大洋ボート

ユベール・マンガレリ『おわりの雪』(2)

 念願かなって青年はトビを買い、鳥かごごと家に持ち帰る。父の傍にそれをおいてやり、威勢よく肉を食うさまや仕草、かすかな羽音を聴いてともによろこぶ。だが、せっかく買ったトビだったが、青年はどうもすっきりしない。大きな問題としてあるのは無論犬を捨てたことだ。そのうしろめたい思いがなかなかはなれないのだ。

 父も思いのほか、トビを自宅に置いたことをそれほどよろこばないのかもしれない。義理として息子の買い物につきあうのかも知れない。それに犬捨てをさすがに父は知らないが、息子の異変に敏感に気づくのかもしれない。これらは読者としての私の推測である。青年が息子として、それらを果たして察知するのだろうか。少なくとも何事もなかったように、みずからにも家族にもお芝居をしている時間のなかではわからないだろう。

ふりかえれば青年は夢見がちな性質で、父はそれを知っていたし、そういう息子が好きだったのだ。自分に似たところがあるとかねがね思ったであろう。トビを買う以前は、青年は、狩人がトビを懸命の働きで捕獲する話を作って、父に毎晩のように聞かせた。空想をいきいきと語る息子が父は好きで、子守唄のようにそれを聞いて眠った。親子がさかさまになった子守唄である。それが今度はトビを実際にえたことによって、トビが媒介となる父子の関係へと変化したのではないか。息子はそういうことへの父の不満があるとしても、気づかないだろう。また父の病状が悪化していく。父子がともに、トビが威勢よく肉を食うのを見る何回目かの場面。

 

みじかい沈黙があった。父さんが、おだやかな声でいった。
 「どういうふうにかわからんが、父さんはこれからもずっと。おまえといっしょにいるからな」
 それは、ぼくの首をうしろからつき刺した。そして背すじをつたって下へ落ちた。ぼくはぱくぱくと口で息をした。それがさらに下へ下へと落ちてゆき、ついにひざまで達したのを感じたとき、ぼくのなかはすっかりからっぽにおなった。声がでない。父さんがぼくの様子に気づいて、口ごもるようにいった。
 「ああ、わるかった。ゆるしてくれ」(p140)



 このとき青年には父のすべてが一挙に押し寄せてくる。父がさびしいこと、衰弱して死期が近いかもしれないこと、トビを買ったことによって父の相手をすることに手を抜いたこと、自分のやったことに煩悶するあまり、それにかかりっきりになってしまった自分のこと、などだ。難問は後方からも前方からも押し寄せてくるものだ。「わるかった」のは自分のほうだ、と青年は思い、後悔するのだろう。痛い思いが共感できる。

空想癖が強いとはどういうことだろうか。この小説の主人公の場合は、きびしい現実を直視することを無意識のうちに避けるためにはたらくようだ。トビを買いたいと思ったのも、トビと狩人の話をつくったのも、貧しい家庭環境やフリーターとしての自分の気ままさからいっとき逃避するためだった。マイナス的価値ばかりではなく、それが生活に「豊かさ」をもたらす面も否定はできないが。空想癖とはまた、この青年の場合、感受性の豊かさもさす。犬捨てから帰宅してしめったズボンを脱いで椅子にかけた。するとズボンから、しぼりきれなかった水がぽたぽた床に落ちる。その音になぜか心地よさを感じて彼は眠りにつくことができた。するとそれを水道の蛇口をゆるめることによって青年は繰り返す。するとリズムが生まれてきて、あの苦しかった犬捨ての雪原でのながい歩行をも楽に記憶のなかで再現できるようになる。ベッドに横たわってさまざまな光景をよみがえらせては安心をえて、眠りにつく。しかしだ。

 

そうしてやっと、ぼくは眠りにつく。
 ほんとうのことをいえば、ぼくはなぜ自分がそんなことをするのか、はっきりとはわかっていなかった。ただ、これだけはいえる。頭のなかで、あの記憶がありありとよみがえってくるのをじゃまするためだ。国道の上でいつまでもくるくるほどけている綱と、雪の上に犬が残していったカーブの記憶。(p137)



 この部分だけ、唐突に未来から現在をふりかえっているような記述になる。さらに大人になった青年がみずからの過去をふりかえるようである。これは「現在」では意識されない「にせの記憶」だ。私たちは記憶のなかでのもっともうしろめたいこと、痛々しいことをベールにかけたうえでしかふりかえることができない時期があるのだ。このときの青年も犬に直結する事象を無意識のうちに避けている。こういうことは大事であると思うし、作者がどうしても書きたかったことのひとつであろう。私はもぎとるように引用しているが、無論小説という流れのなかで無理なくさりげなく書かれている。よけいな部分をそぎとって、青年らしい感性と傷を定着させたいい小説だ。
                         (了)
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