大洋ボート

フォークナー『八月の光』(4)

誘拐未遂事件のあった数年後、ジョーは彼を迎え入れてくれる相手先が見つかって養子に出されるが、ここでも不幸な目にあう。養父の名はマッケカンといって小さな農場主で、またキリスト教新教派の熱心な信者だった。家庭においては専制君主で、妻に自分の方針を頑として受け入れさせる男だった。ジョーの教育に対してもスパルタ一辺倒の男として描かれる。命じたことをジョーが果たさない場合は、たちまち体罰にとりかかる。鞭や革帯でジョーの尻を打つのだ。読んでいて痛々しい。別にマッケカンは感情に駆られるのではない。彼の人間観は、人間は放置しておくと怠けてしまう、遊んでしまう、だから信仰と勤労とによって、そしてまた体罰によって絶えず矯正しなければならない、というものだった。体罰はいわばスケジュールに基づいていた。

 

それから少年は、両足首のまわりにズボンをまとわせ、短かなワイシャツの下から両足を剥きだしたまま立った。ほっそりと、まっすぐに立った。革帯が打ちおろされたとき、彼はたじろがなかったし、顔には何の慄えも走らなかった。まっすぐに前方を見ていて、その恍惚とした平静な表情は絵にある僧侶を思わせた。マッケカンは沈着な手つきで打ちはじめた、ゆったりと慎重に力をこめ、それでいて熱気や怒りのこもらぬ打ち方であった。二人の表情はどちらも平静で、揺がず、恍惚としており、その点では二人のどちらがより上まわっているか、誰にも言いがたかったであろう。(194p)



ジョーが養子になって間もないころ、七,八歳だと思うが、マッケカンの靴に靴墨をきれいに塗れなかったとか、教会の教義問答集を丸暗記できなかったとかの理由で、こういう制裁をジョーは養父から受ける。たぶんこの場面は初めての制裁ではないが、それにしても異様なのは、ジョーが泣かず、たじろがないことである。子供らしさがまったく欠けてしまっている。ジョーは暴力に馴れようとしているし、もっと言えば、マッケカンのみならず、世界全体への対抗心を培おうとしていると見える。制裁を避けるためになんとか暗記してしまおうとする努力よりも、制裁の中心に身をおくことをむしろ好むとさえ解釈できる。また、危ぶんで見守る養母に助けをもとめるということもない。子供にしてはずいぶん頑丈で不屈で、また孤独であるといえる。そしてこのような制裁は、ジョーが十代後半になるまで変わることなくつづく。

ジョーのなかではまた、黒人差別が制裁を受けることでより強く意識されたのではないか。いくら祈り、反省しようとも、「神」は何らジョーに報酬を与えることはない。何故ならジョーは黒人であり、それを誰よりも知っているのが神様であるからだ。白人と神が一体となって、彼をやがては迫害する。いや、すでに体罰によって迫害を受けている。だから彼は神に親近感を抱くことなどできない。養父と神の暴力が二重になって、子供のジョーのなかで意識されるのだと思う。神が暴力そのもの、という考え方は子供の妄想としてくくられる範囲の問題かもしれないが、自分が黒人であるという意識がしだいに確固となるにつれて、彼のなかでは妄想ではなくなる。なお、マッケカンはジョーが「黒い血」を有しているなどとは、孤児院の人がその噂を隠したので夢にも思わない。ジョーが彼の前から姿を消す最後の日まで、そうだ。

そんなジョーだが、彼もまた成長するにつれて養父に反抗する。さらには最終的には家出によって養父の前には二度と姿を現さなくなる。その方法は、養父の信仰に対して別の言葉やイデオロギーを対置して引っくり返そうとするものではなかった。成長するにつれて顕著になる青年の性欲を梃子とするものであった。男の子ならほとんど誰でもが興味を持ち首を突っ込む猥談、また性的非行に、ジョーも参加した。そこでジョーはしばし苦しめられることになる。女性器を知りたい思いに抗しきれなくて、羊を射殺して調べてみたりとか、仲間で買った黒人娼婦に逆の反応を示して殴り飛ばして、当然仲間と喧嘩したりとか、フォークナーはこのあたりのジョーの性の混乱を微細にいきいきと、また殺伐とした筆致で描いている。引き込まれるところだ。やがて彼も特定の女性を射止めることができて、その欲望は据わりのいいものになるのだが。

その女性はボビーという男名前で仲間から呼ばれる娼婦だった。あろうことか、その売春組織の表看板である食堂に連れて行ったのは、マッケカンである。詳しくは述べないが、町にジョーをつれていったのだが、弁当を用意していなくてやむをえずジョーと二人でそこを訪れたのである。安い店であるというのが養父の理由だったが、息子への配慮が足りないのは明らかである。傲慢で雑な彼の性分が見えるところだ。それはともかくも、ボビーはそこで給仕をしていて、ジョーの目にとまった。ボビーは背が低くて若く見えたが、実は三十歳を超えていて十七歳のジョーにとっては十以上の年の開きがあった。だがジョーはそのことを知らず、自分と同世代くらいに見てしまう。作者フォークナーはいくぶんか憎しみを込めてボビーについて辛辣に書く。

女は背が高くないばかりか、ほとんど子供じみたほっそりした体つきだった。だが大人の目ならその小柄さが生まれつきのほっそりした体つきのせいでなく、何か内部の精神自体の崩れからきたものだと見抜けただろう――いわばその細さは、かつて若かったことなどまったくなく体つきのどの線ひとつにも若さが宿ったり現れたりしなかったものなのだった。(224p)



「惚れる」ということには、何かしら相手を過大評価してしまう、持ち上げてしまうところがあるらしい。作者はジョーが選択をあやまったと、最初から釘をさしている。「惚れる」以前に、どうしようもない女だと。だがジョーがそれを知るのは、つまり女に裏切られるのは後のことである。ジョーは女と仲良くなることができて短い幸福の期間を過ごす。
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