大洋ボート

愛のコリーダ(1976/日本)

愛のコリーダ 完全ノーカット版愛のコリーダ 完全ノーカット版
(2003/08/20)
松田英子、藤竜也 他

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 有名な阿部定事件がモデルになっている。松田映子(定)が女中として働く料亭の主人の藤竜也(吉蔵)にひと目惚れし、まもなく愛人関係となる。そうしてついには藤を絞殺したあげく局部を切り取るというショッキングな結末の話だ。定の吉蔵への燃えたぎる想い、独占欲がそうさせることにはちがいないが、監督の大島渚が主張したかったのは、それを土台としつつももっと深いもの、女性のセックスの奥底から突きあげてくる内発性といったものが定に犯行をうながしたということではないか。

 女性のセックスについては私はよくわからない。私が男性だからであるが、多くの女性にとってもこの映画の定はそれほどわかる人はいない気がする。そこで私は外側から推察するしかないのだが、まず、定は直情径行型の人だということだ。奉公先の女将に「女郎あがり」といわれると包丁をもって向かっていく。吉蔵と宿泊する旅館の女中が「変体」となじると、これまた食って掛かる。喧嘩っ早いのだ。それから勿論、いったん関係ができると吉蔵をテコでも放そうとしない。吉蔵は妻ある身だから、たまには帰宅しなければならないのだが、そのときのはげしい嫉妬(ここでは松田映子はうまくない)、ときには家までついていく。愛人や妾では嫌だという。あくまで独占してしまいたいのだ。

 定は元娼婦である。それもあって定にとっては性なくして愛はない。反対に愛がなくても性はある。だが勿論定は吉蔵とセックスをかさね、繰り返すことで愛を深めようとする。定にとってはそれは、性と愛の未知の領域へどんどんはまっていくことだ。

 セックスの快感の奥には苦痛があり、苦痛をも快感として繰り込んでいくことが描かれる。それを身体に刻み込んだ定にとっては、逆に苦痛を導入部としてセックスの世界に入りこみ時間を過ごすことができるまでになる。それが端的にあらわれるのは「校長先生」(説明が省略されているが、定にとってのほんとうの校長であるとともに金づるでもあるのだろう)とのセックスの場面だ。二人は裸になってベッドに横たわるが、発情しない校長に「ぶって、ぶって」とせがむ。うながされて校長は定の頬を平手で打ち、定はセックスの意識のなかになだれ込む。性とは日常性と隣り合わせでありながら、日常性そのものではない。このように、たとえば「ぶたれる」ことによって身体に変異が生じ、それをスイッチにして身体ともども意識がセックスの中心にたどりつける。さあ、それからは定は吉蔵にもっぱらこの苦痛を伝授することになる。

 好きな相手と同じことをする。ともに快感を求めるのならばともに苦痛をも求める。同じ困難に挑戦し、同じ体感をえられれば二人の距離はもっと縮まる。もっと愛が深まるであろうあらたな境地が手に入る。だがはたして、それができるかどうかはわからない。苦痛はたんに苦痛で終わるかもしれない。遊びの世界ともいえなくはないがたいへんスリリングである。吉蔵は遊び人で、一見して投げやりでありながら実はたいへん挑戦的なものを秘めている。たたかれたり首を絞めたりされて、吉蔵においても苦痛がしだいに法悦となっていく。ただ吉蔵にとって、そうして苦痛を積極的に受けいれることが、はたして自身の欲望の内発性からくるものなのか、それとも定に多分に引っぱられた結果なのかは判然とはしない。定が好きなこと、セックスが好きなこと、その感情が苦痛を授けられることによってますます固定化されていくことは確かなようだ。同時に、これら一連の所作は死の予行演習でもあることに吉蔵も、そして視聴者も気づく。定ははじめからそれが標的としてある……。このあたりでは映画はテンポをたいへん遅くして、濃密で息苦しい時間を形成している。

 「殺して欲しいか」「殺して欲しいなら、殺してくださいといえ、吉蔵」。吉蔵を顔をつけるように間近で見つめおろしながら、帯で首を絞める手をしだいに強めていく定のセリフだ。吉蔵が完全に自分のものになりつつあるという自信と安寧と幸福。さらに性の奥深くから突きあげてきて定をうながすものがある。その姿は定という個人を越えて、性の全体性を特異な方法で獲得した女性の象徴的存在というまでに見えてくる。定はゆるぎなく沸騰する。

 一九七六年の公開当時に見たときには、この映画はよくわからなかった。死んだり殺したりは勿体ないなあ、とうくらいの平凡な感想しかなかった。それに腹立たしいほどボカシが大きかった。今見ていちばんの印象はすべての場面においてではなくところどころで松田映子がたいへん可愛く見えることだ。不美人であるにもかかわらず。この想いは吉蔵役の藤竜也も共有するのだろう。性と愛の絶頂点で、好きな女に絞められて死ぬことの幸福。好きな男を絞め殺すことの幸福。私には実感が最後まではとても追いつかないが、そのあとの部分は哲学(攻撃的観念)が存分にこめられていて、二人がたいへん神秘的に見えた。
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面白かったです。また遊びに来ますね。
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