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司馬遼太郎『燃えよ剣』

小説・エッセイ・戯曲
05 /06 2020
  新選組副長・土方歳三が主人公。歴史資料が土台にあるからそこにおおきな改変をくわえることはできないが、小説であるからには作者の創作や独自の解釈や思い入れがあるだろうが、司馬遼太郎は土方を徹頭徹尾たたかいぬく人間像として描きあげ、讃美するようだ。最後の五稜郭のたたかいにおいて、同僚の榎本武揚や大鳥圭介は籠城策をえらんだが、土方はそれを尻目にわずかな部下をひきつれて敵陣に切り込んで行き戦死する。土方は彼等の籠城策に降伏のにおいを嗅ぎ取ってそれを拒否し、あえて死を選んだのだ。このことだけをとっても彼がたたかいぬく人であることが見て取れる。
  土方の思想背景には何があるのか。士道、侠気などという言葉によって表現されるが、司馬はむしろそれが熟慮をへて成立したのではなく、出発点から変わりなく持続する欲望と姿勢、つまり武士になりたい、なったからには自分たちの組織を大きくしたい、敵を打倒したい、不利な情勢であっても自軍と自分の力を信じ、それを渾身でふるって逆転して見せたいという、欲望と姿勢にたいする律儀さ忠実さ貪欲さではないかとする。一面からみると浅慮ということだ。国家体制がいかにあるべきかという考察はまったくみられず、徳川方を暴力的に擁護する自身の行動がはたして日本国家に寄与するものか、そうでないかという判断すら入り込む余地がない。隊長の近藤勇でさえ天下国家を論ずる「政談」にかたむくきらいがった。幕府方上級武士との折衝の機会が多い近藤だから政談のかけらくらいは口に出さなければ格好がつかなかったのはやむをえないが、土方はそれさえ情勢判断が闘争心を萎えさせる恐れがあるとして危惧した。戦士は目前のたたかいをいかに練り上げるかに集中すべきだという。近藤から隊長の地位をうばおうとする欲求もなかった。武蔵多摩地方での十代のころからの友人であり同志である近藤を大将として立てる立場を堅持しつづけた。
  熟慮といえば土方のそれは、戦いの戦略・戦術にありったけ投入された。実践向きの喧嘩剣法である天然理心流の腕前においても土方は滅法強かったが、池田屋事件にみられるような斬り合いにとどまらず、幕藩戦力との合同下でたたかわれた一連の戊辰戦争においても冷静さと勇猛さをもちあわせて戦果をあげた。偵察が入念で、地図をわかりやすく書いて部下に説明した。十二、三歳のころから自分の家でつくる「石田散薬」の売り手であった土方は、その原料になる植物の収穫においてはやくも統率力を発揮したという。人の動かし方がそれ以来上手いのだ。また戦いの主武器が剣から銃火器に移行する時期においてもその呑み込みは早かったという。
  司馬によると徳川慶喜は自身が賊臣とよばれる足利尊氏に擬せられることを怖れた、近藤勇でさえそうだったという。だが土方歳三にはそんな憂鬱はなかった。土方はまた社交を好まず、仲間に対しても無口で不愛想だった。裏切りや逃亡にたいしても死刑・切腹の処分を科すことにためらいがなかった。もっともそれは彼自身が起草した新選組の規律であったのだが。
  小説はそんな土方の冷徹さ・残酷さを少しはやわらげようとして、同志で一級の剣の使い手で「天真爛漫」な沖田総司を土方の話し相手として登場させる。土方の沖田にたいする信頼は掛け値なしで、ゆったりとして心をうちあけ、饒舌になる。結核に倒れてからの沖田への支援も惜しまない。沖田は土方と読者のパイプ役を果たすかのように設定されている。函館まで土方を追いかけてくる「お雪」という女性の存在も異彩を放つ。女性に対する性愛を描くことで、その時間帯では、土方歳三という人は戦を忘れ、人情味があり他人を大事にするごく普通の人だったことを作者は印象付けようとする。



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seha

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