FC2ブログ

ヘミングウェイ『老人と海』

小説・エッセイ・戯曲
05 /23 2020
  二度、三度と読んで爽快な読後感をえられた。
  自由とは何か。やりたいことを精一杯やりつづけることだろうか。勿論、自然や社会やらの環境の制約があり、人の体力にも限界があり、また生活を維持しなければならないので時間は無際限ではないが、そういう限界のなかでも機会にめぐまれればとことんやれるものかもしれない。また、やりたいことがあるからには、人であれ社会であれこの小説のように生き物であれ相手がかならず存在し、その相手と争闘しなければ、言いかえれば対話しなければならない、しかも後退しても余裕といえるものを心身にわずかに残しつつ。そこにはまた相手にたいする澄みきった愛情があるのではないか。そういった自由の空気をいっぱい吸い込んだ気になった。
  老漁師サンチャゴは八十五日間不漁つづきだが、また小舟を漕ぎだす。そこには執念や頑なさがあるのだろうが、それを露骨に感じさせない余裕や微笑が感じられる。何十年と海を相手にしてきて体力は峠を越えて久しいようだが、まだまだ余力がある。若いときには腕相撲の「選手」だったこともあり、また当然、漁師として大魚を釣ったこともある。作者ヘミングウェイは海や釣りが好きで、その知識と経験さらにはその愛情は堂に入ったもので、卓抜な描写力はサンチャゴとともに小舟に同乗している気にさせる。日がのぼり日が沈み、さまざまに表情を変える海の広大さのなかで鳥が舞い近づいてくる。飛魚が舞う。海面近くのクラゲの群れのうつくしさ。サンチャゴの(ヘミングウェイの)海への豊富な知識と経験がそのまま映像となって読者に開かれる。そしてついに嘗て釣ったことのない大魚が釣り縄に食いつく。あまり引きを強くすると大魚は体力に物を言わせて切ってしまうので大魚の衰えと海面への浮上を待って、縄を継いで伸ばし伸ばし、ときには引いて、何処までも大魚についていかなければならない。夜明け前に出港し二晩をやりすごして、大魚の不意の暴れに負傷させられたりしつつ、さんざんの格闘のすえやっとの思いで捕獲に成功し、殺して小舟の横腹に縄でつなぎ止め、さあと帰港をめざす。だが苦闘はこれで終わらず、体力の限界を超えるともいうべき第二の苦闘が待ちかまえている。
  海はサンチャゴにとって恵みをもたらす「女性」であり争闘一辺倒で獲物を捕獲するだけの相手としての「男性」ではない。その感性のほかの漁師とのちがいを彼は誇らしげに自覚する。捕獲した大魚もまた親しみある仲間であり、まるで相手が人で理解力があるかのように独り言ながら会話をつづける。会話は繰り返され、執拗だがくどさは感じられず、そのまま彼が海で過ごす習慣化された時間であるかのようで、これがまた彼に新たなエネルギーをもたらす。だからこそまた彼は大魚を「守る」ことに渾身の力を奮う。ときには気を失いそうになりながらの格闘で、まさに持てる力以上を吐き出すさまは、さもありなんと読者を無理なく思わせ、応援させる。「守る」ためには相手を殺さなければならない。そのありったけの憎しみに没入させられる
  書き遅れたが、彼が海の上でたびたび夢で見るライオン。彼をゆったりといい気分にさせる。
  職業における経験と熟練は大事だ。それがわたしたちを生かせてくれるが、それにもまして、サンチャゴは海への愛情を自覚することで彼自身を無自覚に幸福にする。彼には知識がないが、また人付き合いも上手ではないかもしれないが、それが何だろう。わたしにはこれほどの職業への愛情はなかった。サンチャゴを尊敬してやまない少年が始めと終わりに出てくる。彼が漁村で一目置かれていることを象徴する。
スポンサーサイト



seha

FC2ブログへようこそ!