一九三〇年代末期から一九四二年までの上海が舞台。タン・ウェイは同じ学生のワン・リーホンの誘いで学生演劇に加わり、さらに彼女もふくめた仲間五人全員がそのまま抗日スパイ組織へと衣替えしていく。標的は日本軍に宥和政策をとる汪政権のトニー・レオン。彼は抗日中国人組織を探索し、捕縛と殺害を実行する警察組織の司令塔的人物だった。

 ノンポリで明るい学生だったタン・ウェイが、抗日プロパガンダの演劇の舞台に立って復讐を誓う。すると嵐のような声援がかえってきてナショナリズムの大きな渦に呑みこまれていく。そこで確信を深め、さらに小さな組織の秘密と団結の空気を身につけていく。プチブル風の屋敷を借り、貿易商の夫人になりすまして、トニー・レオンの夫人に近づいていく。この仕掛けも学生組織にしては大掛かりだが、若者たちもタン・ウェイもせいいっぱい変貌をとげていく。この過程がたいへん説得力がある。私は日本人だが、日中戦争もとおい昔の出来事で、それにはこだわりはない。一歩一歩標的に近づくことと成功を願わずにはいられない。彼らは「政治的人間」へと成長するのだ。義憤であり義務であると思われるものに彼らは魅せられる。そうして「政治」(戦争)という巣に凝着されて、力以上のものを発揮する。それが彼らは心地よいのだ。偉大な目的に近づくことを思うのだ。省略するが、さらに山場があり危機がある。非常手段まで行使して彼らはそれを乗り切るのだが、まさに固唾を呑む思いがして、これが重くもあるが爽快でもあるのだ。

 一方のトニー・レオンはどっしりした構えと眼差しでタン・ウェイを、また視聴者を迎え入れる。彼の表情には緊張と警戒と冷静さ、さらにはわずかに疲労も見え隠れするようだ。そんな彼が「貿易商夫人」タン・ウェイに惹かれる。レストランでデートしたときにグラスについたタン・ウェイの口紅がアップされる。これだけでトニー・レオンの色情の高まりが端的に表現される。やがて彼の豪邸でのレイプまがいの強引なセックスとなる。

 タン・ウェイはトニーとのあいだで何をすればいいのか。彼の思うがままに身を任せること、「貿易商夫人」を破綻なく演じきること、彼から漏れるかもしれない情報をチェックすること、そして彼の心をつなぎとめておくこと、などであろう。だが心をどうやってつなぎとめるのか、彼が自分を好きならば自分のほうも好きになって気持ちを返せばいちばんいいのではないか。「芝居」といいうことにこだわる必要はない。自然にそういう感情を抱ければベストなのだ。そういう世界にタン・ウェイはずるずる引き込まれる。すると知る必要のないことまでが肉体を通じて直接伝わってくる。トニーが「政治」(治安、戦争)という日々の行いの重い荷をひとときでも降ろしたがっていること、男女の性という別の慰安の、秘密の世界を作りたがっている、現に作りつつあってそれをより確固たるものに築こうとすること。「政治」とはまったく異なる渇望がそこで満たされる。秘密の部屋で相手の肉体を思う存分にいじめ扱う。相手もそれに応える、快感を放出する、すると白熱した感情が相互からたちあらわれてくる、迷宮でもある、「迷宮」はくりかえすことを本能に要求する。二人だけの世界、「愛」の世界。もうやめられない……。

 当面、政治の世界から足を洗わないにしても「裏の世界」としてそれは個人のなかで最重要な位置を占めるのではないか。タン・ウェイもそれは無理なく肯定できるまでになる。それならば、タン・ウェイ自身も性を政治に従属させることはなく、トニーと身も心も一体になってそれを秘かな自立した「裏の世界」にすればいいのだ。欲情にブレーキをかけることなく。政治的立場はとりあえずは変更しないまでも……。そしてタン・ウェイのなかでさらにさらに飛躍するものがある。

 この映画は結末がすべてを語る。結末の衝撃から出発して、二人の関係の世界を思い出し洗いなおす。するとやはり二人の「愛」の世界がこの映画の中心であることが、はっきりとわかる。アン・リー監督の前作『ブロークバックマウンテン』ともおおいに通じる。日中戦争は大いなる舞台装置に過ぎないのだ。トニー・レオンのデスクの上で静まることなく、かすかに音を立てて揺れる指輪。「鳩の卵」と名づけられた指輪。 
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