我々にとって共産主義化の獲得こそが党建設の内実であり、これを獲得するためには各個人の文字通りの命がけの飛躍が必要であり、こうした事を為し切れなかった尾崎君の死は、共産主義化の獲得―党建設という我々がはじめて直面した高次な矛盾であるが故に、この現実を厳しく直視しなければならない事、だから彼の敗北―死を乗り越えて前進する決意を我々自身がより固めていかなければならず、食事が食べられないという事もあってはならないと述べた。この事は、私自身が尾崎君の死を暴行によるものではないかと考えた事を“命がけの”飛躍という事によって合理化し、又、肉体的に暴行、食事なし、寒気という異常な条件に対する指導という意味での慎重な配慮を為さなかった為に死なせてしまった事を省みず、死の責任を本人に一方的に押し付けるものであったし、更に、その事実を食事云々という事で他のメンバーに対する踏絵にし前記の誤りの承認を強要したものであった。(p49~50)


 「敗北死」理論がここで登場する。論評でよくとりあげられるカ所であり、この理論によってのちの大量の総括死への道がさらに開かれることになった。尾崎充男の死は森の指導による容赦ない暴行によることは明らかであり、殺人そのものだ。だが森はこの失敗の責任をとることを放棄した。地位の失墜をおそれてか、惰性と傲慢によるのか、みずからリーダーを辞すという選択はなかった。それほどまでに革命を「銃による殲滅戦」をやりたかったのか。森らはやりすぎた、それを百歩譲って「過失」だとしても、尾崎を「敗北死」とすることで責任を死者に押し付け、そのうえ暴行の正当性をも保障し、「過失」という後悔さえ消滅させてしまった。革命的気概があれば暴力と死を乗り越えられる、それを暴行という「総括援助」によって暴力と死を非総括者に近づけることによって、引き出す、ありなしを確かめるということだ。無茶苦茶である。「援助」といっても育成するという姿勢は微塵もない、これは「共産主義化」が「短期」でなければならない方針であったことが口実にされたが、総括、総括援助、敗北死など言葉の乱暴な意味変換がはなはだしい。

 革命的気概がなくても人は死にはしない。ましてや、革命的気概と死との二者択一などとはほんとうに馬鹿な話だ。それを処刑と呼ばずに「敗北死」と呼び責任回避をする。実に悪知恵をはたらかせるものだ。「命がけ」という言葉は恫喝ではなくなり、剥き出しの状態で襲いかかってきた。革命的気概なるものがなくても「殲滅戦」を担える可能性は十分にある。それに参加者のなかの革命的気概をどうやって確かめるのだ。過去の行動ではなく、目の前で遂行されつつある活動や闘争のなかで、その人の行動と言葉を見ることによって確かめる以外にはない。信用できる人物か、そうでないか、それくらいの判断がせいいっぱいではないだろうか。人の未来を確実に言い当てることくらい不可能なことはない。そういう一般論に森は耐えることができずに猜疑心を、否定的評価を、地位を利用して参加者に途方もなく押しつけた。その結果、森の贋理論では、革命的気概がものすごく硬直化した像と化し、はるかかなたに遠ざかってしまって、参加者にとってきわめて獲得困難なものになってしまった。私から見ても参加者から見ても、革命戦士なるものはどんな暴力をも撥ねかえす不死身の肉体をもった鋼鉄のような人間でなければならなくなるが、森は肉体ではなく気概だと、精神だというのだ。そして死を近づけることによってその有り無しを確かめようとする。名目は短気に共産主義化を勝ち取るということだが、できるわけもない。被総括者が死なないにしても、森らが恐怖と衰弱で都合よく支配できるようになるだけだ。革命的気概があってもなくても人は、暴力によって簡単に死んでしまうのだ。だが森らは死を、尾崎充男の死以後も被総括者に近づけた。それを逆の側から闘争と呼んでしまう倒錯。

 この「敗北死」理論の欺瞞と詐術は、参加者に劇薬のように浸透していった。ひとつは正しく総括すれば革命戦士になることができて生還できるという幻想を抱かせることによって。まさに死をもおそれぬ革命的気概を今さらのように自分で育成せねばならぬという目標を据えさせることになった。もうひとつは自分以外の参加者の総括に際しても積極的にかかわり、つまり「援助」という暴力を真面目にふるうことで総括を遂げさせようという幻想を抱かせたことによって。仲間想いという名目と心情がより苛烈な暴力行使に向かわせた。事実、加藤能敬の下の弟は「早く総括しろよ!」といって、加藤に対して泣きながら鉄拳をふるったという。(坂口弘『あさま山荘1972』)今ひとつはやはり、殺されるよりも殺す側にまわろうとドライに考えた人も多かったのであろう、森らにひるむところを見せまいとして、暴力に積極的に関わっていったであろう。


あさま山荘1972〈下〉あさま山荘1972〈下〉
(1993/05)
坂口 弘

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