大洋ボート

長江哀歌

 中年の男(ハン・サンミン)が十六年前に離婚した妻子をたずねて、三峡ダム付近にやってくる。ダムは工事中。その影響で、住所の一帯はすでに水没していた。男は人から人へたずねまわり、ようやく妻の兄に会うことができる。出稼ぎ中らしい元妻を待って、男は解体業の職を得てその地にとどまる。一方、女(チャオ・タオ)は二年前に音信を断った夫をたずねて同地にやってくる。

 ちょうど酷暑の季節で、男たちはシャツ一枚か上半身裸の姿だ。労働もきびしそうで、食事もゆっくり味わうというよりも、義務のように無表情に口に入れる様子だ。主人公を警戒する様子もうかがえて何だかとげとげしい。すさんでいる部分もあるのかもしれない。だが同時にジャ・ジャンクー監督の映画作法をはやくも意識させられる。台詞がゆっくりめだ。早口かどうかということではなく、沈黙もしくは間が大事にされている。考えながら言う、相手に言われたことを考える、言ったことの反応を相手から読みとろうとする、単に考える、あるいはぼんやりする。そうした際の少しの沈黙もしくは間である。場面転換の際の間も十分にとられる。例外もある。閉鎖された工場の上司にあたる人と、そこの元労働者たちとの言い争い、なかに労働災害を負った人がいて一歩も引かない。上司は権限の限界を理由に反駁する。互いに熱くなる。これは中国映画によく登場する、いかにも中国人気質といった感じをいだかせる場面だ。だが、そういう場面をも包摂するように、沈黙と間が全体をながれている。

 そして視聴者はいつのまにか長江のたたずまいを意識させられるのだ。沈黙と間はすっと持続するが、とってかわられる。主人公は客船で三峡ダムまではるばるやってきたので、その際の長江は外すことのできない背景だが、そのときには長江をとくに意識させられることはない。だが中盤あたりから執拗に長江が食い込んでくる。とくにうつくしいショットが選ばれるのではない。停泊しているようにゆっくりとすすむ客船を浮かべた長江、青く煙る対岸とその上方の雲を見せる長江、解体現場の向こうにたたずむ長江、つまり主人公の男女や町の住民が、ちょっと目を転じれば視界にとびこんでくる日常の風景としての姿だ。

 大規模なダム工事であっても長江は悠久不変ではないか。そんな崇敬の念さえ視聴者にいだかせる感じがしてならない。人間関係は思うようにいかない。元伴侶や連絡が途絶えた伴侶をたずねてはるばるとやってきたのに、その甲斐がない。否応無しに視聴者は主人公の男女への同情に引き込まれるが、彼らの相手もまた申し訳なさそうでありながら、単に逃げるのではなく、正直に苦さを顔に浮かべるのだ。ここでもまた相手の人たちへの同情に誘われる。そしてだ、まったく同時に、視聴者は長江への崇敬の念をもいだくのだ。長江、というよりも、それによって象徴される雄大さというものだ。主人公の男女に自信喪失や諦めの感情が流れると同時に、長江という「生命力」が包摂してきて、さらなる奈落をせきとめる作用をするように思える。

 もういちど見たら、登場人物の前半から後半にかけての感情の移り変わり、また物語のこまごました部分がより明瞭になって、美質を発見することもできるだろう。いい映画だと思うが、苦言を呈するならば、一、二SFっぽい映像が出現するが、これはまったく不必要だ。
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2008.05.18 Sun 18:18  |  seha #-
ゴブリンさん、トラックバックお待たせしました。
一週間ほどネット環境から離れていました。
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2006年 中国 2007年8月公開 評価:★★★★★ 原題:三峡好人 監督・脚 2008.05.12 21:30
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