大洋ボート

フォークナー『八月の光』(8)

体はこれまでになく元気であり、食欲はすさまじく、体重は以前のいちばん肥っていたときより三十ポンドも増していた。彼女を眠らせずにいたのはそんなことのせいではなかった。それは闇の中から出てくる何か、大地の、夏そのものの中から出てくる何かだった。それが恐ろしくて惨めだというのも、実は直観的に、それが何も自分に害毒を与えないものだと知っていたからだ。それは彼女を占領し完全に出し抜きはするがけっして害を与えず、それどころか彼女を救って生活から恐怖を消し、平凡に、いや前よりも良い暮しをさせる何かなのだ。ただ恐ろしいことに彼女は救われるのを欲していなかったのだ。(343p)



性の快感を記憶にとどめることは難しいのかもしれない。また性行為をすませたあとには、たちまち性以外の日常がもどってくる。だから性について知ろうとするならば、考えるよりもやってしまうのだ。考えるという以前に性の世界に魅せられたならば、なおのことそうだ。欲望は貪婪で私たちをとまどわせるが、私たちはそれを呑みこみ異様になる。居直ってしまう。人間は半分以上は動物生だ。だが性の中心には何があるのか。死が遠望できるのだとしてその手前には快感以外に何があるのか。過剰でないならば否定的要素はない。食欲と同じく、それを満たすことは私たちに達成感をもたらし、ゆったりとさせる。性の快感は、そのままそっくりとは記憶にとどめおけないにしても、その名残もまた私たちをくつろがせる。また、性によって好ましい異性と結びつくことができたなら、さらにその関係を持続させられたならば、このうえない幸せだろう。当たり前であるが。ジョアナ・バーデンもジョー・クリスマスとの関係を通じてそのことを知った。身をもって知った。だが彼女にとっては、それらのことが大いに不満だったのである。

ジョアナは性の中心にもしかしたら倫理が発見できるかも、と思ったのではないか。つまりは性を知ると同時に、自己を罰してももらいたかったのだ。だが当然、そういう事態は訪れなかった。あとは彼女の選択の問題であるが、結局は彼女は性そのものを肯定的にとらえることができなかった。それが淫行だと決め付けるキリスト教的教義をこわすことができなかった。フォークナーはここでもキリスト教信仰による人間の歪みを刻みこんでいるのだろう。かくしてジョアナはジョーに、改悛や祈りを勧めたり、妊娠したと嘘を言ったり、果ては結婚して一緒に黒人援助の運動をやって行こうと懇願する。だがジョーはまったく耳を貸さず、罵倒してジョアナを殴り倒す。「あたしたち二人とも死んだほうがいいらしいわ」(361p)ジョアナは血を出しながらこう切り返すが、これは本気の言葉だ。そうして、最初に書いたような悲惨な結末を迎えることになる。

ジョーはジョアナの行動に参加することは拒んだが、一緒に居つづけることには前向きだった。やくざっぽい口ぶりで「早く出ていったほうがいいぜ」と第三段階でのジョアナの思いつめを危惧したが、やはり情はあった。彼女の傍にいることを運命として受け入れようとしていた。私はそう読んだ。拳銃を隠し持ったジョアナを最後まで信じようとはしなかったのではないか。

フォークナーは一九三〇年代のアメリカ南部の黒人差別問題をふくめた信教による問題をえぐりだした。ジョー・クリスマスはそういう社会が生み出した鬼っ子である。彼は周囲の迫害と暴力にめげず、欲望と情愛をつらぬこうとした。信教をきらったものの、また暴力好きな悪党でありながら、たいへんまっとうな人物として描かれている。「神」という言葉を使うならば、好きな人と一緒にいたいと願って具体的に行動すること、その人を守ろうとすること、それらは私たちが「神」に一歩近づくことではないだろうか。その素朴さを「既製の神」が、あるいは「既製の神」に篭絡された人々が信念に基づいて妨害する。そういう社会の構造をフォークナーは衝いた。

この長編小説、これからも私を追いかけてきそうな気配がある。だらだら書いていてもいけないので、この辺で終わります。
(了)
関連記事
スポンサーサイト
    01:53 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top
Comment







(編集・削除用)


管理者にだけ表示を許可
Trackback
http://oceanic.blog70.fc2.com/tb.php/117-b4a0c241
プロフィール

seha

Author:seha
FC2ブログへようこそ!

カレンダー(月別)
07 ≪│2017/08│≫ 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
月別アーカイブ
全ての記事を表示する
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
ブロとも申請フォーム
ブロとも一覧
ブログ内検索
RSSフィード
リンク