森鴎外「山椒大夫」「妄想」
>森鴎外母と安寿と厨子王の十代前半の姉弟、それに女中をくわえた四人連れが九州に流罪された父をたずねて北陸地方の海岸を旅する途中で、人買いにさらわれ母は佐渡へ、兄妹は丹後地方の石浦(現在の京都府宮津市石浦)にある豪族山椒大夫の館へ連れていかれる。姉弟は汐汲(しおくみ)、柴苅(しばかり)をさせられ、やがて年を越した春に、安寿の進言にしたがって厨子王は脱出を試み、成功して、最終的に佐渡にいる母にも遇うことができて物語は終わる。
過去にも何回か読んだが、遅まきながら気づかされたのが、厨子王をのぞく三人の死にたいする親近性ともいうべきもので、女中や母は普段から死を意識していて、奴隷的屈従が確定的に迫ったときにはためらいなく死をえらぶのだ。女中は船から海に飛びこみ、母も同じことをしようとして漕ぎ手の人買いに阻まれる。安寿も攫われてから若いながらそれを少しずつ意識しはじめ、ためこんで、やがて決意するに至る。安寿は厨子王の足手まといになることをおそれて脱出を諦めたようで、小説の冒頭で歩行の苦しさのはなはだしい安寿の様子が記されている。姉弟そろって焼印を押される同じ夢をみたあと安寿は沈黙しがちになり厨子王には不安が宿りはじめる。読んでいて不気味さと、それに神秘さえ感じずにはいられない。それに守本尊(懐に入れられるくらいの地蔵像)を後生大事にするのにみられる信仰心の篤さだ。四人は貴族階級の家族やその周辺者で、すべての平安時代の人が記したような属性を有していたのかはわからないが、とにかくも往時はそうだったのかと、現代とは異なる文化に触れたようで印象深かった。最終場面で目がうるんだのは以前読んだときと同じ。
「妄想」は鴎外のなかで重要作のひとつだろう。海辺の別荘に住む老人の独白という体裁をとるが、鴎外自身の人生や思想への思いを作為なく率直に語っているようにみえ、ほとんどエッセイである。
鴎外は陸軍軍医であるとともに作家・翻訳家でもあり、二足の草鞋を履きつづけた人だった。つまり類まれな秀才だったのだが、自足感は生涯えられなかったという。ベルリンで医学の勉学に励み、帰国してからの職業としての医者に従事してからもずっと医学(科学)が自己の奥底からの欲求によって選ばれたとの自覚がもてない。
始終何者かに策(むち)うたれ駆られているように学問ということに齷齪(あくせく)している。これは自分に或る働きが出来るように、自分を為(し)上げるのだと思っている。その目的は幾分か達せられるかも知れない。しかし自分のしている事は、役者が舞台へ出て或る役を勤めているに過ぎないように感ぜられる。その勤めている役の背後(うしろ)に、別の何物かが存在していなくてはならないように感ぜられる。策うたれ駆られてばかりいる為に、その何物かが醒覚する暇がないように感ぜられる。
後の部分では「自我」や「謎」という言葉が出てくる。べつに鴎外のような知識人でなくとも誰しも生存を確実にするためには何らかの職業をえらんで生活を安定させなくてはならない。しかしそれだけでは不満がのこる。もしも別の境遇にあったならどんな人生を歩めただろうという思いは誰しも抱くにちがいないが、空想や感傷ではなく、自分らしさ、ひいては自由や自我の確立を目指したい。職業の背後にある「別の何物か」を自身の手によって獲得しなければならない。世界の本源なるものに触れなければならない。少なくとも深く関りをもちたい。鴎外によればそれは思想や哲学の勉学を抜きにしては考えられず、その確立がひいては政治や社会の現状にもある見識をもたらすことになるだろう。げんに鴎外はベルリン時代以降、医学と並行してショウペンハウエル以下の哲学や宗教・文芸の探究にも打ち込んだ。だがその「謎」はついに解けなかった。いく人かの思想家にも賛同することはできなかった。「帽は脱いだが、辻を離れてどの人かの跡に附いて行こうとは思わなかった。多くの師には逢ったが、一人の主には逢わなかったのである。」
若い頃は記したような問題意識のもとにあってずいぶん焦燥もしたが、老人の今は、諦めはせず往時の夢は引きずったままであるけれども痛切さはなくなった。死を怖れることも憧れることもなく、人生の下り坂を歩んでいくと主人公は記す。他に目を引いたのは芸術上で「大きい作品」を生み出せなかった、それができていたならば現在に満足がえられたかもしれない、という記述だ。鴎外の自作品への不満が表明されているのではないか。
ショウペンハウエル以下の欧州の思想家への感想がちりばめられているが、わたしの手には負えない。