大洋ボート

フォークナー『八月の光』(5)

  ジョーはボビーが売春婦であることも、食堂がその商売の見せかけの看板であることも、最初は知らなかった。付き合ううちに知ることになるが、そんなことはおかまいなしにジョーの情熱はどんどんボビーに注がれる。ボビーもまた彼の気持ちに押されて有頂天になってしまうようだ。彼を客としてではなく恋人あつかいをして付き合う。つまりその方面のノルマを果たしてうえで、彼ともセックスをするので、経営者からもお目こぼしをしてもらう。粗末な菓子箱をプレゼントされて喜ぶボビーが描かれたりする。年下の男の子から入れあげれたのは初めてなのかもしれない。ジョーもその小さな組織の大人と仲良くなって、酒を酌み交わして語らったりして、居心地のよさをすっかり手に入れてしまう。

  ジョーも束の間に終わってしまう恋の喜びに舞い上がっているのだが、その直接の描写は少なく、もっぱら十七歳の少年にしては驚異的な行動力の描写に作者の力はそそがれる。彼が寡黙であるからだが、また小悪党的性質を際立たせるためでもあるが、別の理由としてはこの小説の重要な人物バイロン・バンチという青年との対比のためでもある。

  この長編小説には、ジョー・クリスマスに直接のつながりがない人物も多数登場する。しかも作者によって重要な扱いをされる人物が何人かいて、彼もそのなかのひとりだ。リーナ・グローヴという臨月のお腹を抱えて夫にあたる男を探し回る女に、なにかと世話を焼く男で、年齢は三十過ぎ。ジョーと同世代だが、彼は饒舌でありながら真面目だ。女性に対してはものすごく慎重で遠慮した態度しかとれず、行動も鈍重なタイプだ。何が正しくて、しかもうまい結果がえられるかを、あれこれ考える。しかし結局は行動する……。バイロン・バンチにはくわしくふれる余裕はないが、この青年と比較したときのジョーの不気味さが、小説としてたいへん効果をあげているのだ。行動も週に一度くらいの割合で、夜、二階からロープをつかって外へ出て、五マイル(約八キロ)もへだたった町の中心部のそこへ徒歩で通う。農作業の褒美に養父からもらった若牛を売り飛ばし、さらに養母の金もくすねて、服を新調したり、ボビーとの逢瀬のための小遣いにしたりする。立派な不良ぶり、といえよう。もはやジョーは、決意を固めて後戻りする気はない。

  やがて二人のなかは養父に知られることになって破局する。小さな町らしく、学校の校舎を利用して催されたダンスパーティに二人がいるところへ養父が乗り込んで行った。「淫売婦」と、養父がボビーを罵倒したのでジョーはおもいきりパンチを食らわせ、養父は気絶してしまう。なんのためらいもない全面的な、最初で最後の反抗だった。ボビーはすっかり取り乱してしまい、養父は無論ジョーにさえも罵言を浴びせてそこを去ってしまう。話はここで終わらない。二人の仲はここで事実上終わっているが、ジョーにはそれがわからずになお女を追いかけていく。

  小さな売春宿では、はや荷物をまとめて逃亡の準備に追われている。ダンスパーティ会場での一件を知った彼らは、捜査の手が伸びることを恐れた。家の馬に乗ってジョーはそこへボビーと「結婚するために」駆けつける。無知と純粋と屈強とが結びついたジョーである。青春の無軌道という以上のものを感じさせる。だがボビーはすっかり変わってしまっている。たった今までのことは単なる火遊び程度のものだった。親近感のかけらもなく「畜生目! この阿呆! あたしをこんな騒ぎに引きこんで、――あたしがいつも白人なみにしてやってというのに! 白人なみにだよ!」こう吐き捨てる。結局ここでもジョーは暴力を振るうが、今度は男たちにボコボコにされてしまう。連中が建物を引き払った後に意識をとりもどすジョー。

そこも狭かった。それでもそこにはまだあの金髪女(経営者の妻、私註)の残り香が満ちているようで、そのひどく窮屈で素っ気ない壁はあの強気で冷たい美しさを押し付けてくる感じだった。剥きだしの化粧台の上にはほぼいっぱいつまったウイスキー壜がのっていた。彼はそれを飲んだ、化粧台に身をもたせてまっすぐ立ったまま、その液体の焼けつく感じをまるで感ぜずにゆっくりと飲んだ。ウイスキーは彼の咽喉を味もなく冷たく、糖蜜のように流れ落ちた。彼は空になった壜を置き、化粧台にもたれかかって頭を垂れたが、考えてはいず、それと知らずに待っていた、いや、待ってさえなかったかもしれぬ。やがてウイスキーが体の中で燃えはじめ、彼は頭を左右にゆっくりと振りはじめたがその間に思考力は彼の内臓ののろい熱い渦巻や反転とひとつにとけて、『俺はここを出て行かなきゃ』。彼はまた廊下へ出た。いまや彼の頭ははっきりしたが体のほうが言うことをきかなかった。(291p)


  もっと引用をつづけたいが、長くなるのでこの辺まで。夢遊病者のように建物のなかを出口をもとめてさまようジョーだが、彼の心性の特徴がよく表現されていると思う。敗北感がまったく感じられない、涙を流さない、あってもそれが表面に浮き出てこない、ということだ。ボビーへの未練もない。私ならば、たぶんここでおいおいと泣いてしまうだろう。感情の切り替えにずいぶん時間を要するだろう。ふりかえれば、養父マッケカンに体罰を受けるさいの描写とまるで地続きになっている。屈強だ、とくに暴力に対して屈強だ。そして未来を見据える。そのことに全精力を傾けて、それ以外の思考を、また感傷を排除する。これも力強い。未来像に向かって体を移動させていく。『俺はここを出て行かなきゃ』
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