大洋ボート

ヘミングウェイ「何を見ても何かを思い出す」

 父と息子の関係はむつかしい。父は彼の父(彼の息子からは祖父に当たる人)に子供時代に大事なことを教わった、また庇護してくれ、あたたかく包み込んでくれた、という思い出を抱いている。これはヘミングウェイの子供時代に題材をとった彼の他の短編を読めばわかることで、だからこそ父は、かつての彼の父のような役割を息子に対して自分も担わなければならないと思う。そして実際にやってみる。小説の執筆を、射撃を彼は息子に教える。英才教育、というのではない。距離をとることを、息子の自発性を重んじることを忘れないように心がけて。やっている最中はおどろくほどうまく行く。大げさだが、天にも昇る気持だ。 

 父の役割は家に金を運んでくること、少なくとも古典的にはそうだ。あとは家で一緒にいるということだ。小言をいったり、笑いあったり、遊んだりは自然の成り行きだ。それ以上に父が「父」という立場を意識するときは、この短編の例のように自分の得意な分野にかぎって教えることだろうか。また、その時間ほど父は子供(息子)を意識することは他にはないだろう。父にも仕事やつきあいや母(妻)との関係やその他雑多な時間があるが、それらに加えて、子供とそういう具合に接するという新たな時間が生まれる。「父親ごっこ」「家族ごっこ」である。意地悪に見ると、その時間のなかでしか子供を知ることができなくなる、という事態に陥ることにもなりかねない。

 一方、子供にとって父とはどういう存在なのだろうか。厳めしさのなかに頼もしさや親しみを見いだすことができる存在なのだろうか。それとも疎ましいだけの、いずれは反抗せずにはおれない存在なのだろうか。この短編では息子は前者に見える。もっとも、作者は息子を独自に客観描写することはなく、あくまで父から眺められた息子の姿としてそうだ、ということだが。父が有名な作家であることがプレッシャーになるのか、彼は父の指導を忠実に守る。それどころか、父も驚くほどに創作や射撃で上達してみせる。「いい子」ぶるのかもしれないが、その結果は「父と子」という意識のぎこちなさを忘れさせるくらいの喜びを二人にもたらす。

 息子にとってもまた、父と過ごす時間は、雑多な時間の中では特別なのかもしれない。大げさにいえば、その時間だけ彼は彼でなくなるのかもしれない。だが、そんなことを父は知るよしもない。父と接する時以外の息子の姿など、知らないのだ。

 息子は、父が教えるのをやめてから射撃の腕を落とす。大人と互して国際大会にも出場したこともあったのに。小説を発表して表彰されたこともあるが、それにもからくりがあった。いや、息子という人間がそれどころではないくらいのていたらくであることを、月日がたてばたつほど父は知らされる。ヘミングウェイは、例によって感情表現を切りつめた文体で押しとおすが、つらさは確実に伝わってくる。と同時に人生の不可思議さを見せつけられる思いがする。

 結局、息子は終始一貫だめな男だったのだということを、いま、父親は思い知らされた。それは実は、これまでも昔を振り返るにつけ胸に去来した思いだった。あの射撃の訓練が何の足しにもならなかったと悟るのは、悲しい極みだった。

 高見浩の巻末解説によると、この短編は、その続編ともいうべき「本土からの吉報」とともに、ヘミングウェイの三男がモデルだそうである。両編とも彼の生前には発表されなかった。

     新潮文庫『蝶々と戦車・何を見ても何かを思い出す』高見浩訳

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