大洋ボート

フォークナー『八月の光』(2)

 それは二年前のことであった。もう二人の背後には二年がすぎ、考えて、俺が癪なのはそこなんだ。たしかに俺はうまく引っかかり、ごまかされてきた。あの女は年のことで嘘をつきやがったし、あの年になれば女にはどんなことが起こるかってことにも、とぼけていやがったんだ 彼は窓の下の闇に立って、声を出していった、「そのうえ俺のことを祈りはじめるなんて、とんでもねえ。俺のことを祈ったりしなきゃあ、あの女もなんてことねえ。年をくいすぎて使いものにならなくなったのは、あの女の責任じゃあねえ。だけども俺のことを祈るなんて馬鹿なまねをやりはじめちゃあ、いけねえんだ」。彼は女のことを罵りだした。暗い窓の下に立ち、ゆっくりと、わざと卑猥な調子をこめて罵った。(140p) 

 

ジョアナ・バーデンは貧しい黒人層のために奔走する福祉活動家であり、敬虔なクリスチャンであった。四十を過ぎるそのときまで独身であり、単独で暮らしていた。そこへ腹をすかしたジョー・クリスマスが不法侵入してきて食べ物をあさったのである。狡猾なジョーは侵入する前に近所の子供にジョアナの暮らしぶりを聞きだしている。女一人、ということで「安心」したのだろう。ジョアナは彼女らしいのか、ジョーを目撃しても咎めず、追い出しもしなかった。無論、歓待したのではなかったが、食事の世話を不定期にするようになる。ジョーは味を占めて、母屋ではなく離れの小屋に居候することになり、食事のときだけ台所にやってくる。ほどなくジョーはジョアナになかば強制的に肉体関係をせまり、それは引用したように二年間にわたって常態化することになる。

この間のジョアナに起きた劇的な変化は後にも触れるが、要は信仰意識と肉体的歓楽とのギャップをジョアナは知り、みずからそれを拡大するとともに、最終的にはそれをふたたび信仰意識によって解決しようとした、ということである。フォークナーは信仰意識そのものには詳しくはふれないが、歓楽のみをもとめる性は信仰にとっては淫行であり「罪」である。それを雲散霧消させるためには、信仰にとって性を合理化させなければならない。つまりは、性を結婚や出産に従属させなければならない。ジョアナはそういう掟にしたがうことを決断し、ジョーにもそれを迫ったのだが、それは関係を持ってすぐにではなく「二年」後のことである。それまでの「二年間」はジョアナが積極的に、性の歓楽の底なし沼に下りていった期間である。肉体の内部には罪責意識がついに存在しない、また、性がほの見せる切迫した「死」の像はついには幻想でしかない、ということをジョアナはジョーを随伴者として知った。またそれ以上に、歓楽への欲求に無条件に屈服し、おおいに呑み込まれたのである。二年という期間は、その炎が最高潮に燃え上がりやがて自然に下火になる時間であった。ジョアナにおいて、性の内部には信仰は入りこまなかったが、性の外部には依然として信仰は高らかにありつづけた。肉体を交わした人との縁を大事にする、ということでは当然あったが、それ以上にジョアナは強固な信仰者であった。信仰意識によって、ジョアナはジョーに同情し、それを押し付けようとした。流れ者であり、肉体労働者であったジョーを法律学校に通わせて勉強させ、やがてはジョアナと一緒に黒人救済の活動に従事してもらう、そういう希望を強く抱いていた。それがジョーに対する「祈り」であった。「祈り」は切羽つまったもので、拳銃を突きつけての脅迫であり、無理心中をも辞さない激烈さを帯びていた。

だがジョーはジョアナのかかる要求を受け入れなかった。それ以後もジョアナとの関係をつづけようとはしていたが、信仰意識は持ちえなかった。なぜなら彼は骨の髄からの反信仰者なのだ。それは少年期の生い立ちから出発して以来の、彼が独力で築き上げた世界観であり、存立基盤であり、彼の刻んだ自身の歴史であり、行動の軌跡であるからだ。それなら何故、彼は拳銃までちらつかせるジョアナのまえから逃亡しなかったのだろうか。ジョアナを見くびった、ということもあるかもしれない。だが、より本質的には彼は、そんなジョアナを信じたくなかった、以前と同じ関係でありつづけて欲しかった、「愛と平和」をそこに築いて落ち着きたかった、ということではないか。理想の女性像を、ジョアナという目の前の女性をつうじて信じたかったのではないだろうか。理想の女性像とは、ぼんやりしているが、彼と一緒に遊んでくれて冒険にもついてきてくれて、最終的には彼に服従してくれる、そんな好都合な人物像だろうと思う。だが、ジョアナはそういう女性ではなかった。あっさり言ってしまえば、ただ女性ということだけが共通したにすぎない。また、ジョーの理想の女性像とは、流布されている信仰のあり方の彼方にかすかに見える、彼にとっての独自の「神」ということもできるだろう。無論、それは現存する信仰の「神」とは似ても似つかない。

ジョーは愚かかもしれないが、そういう愚かさは男性なら誰だって、多かれ少なかれ持つのではないか。女性が星の数ほどいるとしても接することのできる女性はかぎられている。理想像とのギャップに早く気づくことが傷口をちいさくすることにつながるが、ジョー・クリスマスはそういう理想像への病的なまでの執着をときには手放さない人物だった。たとえば、十代後半に関係した娼婦に対してもそうだった。
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