大洋ボート

フォークナー『八月の光』(7)

ジョアナに憎しみを植えつけるはずだった二度目の暴行は、ジョーの意にまったく反して、ジョアナに、彼に対する異常なまでの親近感をかえって植えつけてしまった。それほど確信のないやくざなものだったのかもしれないが、ある目的を持って人にくわえる暴力的行為が、その人に意想外の結果をもたらすという点では、かって養父マッケカンがジョーにくわえた鞭によるせっかんがまったく教育的効果をもたらさなかったことと、たいへん似た事態といえる。かくしてジョーの性的暴力は、ジョアナに性の魅力を教えることになった。ともかくも、「冷戦の期間」をしばらく置いた後、ジョアナはジョーのすむ離れへはじめてやって積極的に話し込む。自己紹介という範囲をはるかに超えた、父方の祖父から自身までにいたる家族の歴史が語られる。それだけジョーという特別な存在になってしまった人に、自分を知ってもらいたいという欲望がはたらくのだが、ジョーはどんな女でもそういうものだ、「『ごたくをならべやがるんだ』」と納得し、また辟易となる。だがジョアナとのセックスはそれどころか、もっと彼を狼狽させる。 

その期間(これを新婚期とはとても呼べないだろう)クリスマスは彼女が恋に落ちた女のあらゆる相を通ってゆくのを見まもったのだ。すぐに彼女は彼にショックを与えたばかりではなく、仰天させ、戸惑わせた。だしぬけに彼を嫉妬めいた狂恋の中に巻きこんだ。彼女はそんな経験を持ちうるはずがなかったし、そんな騒ぎをする理由もなければ、そんな立役者もいなかったのであり、それを彼女自身心得ていることを彼も知っていた。いわば彼女は演技をする目的ですっかりお膳立てをしたのだった。にもかかわらず彼女は実に激しく、いかにも確かな信じこんだ態度でやったので、最初の時には彼は、女が何か思い違いしているのだと考え、三度目のときには女を気違いだと思った。(337p)



その「気違い」の具体例としては、ジョーのささいな嘘に対してひどく泣いたり、かくれんぼのようなことをして室内や庭の藪影に裸体で隠れていてジョーの前にいきなりあらわれたり、わざと破れた服を着て体を煽情的にくねらしたり、「黒人! 黒人! 黒人!(ニグロ)」と彼の嫌がる侮蔑語をわざと用いたり、等々である。

これらは、じゃれあうというものではない。対話でも無論なく、ジョアナは性の歓喜に突きあげられて有頂天になっているのだ。自制を放棄し、放棄することからくる痛快さを全身で味わっているのだ。ひけらかしているのだ。また逆に、ジョーが今にもいなくなりはしないかという寂しさ。そこからの妄想をも呼び込んで物語を作ってしまう世界。自分ひとりの世界、だがジョーという特定の相手にしか見せない自分の性の世界だ。また、それまでの性とは無縁な自身の無味乾燥の人生に対する内的な復讐でもあるのだろう。それら一切合切をつめこんだ有頂天だ。性が遅く訪れたからか過剰にみえるが、第三者的立場でよく読んでみると、それほど異常だとも思えない。フォークナーはジョアナに陰影を付けすぎるのかもしれないが、彼女にいちばん近いジョーの視線を基本においてその狼狽と憂鬱を大事にするから、こういう書き方になってしまうのだろう。

 

六カ月すると彼女は完全に堕落した。彼がそう仕向けたとは言いきれなかった。彼自身の生き方は、たしかに女たちとは無軌道に交わったとはいえ、健康で平凡な悪党がそうであるようにありきたりのものであった。堕落は、彼女にばかりか彼にもなおのこと不可解な源から生れてきた。事実、それは根拠のない漠とした堕落ともいえて、彼女はそれをもって彼を堕落させはじめたのだ。彼は恐れはじめた。彼にはそれがなんであるかはっきり言えなかった。しかし次第に自分自身を遠くのほうから眺めるようになり、それは底のない沼の中にはまりこんだ人間に似ていた。彼はまだそれを明確には考えていなかった。ただ自分の目に映りはじめたのは寂しい、荒れた、涼しい道路だった。そうだとも、涼しい旅の道路なんだ。彼は考える、時には声を出して独り言を言う、「出てったほうがいいぜ。ここから出たほうがいいぜ」(339p)



ジョーはそれほどジョアナを好きではない。当初は、性を通じてもその感情が変わるはずもないと、彼は思っただろう。それでもジョアナにせがまれ、欲情が生起してくると行為を繰りかえしてしまう。これはジョアナが先に自制を放棄したからで、体を一つにしてしまった以上、その自制の放棄がジョーにも伝染するからだ。煽られておのずから妥協してしまうのだ。性が過剰になると、甘さが失われて単に性の費消におちいる。生命の浪費でさえある。自分にとってもっと優先すべき欲望があるのかもしれないが、ふりかえる暇もなく、目の前にぶらさがった欲情に負けてしまう。これをつづけていくと、本来的な生のありようからどんどんとおざかる感覚に本能的にとらえられるのではないか。こういう事態を作者は「堕落」と呼ぶのだ。「涼しい道路」とは、健全さからとおざかった果てにひとりでに見えてくる死の世界なのだろう。実際的な死を遠望しながらの、健全さからとおざかるという意味での「死」だ。そしてジョーは、そういう世界にもいつしか魅せられて引きこまれているのだ。またその瞬間からジョーのジョアナに対する感情もひっくりかえる。「地上」のジョアナではなくて、「堕落」した性のみちづれとしてのジョアナに突然のようにひかれることになる。性のなかのジョアナはいとしい。

ジョアナのほうは、彼の体の下であえぎ、歓喜に征服されるがままの時間だろう。ジョーは、ほんとうはジョアナの世界に入っていけないのかもしれないが、体をひとつにすることで、ジョアナの世界を持続させる役を担う。そのため彼は旺盛で、自己を叱咤しつづける。ジョアナがどこへ行こうとしているのか、ジョーにはわからない。だがジョアナについていくことで答えは出るのだろう。性以外の何物もない性。死がほの見えてくる性。終わらない性。当面はそうであっても。

その間に関係は進み、毎夜の有無をいわせぬ圧倒的な痴情は彼をますます深みへ引き込んでいった。たぶん彼は自分が逃れえないのを悟ったのかもしれぬ。とにかく、彼は、とどまって見まもりつづけた。二匹の動物が一つの肉体になってもがくのを――落ちていく月の下の黒い水面で月光に光る二つの生物が相手を沈め溺らせて苦しめあうのを、見まもった。いかに自分を失ったとはいえ、どこか確固不動のものを残していたのがあの第一段階の落ち着いた、冷たい、満足した姿であった。それから次の第二の姿、それは確固たるものを激烈に否定して自身の黒い淵に肉体の純潔を溺らせようとする姿だ。時おりこの二つの姿は黒い水面へ出た、二人の姉妹のようにしっかりと手をつないで出てきて、黒い水は流れ落ちた。すると元の世界がまたどっと戻ってきた。部屋、壁、この四十年のあいだ夏の窓辺でいつも鳴きつづけてきた虫どもの平和な多彩な声。(339p)



 「第二段階」をしめくくるカ所である。ジョーの立場から眺められたたいへん幻想的な記述になっている。はるかな旅をして地上に舞いもどってきたかのような体験として、ジョーのなかにはっきりと刻み込まれる。こういう際の同伴者がかけがえのない存在になってしまう、心身の自然の流れとしてそうなってしまうだろうことは明らかだ。「堕落」としてとおざけたい気持ちは、まったく湧いてこない。それどころか私は、たまらなく羨ましい。

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