大洋ボート

ノーマンズ・ランド(2001/フランス・イタリア・その他)

ノー・マンズ・ランドノー・マンズ・ランド
(2002/12/18)
ブランコ・ジュリッチ、レネ・ビトラヤツ 他

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 旧ユーゴスラビアにおけるセルビアとボスニアの紛争が舞台。「俺の村はおまえたちによって焼き払われて皆殺しにされた」ボスニア兵が若いセルビア兵に銃をつきつけながら憎しみを剥き出しにして言い放つ。負傷して歯を食いしばってこらえるセルビア兵もひるむことなく「おれたちこそおまえたちに……」と同様のことを異口同音に言い返す。戦争ってこういうことなんだなと思わずにはいられない。「敵」に対する憎しみは個人にも勿論宿るが、それ以上に故郷や仲間、国の憎しみや報復感情が個人にのしかかり、そのうえで個人が支えるのだ。報復感情ばかりではなく、これ以上の被害をなんとしてでも食い止めたいという防衛意識も無論ある。つまりは連帯感で、どちらの国の兵にとっても同じだろう。また、どちらの国が先に仕掛けたのか、どちらが悪いのか、という議論は彼等を立ち止まらせない。たとえ自国が悪かろうと、一方的に攻めつぶされることは身を挺して防がなくてはならない、そのために戦闘を停止することができないのだ。だが敵同士であっても、話すうちにお互いに同質の心情を抱いていることが少しずつわかってくる。私はそこにかすかな希望の光を見る思いもしたのだが。

 うつくしさと残酷さがきわだった対照をみせるふたつの場面がある。ボスニア兵はセルビア兵にとどめをささない。「情けをかける」からだ。だがそれが徒となって、小さな隙を突かれてセルビア兵に武器を奪われ攻守ところを替えることになる。ボスニア兵の措置はそこだけとりだせばうつくしい。だが武器を奪われたことによってボスニア兵は「情け」を悔いる。またセルビア兵はボスニア兵の轍を踏むまいと決意してしまう。「情け」をかけまいとするのだ。自分が助けられたにもかかわらず。視聴者としてはうつくしい行為をないがしろにされた気で残念だが、生死がかかる彼らにとってはそれどころではないのだろう。当面の安全を確保するには、目の前の敵を抹殺してしまうのが一番だ、そう考えるのもやむをえないのか。一方、残酷なものは地雷だ。物語は全滅したはずのボスニア陣地の塹壕にセルビア兵二人が斥候に赴くところからはじまるのだが、生き残りのボスニア兵を発見して仰向けにさせて、身体の下に地雷を敷設してしまうのだ。少しでも動けば爆発する仕組みで必死状態だ。だが、やがてもう一人の生き残りのボスニア兵によって彼らは一人が戦死しもう一人が負傷し、書いてきたような展開となるのだが。

 ボスニア兵は同僚を助けるために、セルビア兵にセルビア陣地に向かって白旗をふらせ、国連監視団の地雷処理係を呼び寄せるまでにこぎつける。このあたりは息詰まる。視聴者は同時に「戦争だから死者が出るのはやむをえない」というような、普段ありがちなぼんやりした諦めの感情が見事に洗い流されることに気づく。惰性を戒めねばならないとも思わされる。ああ、救ってやりたいなあと願わずにはいられないのだ。死者の続出する戦争を向こうにまわして、そのまっただなかにいる一人の人間の命を救いたいとの心情を抱かずにはいられない。たった一人になってもその思いを持ちつづけたい、という決意のようなものが固まってくる。そして結末はたいへん重い。無力感が生じてくるのだが、やれやれという肩の荷を降ろすときの安堵感よりも、このうえなく貴重である。平和と命の尊さを刃のように突きつけてくる映画だ。

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