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イーユン・リー「千年の祈り」

 作者イーユン・リーはこの第一創作集を全編英語で書いたそうだ。そのわけについて「訳者あとがき」によると、リー自身中国語では自己検閲をかけてしまうからだと語っている。言論の自由がなく、うかうか喋ることができない中国での生活から自然にできた習性かもしれない、納得がいく。同じように「千年の祈り」の女性主人公も中国語ではなく、英語という外国語を身につけて話すことによって、自己表現のすばらしさと解放感を実感する。主人公の中では中国語はみすぼらしいようだ。ただその背景にあるものは作者の「自己検閲」という理由とはわずかにちがい、小説独自の仕込みがされている。もっとも主人公は作者ときわめて近い境遇らしいのだが。

 これは父と娘の確執の話である。石(シー)氏は元ロケット工学者。アメリカへ渡った娘が離婚したと聞いて、心配になって娘を訪ねてきた。また、娘が子供のころは家庭内ではろくに口を利かなかった。それは彼の仕事が国家機密に属するので、家庭内でも一切仕事上のことを口にしてはならなかった。融通のきかない父は仕事のことで頭がいっぱいで、話してもいいことまで話さずじまいできてしまった。家族のコミュニケーションはなおざりにされたのだ。そのことへの後悔もあり、肉親として腹を割って娘と話したい、付き合いなおしたい、という気持ちも切実にわきあがってくる。だが娘のほうは、子供時代からのそんな父や家族の世界がうっとうしくて逃げるように渡米してきた。同じ中国人の男とは離婚にいたったが、図書館の司書の職を得て、ようやく自立へと踏み出そうとしている。父がはるばるやってきても、いまさら仲良くはなれず、冷淡な態度をつづける。

 石氏は退職後、料理の腕をみがいたらしく、寄宿する娘の家であれこれつくっては食べてもらおうとする。だが娘は少ししか手をつけない。ここが両者の不仲を端的に示す場面であざやかだ。娘はまた、恋人を新たにつくっている。父が心配するほどには憔悴していない。離婚が大きな不幸をもたらすにちがいないという父の旧来的な先入見を、ごく自然にくつがえしてしまっている。そのルーマニア人の恋人との電話を、父に聞かせるようにつづける場面も印象に残る。それまでは父の前で電話をするときにはひそひそ声だった。

 娘が英語を話すのに耳をそばだてる。これほどきつい声に聞こえるのは初めてだ。早口でしゃべり、何度も笑っている。言葉はわからないが、その話しぶりはもっと理解に苦しむ。やたらとけたたましくふてぶてしく、きんきんひびく声。ひどく耳障りで、ふとはずみで娘の裸を見てしまったような気分だ。いつもの娘ではなく、どこかの知らない人みたいだ。



 娘は、現在の自分らしい自分を父にさらけだすことで、父の自分への認識をあらたにしてもらいたいという欲求が湧いてきたのだろう。うちとけあうにはまだまだ距離がありそうだが、読者としては第一歩にはなりうる気がした。それにここでは、外国語で話すことによる自己解放といったことが書かれている。しかも作者が自分にかさなる主人公になまなましくしゃべらせると同時に、不仲の父の目をとおしてさらにそれを客観化している。ふたつの存在がかさなりあっていて、見事なものだ。父は他人のように見えてしまうそんな娘にとまどうが、切り捨てるのではなく、どうにか思考の回路を解きほぐして肯定的に受けいれようとするのだろう。題名の「千年の祈り」とは、人と人とが会って話すには目もくらむほどの長い時間祈らなければならない、そういう中国の言い伝えにもとづいている。言い伝えを信じるかぎりは、父は娘との和解をあきらめない。

 そんな父の石氏にも楽しみができる。近所の公園でイラン人の楽天的な老婦人と会話することである。会話といっても片言の英語以外は両者とも母国語で話すので、豊富につたわるのではない。自分は幸福で、アメリカがいい国だということくらいだ。ただ石氏は「マダム」の輝くばかりの「生命力」をうらやましいと思うばかりで、それだけで石氏もいい気分になってしまう。娘にはない明るさをもちあわせているように見える。コスチュームはいつもけばけばしいばかりの原色系統で、たとえば「紫の猿のプリントがついた鮮やかなオレンジ色のブラウス」だったりで、「この世を愛してうたがわない」のだ。きっと彼女は夫や家族によって「人生の辛気くさい物事から」まもられてきた、と石氏は推測する。何も書かれてはいないが、父としての自分と娘のことを引き合いに出すと、忸怩たる思いがかすめるのではないか。この老婦人に刺激されて彼もまた、相手に伝わらないにもかかわらず、母国語で身の上話をはじめるのだ。悲しい思い出だが、今まで無口で押し通してきた人が、なんのためらいもなくはじめて自分を語りだす。ここにはやはり語ることの解放感というのか、ようやくのように荷物を背から降ろすことができたときのほっとした感覚が味わえるのではないか。それも娘のけたたましい英語でのおしゃべりが、彼に何らかの影響をあたえていると見るべきではないか。

 ビデオカメラが父のあとからついていくような、人の息遣いが伝わってくる好短編だ。とりあげなかった作品では「縁組」がすぐれていた。これは旧来の強引ともとれる見合い結婚にあきたりず、あくまでもみずからの恋愛の意思を貫きとおそうとする何人かの男女の話だ。既婚の男女それぞれに別の好きな人がいて、その関係をずっとつづける。またその家の養女となった少女が、現実離れしているがみずみずしい恋情を燃やす。

 この第一創作集のいくつかの作品で、イーユン・リーはアメリカでの生活を鏡にして、母国中国の実情、とくにそのひずみの部分をあざやかに描き出すことに成功した。次回作はどうなるのか、アメリカはきれいなままなのか、それともその実情を生活の周りに発見することになるのか、楽しみである。
                               (了)
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