大洋ボート

フォークナー『八月の光』(3)

  ジョー・クリスマスはたいへん不幸な少年時代を送らねばならなかった。不幸というよりも無残と言い換えたほうが適切かもしれない。彼はその無残さに屈することなく、独自の抵抗をしたのだが、やはり子供である。稀にみる屈強さを形成したのだが、その裏側には粗暴さと、自分が不幸であるという諦め、またある種曇りのようなものをもまとわせた。それらは将来に、できれば修正されるべきだったが、社会全体に深くつながる性質の問題だけに、彼ひとりの力では如何ともしがたかった。黒人差別のはげしい一九三〇年代のアメリカにおいて、彼はみずからの体内に黒人の血が流れているという意識をもたされたのである。

  彼は乳離れした頃、祖父によって孤児院に捨てられた。(ちょうど当日がクリスマスの日だったので、周囲の人によって彼の名がそんなように決められた)彼が黒い血を有しているというのがその理由で、祖父は狂信的な黒人排斥主義者であった。ただし娘(ジョーのとっての母)の相手がどんな男なのか、じかに会って確かめることはなく、娘に問いただすことも無いままに、ただ伝聞のみを鵜呑みにしての「確信」だった。(それが果たして事実かどうかは読者にも最後まで知らされない。ただ、デマであることをフォークナーは匂わせていると思うが)そしてジョーは、ものごころつくにつれて自分が「黒人」であることを、しだいしだいに知るようになる。つまり、彼は外見は白人そのものであるから、また周囲の大人や子供もそのように扱うので、特別な出来事がないかぎりは、彼は「白人」として自己認識しつづけたにちがいない。祖父や母の素性については、彼は成人して以後もずっと知ることは無かった。だが孤児院での五歳の時、早くも忘れられない事件に巻き込まれる。雑役夫の男(「火焚き部屋の番人」)がジョーを誘拐同然につれだして、黒人の子供専用の孤児院に収容しようとしたのだ。その男も祖父同様、はげしい人種差別主義者だった。当時のアメリカでは彼らのような存在は珍しくはなく、キリスト教信仰と合体して黒人を「悪魔」と見做す傾向が蔓延していたのである。二人は元の孤児院に無事つれもどされるが、このときの記憶がジョーのなかに生涯残ることになる。雑役夫の男の件もふくめた一連の出来事は、私のこの文では深く立ち入らないが、作者フォークナーは書く。

記憶力は認識力が働きだす前に早くも活動する。記憶する力は思い出す力よりも長い生命を保つのであり、認識力が疑ったときでさえ、記憶は揺がないのだ。(154p)



  ジョーは成人してからも、このときのことを度々思い出すようである。子供どうしで校庭で遊んでいるとき、ときに雑役夫の目が粘り強く自分ひとりにそそがれていたことを。俺は周囲の子供とはちがう運命にある、俺ははげしく疎まれている、俺はやがては追放される存在だ、そうふりかえったにちがいない。

  翻訳者の加島祥造も「あとがき」で書いているように、当時の黒人差別のはげしさは、今日の日本では想像不可能なほどだろう。「黒い血」を有しているということ、それだけで白人優位の社会では人間あつかいされなかったのだろうし、口を閉ざすしかなかったのだろう。また、ジョーは一方の黒人に対しても生理的嫌悪を克服することができなかった。成人してから黒人女性と同棲し、その色と「匂い」に馴れようと、気まぐれな努力をする描写もある。黒人は黒人で、隔離されたのでもないが、同じ場所に密集して暮らしており、コミニュティがある。わざわざ黒人の群れに近づいていって、「俺は黒人だ」とはジョーは言ったりしない。つまりは、ジョーはどちらの世界にも馴染むことのできない孤独な存在であらねばならないことを刻印された。

  ジョーは成人してからも主に白人の世界で生きたのだが、仲良くなった女性にだけは、みずからの血のことをうちあけた。信用できる人の前で正直になって肩の荷を降ろす、そして仮の姿ではなく、ほんとうの自分を見てもらうことで、ほんとうの自分として初めてふるまえる、そのことで自己解放される。ジョーの若い頃からの夢で、非凡な行動力でもって何回かはそのことを実現してきた。だが相手の女性が、彼にとって「信用」できる人だったかどうかは別の問題で、しばしば好ましからざる結果を彼にもたらしたのである。
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