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山崎豊子『暖簾』

小説・エッセイ・戯曲
07 /18 2020
  明治二十九年(1896)から昭和三十年(1955)にまでおよぶ親子二代の昆布販売店の奮闘記。淡路島から単身大坂へ出てきた八田吾平は当時十五歳。口入屋(就職斡旋業者)を探したが移転した後で、途方に暮れて橋のたもとで座り込んでしまう。それを通りすがりの老人が見つけ、不審に思って声をかけた。昆布小売の老舗「浪花屋」主人の利兵衛で、以後吾平のきびしい丁稚奉公がはじまる。
  たいへんな重労働である。もっとも長い時は早朝五時起床で十二時を過ぎても床に就けないことがあり、連日連夜同じ状態がつづくこともある。いきなり店に出してもらうのではなく裏方の雑役ばかり半年ほどやらされる。その後もなかなか昆布にはさわらせてもらえない。製品用の袋づくりや、支店や別家衆(べっけし)への製品の運搬や、先輩の番頭や女中などに命じられての相変わらずの雑役。次の段階で、ようよく原草昆布と呼ばれる仕入れ品の大型の乾燥昆布の作業に就くことができるが、これが過酷で、小さくまとめるために三つに折って紐でくくるのだが、冬のさなかのために吾平の手はあかぎれで血だらけになる……。店に必要な作業のすみずみまでも体験させて覚えさせるという店の以前からの「伝統」に則っているのだ。丁稚志望の人材は豊富らしく、そのなかからついて来られる者、屈強な者だけが店にとどまることができるというシステムがおのずからできあがっている。
  さらには、肝心の昆布職人になるにも「十一年」の歳月がかかる。原草昆布の酢漬けにはじまって、もっとも高度な技術を要する昆布の薄削りを習得するまでの当人にとっては気の遠くなるような年月である。価格変動のはげしい昆布の仕入れにも習熟し、勘を養わなければならない。地元の問屋から買い付けるだけではなく、昆布の入札は大阪でもあるが、ときには生産地の北海道へまで飛んで、商談を成立させることも必要だ。このような長い段階を無事に踏んで昆布製品に関わる技量と知識を身につけて、吾平は二十八歳のときようやく「別家衆」として暖簾分けしてもらい自前の店をもつことができる。
  暖簾にたどりつくことが、さらにそののちそれに恥じない商売をすることが吾平の生涯の目標であり、生き甲斐なのだろう。出世欲、金銭欲が旺盛なことが彼を途方もなく奮闘させるエネルギーとなるが、それだけではない。暴利を貪らず少しでも安く昆布を提供しつつ「浪速屋」の伝統の味を受け継ぐことに阻喪があってはならない。吾平にとっては暖簾は商売の拠り所であり、誇りだ。
  昆布一筋の吾平の人生は直線的で、あっという間に過ぎてしまう印象があるが、これを翻弄するのが、大阪地方の水害、関東大震災、第一次、二次の世界大戦、戦中戦後の統制経済、戦後の旧円による銀行預金の封鎖などで、日本近現代史の年表を眺めるみたいだが、勿論これらの災厄がその都度吾平に打撃をあたえることは言うまでもなく、不屈の吾平も旧円預金封鎖は闘志を萎えさせる。戦後の再出発のために用意してあった資金だからだ。
  闇流通の昆布には頑固に手を付けなかった吾平だが、戦地から帰還した息子の孝平は資金作りのためにそれを利用する。といっても昆布製品を闇品から製造するのではなく、右から左へ、堺で購入した昆布を背に括りつけて電車で神戸まで運んで露天商に売りつけて差益をうるという仕組みだ。その繰り返しで、少ないながら店の再開資金をようやく確保できる。孝平は親譲りの才覚の持ち主で、「浪速屋」昆布の販路を東京の百貨店などへさらに拡大していく。
  大阪の「ど根性商人」ものとしてはもっとも早い時期に発表された小説だろうか。山崎豊子の取材力はさすがと思わせる。怠惰なわたしにとっては吾平や孝平には縁遠さを感じずにはいないが、息苦しいばかりではない。利兵衛の息子の若旦那は商売に不熱心で、人形浄瑠璃など芸事にしか関心を示さない。また、吾平と同期の元丁稚がそのきびしさに耐えられず、みすぼらしい露天商をひらいているところに吾平が出くわす場面がある。こういう周辺人物の存在がわたしにとっては、ほっとさせないこともない。

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高見順『故旧忘れ得べき』

小説・エッセイ・戯曲
07 /08 2020
  昭和十一年(1936)に発表された高見順の最初の長編小説で「転向文学」と称される作品群のなかの一つ。登場人物は若い頃に左翼運動に関わったことがあり、そのことが三十歳を過ぎた年齢になっても影を落としている。それまでどう生きたか、現在どう生きているかが小関健児はじめ四人と彼等と同居する女性によって描かれる。
  彼等には旧制第一高校を経て東京帝国大学入学という共通の学歴があり、小説によれば高校で「社会思想研究会」なる組織に短期間ではあるが参加したことがある。作者高見順も同じ学歴であり、やはりその頃左翼活動の経験があるらしい。歴史的事実としては、昭和三年共産党はじめ反体制左翼組織が大量検挙された三・一五事件があり、翌年にも同様の四・一六事件があって、逮捕されないまでも運動参加者の大部分は離脱を余儀なくされた。
  小関ら登場人物の共通実感は、あの頃は理想に燃えていたということだ。理想という共有部分があってそこでつながりを持ちつづけることに心身が費消された。逆にいうと、個人個人による性格や出身家庭環境のちがいは問題意識には上らなかった。それは彼等のささやかな誇りにもなっている。だがバラバラになって社会に出てみるとそれを意識せざるをえない。小関健児はなかでは唯一の既婚者でようやく雑誌社への就職にこぎつけても安月給にへこまされ、さりとて辞めることもできない。松下長造は保険勧誘員で自らの仕事に羞恥心を抱いていて、同居する女性のマネキン・ガールの収入によって生活が維持できている。誰でもそうであるように、身過ぎ世過ぎにあくせくするのだ。反対に篠原辰也や友成達雄は実家が裕福であるために生活を直接心配することはない。篠原は「流行雑誌」を運営している。友成は職業がわからないが、篠原のところで働くのかもしれない。同期の非参加者のなかには特高警察の課長にまでなった男がおり、彼等の出世ぶりには引け目を感じている。 
  戯画的に、つまり転向者の実像にかなりの卑小さを加えて描かれる気がする。過去の運動とのつながりを捉えかえしたりする形跡は見られない。篠原や友成は離脱後新興芸術運動に嵌まって雑誌を発行してみずからの論文や小説を発表したりもしたが、長つづきはしなかった。つまり、四人は思想的探究を放棄した者として描かれる。だからというか、遅くまで実践に従事した者や組織そのものへの尊敬の念は変わらずつづいている。もう少し広げて左翼経験をふくむ学生時代全般への郷愁がある。快感的気分だ。左翼ということでかぎれば、左翼ではなくなったが左翼ファンでありつづけるのだ。自らはとっくに離脱しているのに、その目線に立って、あいつは堕落したなどと平然と罵倒して剛毅ぶりをみせる。これはわたしにも身に覚えがあって、高校時代に過激派の活動家であったが、離脱後十年くらいは某セクトへの親近感を当り前のように密かに抱きつづけた。(恥ずかしいが自己内部を整理できていなかった。しようとはしなかった)松下長造は非参加者でありながら左翼にかなりの親近感を持つ人で、裕福でないにもかかわらず活動家に飲み食いさせつづけ親分気分に満足して、料理屋に借金をつくり逃げ回った履歴がある。
  また、彼等の共通する欲望は漁食であり、それは高校時代から始まって現在にまで至っている。銀座のカフェの女給をくどいて同棲にこぎつけるのだが、長つづきはしないようだ。飽きたからか、他の女性に(女性もまた他の男性に)惹かれたからか、なにやら判然とはしないが強固な意志は感じられない。遊びといってしまえばそれまでだが、小関のような既婚者までそこに競争のように参加するのは、日常への不満・鬱憤を欲望を遂げることによって晴らそうとするからだ。それだけが即物的な希望にみえ、何とかなりそうに見えて、のめり込む。カフェの女性も平凡な生活に飽き足らず自由を求めて東京に出てきたので、男性との逢瀬に期待するのでハードルは低い。女性の自由奔放ぶりや我儘ぶりは彼等の同居生活のなかで描かれる。ここで描かれた女性は男にとっては大きいペットで、日常生活での不満や欲求を聴いてやり、根気よく対処して宥めなければならない存在だ。彼女等はどうでもいいようなことを、日常生活でのささいな不満をよく喋る。わたしは十分には理解できなかったが、高見順は一人ではなく複数の女性の意見や生活ぶりをよく観察しているなと思った。
  転向者の内外から言われる「挫折」「虚無」といった言葉に相当する深刻さは本作にはみられない。身過ぎ世過ぎ、わけのわからない空白感や自堕落な生活といえばいいのだろうか。だが末尾にきて、同期の運動参加者の澤村稔の自殺が知らされる。篠原らは虚を突かれた気になるが、小関は妻にその知らせを絶好の口実にして、篠原の同居相手の女に会うためにいそいそと外出する。ちょうど日曜日である。それはそれ、あれはあれということか。感心は勿論できないが、あえてこういうことを記さずにはいないのが本作の特徴だ。
  やがて後日、澤村の追憶会が開かれるが、小関や篠原、松下らは「澤村稔が自殺したといふ、さうしたきびしい現実から眼をそむけた(中略)市井のやくざものゝやうな不貞腐れた格好」のグループとして自然に形成される。座り方にその特徴が表れる。一方では死者への悼みを一見礼儀正しく示す「眉をキュッと寄せた顔を項垂れた風ではなく下へさげ、キチンとした坐り方で卓に向っている一群がみられた。」だが果たして、後者のグループが真摯な姿勢で自殺者に向き合うことになると作者はいうのだろうか、筆の中心がそこにはないので読者(わたし)はわからずじまいだ。澤村は獄中経験もあるが転向して久しく、小さな食堂を切り盛りする調理師としてようやく生活のめどがついたばかりで、その矢先に死んだ。遺書がないので原因がつかめない。「敗北」にはちがいないが、篠原らは自分たちの現在とその死をうまく経路を作ることができない、理解できないのだ。「敗北」として彼の自死をなじることなどできない。生活の途上の隙間に誘惑の手が死を差し伸べてきた。運動経験を引き摺りながらだったのにはちがいないが、篠原らはそこまでの空洞を覗いたことがなかった。篠原らが怠慢なのだろうか、人それぞれで資質のちがいに帰すべきか。左翼経験から十年以上経たなかでの同期の者の死はまさに虚を衝いた。
  同期、同時代を以後も引きずりつづけることを暗示して小説は終わる。「蛍の光」が参加者によって合唱される。イギリスの原詩には「古い友達を忘れることができようか」という意味がこめられているそうだ。

seha

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