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大洋ボート

有馬哲夫『「スイス諜報網」の日米終戦工作』(2)

  45年4月12日のルーズヴェルトの死によって大統領職となったトルーマンは、カイロ宣言にすでに盛り込まれた日本に対する「無条件降伏勧告案」を引き継いで、議会においても同趣旨の演説を行なった。だが本書によると内心の迷いはあったようだ。トルーマンは、ルーズヴェルトがスターリンに約束したソ連に参戦を促すための満州権益や樺太、千島列島のソ連への譲渡を記した「ヤルタ密約」、さらに原爆開発が順調に進展していることを知ることになる。アメリカ兵の犠牲を最小化するためにソ連参戦路線を踏襲するか、それともソ連のアジア地域での勢力膨張をおさえるためにヤルタ密約の空文化に資する行動をとるべきか、また原爆を投下するかしないか、未曽有の政治選択がトルーマンにのしかかってきたのである。また、アメリカ国内世論も無視できなかった。天皇の処遇についての峻烈な意見が大半だったのである。45年6月29日付の「ワシントンポスト」の世論調査では

天皇の取り扱いについて
処刑             三三パーセント
裁判で決める         一七パーセント
終身刑            一一パーセント 
追放              九パーセント
日本を操作する傀儡にする    三パーセント 
その他・回答なし       二三パーセント
軍閥の道具だったので何もしない 四パーセント


となっていた。これが「民意」である。トルーマンにとっては、おいそれと「無条件降伏」(天皇制廃止を十分匂わせる)の旗はおろせない。
  本書を読んでわたしが光明を見出したのは、ダレスやグルーや陸軍長官スティムソン(但し、彼は原爆投下には賛成。第一候補の京都を目標にすることには反対)陸軍次官補マクロイその他の政治・軍事に携わる高位メンバーが「天皇制存置」を明示する有条件降伏をトルーマンに進言して、トルーマンは一時的にせよその方針に引き寄せられたことだ。そうすれば日本はかかる「有条件降伏」を受け入れてくれて、ソ連参戦も原爆投下も実現せず、またアメリカ兵の犠牲も最小化されるだろうから。グルーは大統領にはたらきかけて、次のような対日声明を五月三一日に出させようとした。トルーマンは興味を示したという。

  連合国の占領軍は、これらの目的(侵略的軍国主義の根絶)が
達成され、いかなる疑いもなく日本人を代表する平和的な責任ある政府が樹立され次第、日本から撤退するであろう。もし、平和愛好諸国が日本における侵略的軍国主義の将来の発展を不可能にするべき平和政策を遂行する芽が植えつけられたと確信するならば、これは現在の皇室のもとでの立件君主制を含むこととする。


  のちのポツダム宣言第一二項の草案にあたる。だがこの声明発表は翌日の高官会議(有馬によると出席者はグルー、スティムソン、ジョージ・マーシャル元帥・陸軍参謀総長、ジェームズ・フォレスタル海軍長官、ユージン・ドーマン(国務省でグルーの部下)ディヴィスOWI(戦時情報局)長官、サミュエル・ローゼンマン判事(大統領顧問)である)における議論で一旦は保留と決められた。
  この間の「無条件派」とグルーらの「有条件派」とのトルーマンを頂点にしての鬩ぎあいが本書ではたいへん詳しく辿られている。 有馬が肩入れするせいか、後者が押し気味に見えるだけに日本人にとっては残念きわまりないが、大胆過ぎる、あるいは政策選択を狭めることになると考えられたのか。トルーマンの意向もあらかじめ反映されていたのか。七月一七日からはチャーチル、スターリンとのポツダム会談が予定されており、トルーマンは一国単独での日本との和平交渉を進めることをためらったのか。あるいは日本が「有条件降伏」であっても条件をさらにつりあげたり、拒否・逡巡する可能性を捨てきれなかったのか、日本の反応が読み切れないことがトルーマンの熟慮のなかで引っかかったのか。(ダレスやグルーは日本の受諾がほぼ一〇〇パーセントと確信していた)それも考えられるが、同時にくだんの会議でのスティムソンの発言のように、原爆の完成がやはり大きいウェイトを占めたようだ。原爆を落とせば降伏が早まる可能性が大なので、降伏条件をわざわざこちらから下げることも無い。沖縄戦を上まわる犠牲者を覚悟しなければならない九州上陸作戦も実施しなくても済み、原爆の残酷な破壊力を示すことでソ連を怯えさせ参戦を防止することができるかもしれない。あとは原爆投下が先か無条件降伏勧告が先かという政策選択がトルーマンに最後までのこされることになる。勧告を先にしても発表してからわずかな日数の間のみその受諾のチャンスを与え、受諾がないならば投下する。トルーマンの路線はこのように収束して行った。

十三 吾等ハ日本国政府ガ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス


  ポツダム宣言一三項であるが「右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス」という文言は原爆投下を強く暗示する。天皇制存続方針や原爆投下をグルーやダレスは日本に知らせることはなく、したがって日本が事前に知るところとはならなかった。だがグルーやダレスは「無条件」が日本にとって如何に穏当な政策措置であるかを日本に説明することで、天皇制存続の大きい可能性を間接的に示すことで、日本の降伏を一日も早く実現させようとした。先に記したように、スイスのヤコブソンや加瀬俊一をはじめとする日本人との無線連絡のほか、グルー、ダレスと連携した海軍大佐ザカライアスの日本に降伏を呼びかける対日ラジオ放送が五月八日からワシントンのラジオ局で開始された。(東郷外相や天皇の知るところとなり関心をもたれる)曰く、降伏において軍隊は武装解除され軍部は壊滅されるが、日本国民の絶滅や奴隷化がなされるのではないと。(日本人自らによる平和国家の建設を推奨するポツダム宣言ほどの明瞭さはないがものの)さらには後続する放送や声名のすべてにおいて、天皇についての言及は一切なかった。天皇について何も触れないことが日本に不安と焦慮を抱かせつづけたが、逆にグルーらにとっては徹底して何も触れないことで、つまり懲罰云々を天皇にからめて言及しないことでその存続を日本側に推測してもらいたかったのだ。明言は国家方針への反逆にあたるのだから。
  グルーは七月二一日『ワシントンポスト』に「無条件降伏」という無署名記事を発表し、日本の政体選択の自由と領土の保全を保障した。(但し、満州や樺太や千島列島は除かれる、また朝鮮半島は独立を回復されるとした)とりわけその根拠を『大西洋憲章』にもとづくとしたことが日本を大いに刺激したと思われる。第3項には「三、兩國ハ一切ノ國民カ其ノ下ニ生活セントスル政體ヲ選擇スルノ權利ヲ尊重ス。兩國ハ主權及自治ヲ強奪セラレタル者ニ主權及自治カ返還セラルルコトヲ希望ス。」と明記されており、天皇制存続を日本国民の「選択」を前提としながらも保障すると読むことができる。また、憲章はチャーチルとルーズヴェルトの署名によるのだからトルーマンに引き継がれていると見做され、決してグルーの越権行為には当たらない。それまでのアメリカ側の声名や放送にさらにこの記事がくわわって、日本側は天皇制維持を強く推測することができた。また、ポツダムに同行したスティムソン陸軍長官もトルーマンに対して「二枚腰」をみせて、降伏交渉における日本への天皇制の保障の約束を進言していて、トルーマンも「心に刻んだ」ということだ。
  だが、時間が前後するが、七月一七日日本政府は「無条件降伏は決してしない、総力をあげて敵と戦う」と言明したとの情報が伝わって来た。(本書に頻繁に出てくる日本の暗号電報を解読した「マジック文書」による)。これによってポツダム宣言草案にあった「天皇制存置条項」は削除されることになる。アメリカを硬化させたのだ。
   七月二六日「ポツダム宣言発」発表。ここにきても今思えばの感想にはちがいないが、日本側はほんとうに愚図愚図している。正式の交渉相手はいまだにソ連であり、最後までその決定は覆らなかった。情報収集とともに降伏を進言するスイスの加瀬公使らは交渉権を政府からは得ていないのだ。七月二八日の鈴木貫太郎首相の宣言「黙殺」発言。これが原爆投下への絶好の口実とされたという見方もある。長崎原爆とソ連参戦の翌日の一〇日、日本から「宣言は天皇の国家統治の大権に変更を加うる要求を苞合しおらざる了解のもとに日本政府は之を受諾す」という電報がスイスの加瀬とスウェーデン公使の岡本季正(すえまさ)に打たれ、アメリカの間髪をおかず知るところとなった。原爆の大破壊を蒙りながら最後まで天皇の処遇にこだわるのは呆れかえってもいいくらいだが、政府の根本方針だからやむをえないのか。さらにこの回答文に対するアメリカ側の賛否や逆回答文の文案でもトルーマン以下の高官内部で意見対立があったものの、はじめて天皇の当面の処遇維持を明記した「バーンズ回答」を日本に通達した。(八月一二日)だが御前会議においても一二日一三日と阿南陸相らの反対意見があって結着せず、宣言受け入れが「御聖断」によって正式に決定したのは一四日である。一五日、天皇の玉音放送によって国民全員が終戦( 敗戦)を知ることになる。
  明治憲法下における天皇制体制を日本人はみずから壊すことができなかったばかりか、壊そうともしなかった。天皇の宣戦布告によって戦争ははじまり、玉音放送によって、つまり天皇の停戦命令によって、一部を除いて陸海軍の戦闘はぴたりと止まった。天皇の言葉は絶大であり、これはアメリカ軍の思惑どおりであり、日本人にとっては至極当然のことであった。
  トルーマンのソ連に対する対応の変遷が興味を惹いたので補足したい。ソ連参戦を実現させてアメリカ軍の損耗を減少させたい。それが大統領就任時のトルーマンがルーズヴェルトから引き継いだ政治方針であり自らの希望であった。しかし、七月になって日本のソ連にたいする和平交渉が公然となると、彼は焦ったかもしれない。つまりソ連が日本を抱きこんで降伏にもちこむと連合国側の主導権をソ連に奪われるのではないかと。それよりも直前の希望のようにソ連参戦のほうがましだ。だが原爆の実用化が日程にのぼると、原爆の威力をソ連に見せつけることによってソ連参戦を防止できるのではないか、つまりソ連のアジア地域での勢力拡大を封じることができるのではないか、とのより大きい欲が彼の中で芽生えた。原爆はアメリカ単独でしかも自国兵士の損耗なく日本を降伏に追い込むことを可能ならしめる兵器だから。またドイツの例をみてソ連を含む分割支配ではなく、アメリカ単独での日本支配をアメリカが理想としたから。また、アメリカが得た情報ではソ連参戦は八月一五日以降であり、中国との取り決めが完了してからでないと満州に南下することはないとの見通しをもっていた。だがソ連は一週間早く満州に雪崩れこんできた。トルーマンのあわよくばの思いは潰えた。

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有馬哲夫『「スイス諜報網」の日米終戦工作』(1)

  1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して降伏し戦争は終わった。同宣言には「無条件降伏」の文言が盛り込まれているものの、実際的には、天皇制の存続を日本側が条件とする有条件降伏であったことが今日における歴史研究検証の成果として結論づけられている。また15日直前の歴史的事件のスケジュールも知られているようにめまぐるしく、8月6日広島に原爆投下、9日長崎に原爆投下、同日ソ連参戦となっている。こうした一連の8月15日までにいたるまでの日程が、最終的降伏条件の内実とともに、外交折衝や日米両国における国内の政治的葛藤のなかで(ソ連も含めて)如何に決定づけられていったのかを逐次的にたどるのが本書である。つまり日米それぞれのトップの政治的決断がちがえば、戦争終結は早まった可能性があることを著者有馬哲夫は示そうとする。逆に8月15日よりももっと遠のいた可能性も。
  44年10月、レイテ沖海戦において日本海軍は壊滅的な敗北を喫し、アメリカ軍と互角に戦うことは不可能になり、絶望的な特攻攻撃をつづけるしかなくなった。翌年の5月にはドイツが降伏、6月にはアメリカ軍の沖縄占領が完了し、日本の敗北は時間の問題となった。この頃と前後して日本国家首脳において外務省、海軍の一部、天皇・皇室を中心にして和平(降伏)摸索の動きが台頭してくる。しかし一方においては陸軍を中心とする戦争継続派は依然としてその意志を貫徹すべく、妥協を排斥しつづけた。その陸軍もようやくのように降伏受け入れに傾くものの、天皇制存続とともに戦争犯罪者の裁判の自国主催やアメリカ軍の占領反対の条件をくわえ、天皇制存続のみを条件とする勢力とは真っ向対立の姿勢を最後まで崩さなかった。つまりは最終的には天皇の「御聖断」によってしかポツダム宣言は受け入れられなかった……。天皇は明治憲法下においては国家の法的根幹をなすものであり、現人神(あらひとがみ)といわれるように崇拝と信仰の対象でもあった。強制であれ自発であれ、天皇に一命を捧げるという名目のもとに死んでいった人々が多くいる。人々の死によって交換され生かされる生。その天皇の救命と制度維持をないがしろにはできないという国家首脳の当然の大前提を理解できないというのではないが。
ありえないことだが、もし「無条件降伏」を呑みこむようにそのまま受け入れていたら、戦後天皇はどういう命運に辿り着いたのかとわたしは思ってみる。今日明らかになったアメリカの占領統治計画からすれば、現在の天皇のありかたとそれほどの違いは無かった、生存と地位継続は可能ではなかったかと思えるのだが。というのも戦争における日本人死者の総計は300万人余りで、そのうちの50万人以上が45年の6月から8月にかけての3か月間に死去したといわれるのだから降伏がより早ければより多くの人命が救われたことは明らかで、天皇一人の命と地位保障が、降伏が遅くなった日数分の多数の人命と引き換えられたのだ、と記しておきたい。
  国家首脳は「無条件降伏」案をあまりにも杓子定規に解釈したのか。そうかもしれないが、彼等はその中身をより正確に知りたがった。天皇の地位に眼をつむって降伏することは国家反逆罪に相当するといっても過言ではないだろう。
  しかし、それならばそれで何故アメリカとのトップ交渉を設定しようとはせず、ソ連を仲介役とする米英との和平交渉という今日から見れば愚かしい決定をしたのか(5月14日、秘密裡の最高戦争指導会議で内定、6月8日「時局収拾ノ対策試案」で正式決定。有馬によるとこの日以降、天皇は和平を見据えるようになる)戦いの真最中のアメリカに対して日本の上位軍人か大臣クラスの人を全権として本格交渉に臨ませればよかったのではないか。アメリカとの直接の交渉が国内で弱腰にみられることを、さらには陸軍の反対や反乱を怖れたのだろうか。天皇が賛成の意思を示したこともソ連との交渉を後押ししたようだ。とにもかくにもアメリカとの直接交渉は国家首脳間で合意されなかった。しかしながら、ソ連との交渉といっても日本側から和平条件を明示せずに、もっぱら相手の腹をさぐる体で、佐藤駐ソ大使とモロゾフ外相、広田広毅とマリク駐日ソ連大使との二つの会談においても何ら成果はなかった。ソ連は対日参戦をすでに決定済みだったので冷徹に沈黙を守るしかなかったし、またソ連からのインテリジェンス収集網も日本には皆無だった。(ソ連のドイツ降伏の3カ月後に日本戦参戦の情報はヨーロッパ各国大使館からの入電があったものの、日本政府においては未確定とされた。参戦以前のソ連は「中立国」と見做されていた)それに比べると、スイス公使加瀬俊一(東郷茂徳外相の秘書とは同姓同名の別人)を中心とする国際決済銀行幹部のスウェーデン人・ヤコブソンを中継点としてのアメリカへの連絡ルートのほうがより機能したとみえる。この連絡ルートもアメリカの腹を探る体以上ではなかったものの、アメリカが当の情報網以外の手段も使って情報を小出しにしてくれたのだ。
  アメリカの腹づもりとしては大勢は天皇制存続だったようだが、それを日本側に最後まで明言することはなかった。日本側の打診は執拗で、ヤコブソンや彼との連絡網を構築中のアレン・ダレスをうんざりさせた。個人的見解でもせめて聞かせてくれと日本側は懇願したが、ダレスは勿論沈黙した。ダレスはOSS(戦略情報局・大統領直属の諜報機関)スイス支局長として42年1月10日から45年5月28日までベルンに赴任、45年7月占領地高等弁務官となりドイツのヴィースバーデンに赴任。6月の一時帰国の期間においてもヤコブソンやスイスに居住する私的秘書のゲフェルニッツと連絡を欠かさず、アメリカ国内においても国務長官代理のジョセフ・グルー(ダレスの国務省時代の上司に当たる)とも日米戦争に関して話し合いを密にしていた。
  有馬哲夫によってスイス在住の重要関連人物として挙げられているのは他に、日本側では岡本清福(とみ)陸軍少将・スイス公使館付武官、西原市郎海軍大佐・同武官、藤村義朗海軍中佐・同武官、北村孝治郎・横浜正金銀行社員でのちに国際決済銀行に出向、吉村侃・国際決済銀行社員、朝日新聞では笠信太郎、笹本駿二、田口二郎。外国人では亡命ドイツ人のフリードリッヒ・ハック、(元ナチスの武器商人でOSSエージェントでありながら日本とも協力関係にあった)亡命ドイツ人でダレスの私的秘書のゲロ・フォン・シュルツ・ゲフェルニッツ、である。
 
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黒岩重吾『飛田ホテル』(2)

  黒岩重伍は若い頃、天王寺・釜ヶ崎地域に棲んだことがあるそうで、そこでの体験や見聞が作品に生かされている。下層の人々の生態が、こんなことが本当にあるのかという具合に読者をあきれさせ、同時に、そこで精一杯に生きて、脱出願望を実現させようとする特に若い女性の執念が、通俗性をまじえて描かれる。
  「隠花の露」は典型的な篇。子供は親を選べない。周囲の環境もふくめてそうだから親の影響を好かれ悪しかれ被る。成長するにつれて親への反発心が芽生えてくるものの、子供ならどうしても親の庇護を受けなければ生きていけない。そこがジレンマだ。縁子は、母・清美の愛人であるタクシー運転手の佐村が昼間アパートを訪ねてくると、隣室へ移動しなければならない。清美が肉体を売ることによって一家の生活がかろうじて成り立っていることを縁子は知っている。そこは安アパートの一室で、アパートの住民が清美のあからさまな声によって集まってくるので、縁子はトランジスタラジオのボリュームを上げさるをえず、廊下を見張ることもする。縁子には恵美子という姉がいて、中学を出ると男をつくって家を離れるが、男と別れたときには家に戻ってきて、男ができればまた出ていくという繰り返し。そんな姉妹と関わるのがアパートの大家の種村で、なんとコールガール組織の元締めをかねていて、姉妹に声をかけて客を紹介するのだ。こんなことが実際にあるのか、と疑いたくなるが、やくざ組織がしきる売春よりも比較的自由でいられるという。
  縁子は工場や喫茶店勤めもするが、家に金を入れなければならないので足りず、種村の誘いに乗ってしまう。売春に抵抗感がないことが姉妹の特徴のようだが、縁子は男やセックスが格別好きということもなく、どうやら結婚資金をためるための身近な手段でもあるらしい。恵美子のほうが先に堅気の工員との結婚を実現するのだが……。
  「虹の十字架」は前半が「隠花の露」と類似していて、ヒロイン浅香の継母の康江は「隠花」の清美とまったく同じく男狂いで、アパートに男を頻繁に引き摺りこむ。しかも夏の盛りには浅香に「五百匁(1875グラム)の氷」を買わせてきて、セックスの最中も部屋に居させ、ことが終わった後氷水にひたしたタオルで二人の身体をすみずみまで拭かせる。このときにかぎって康江は浅香に異常なまでに暴力的になって、浅香を従わせる。康江は浅香が二人から目を離すことをさせない。「何時か浅香は、汗が眼に入っても、まばたきをしないようになっていた。放心したような霞んだ眼を一点に据えている。」これも本当かいなと疑わせなくもないが、迫真性はある。浅香にたいしては直接の心理描写ではなく、こうした外側からの印象で描かれ、以後も黒岩は主にこの手法で浅香を追う。浅香は他人とのつながりをもとめることにかけては一途で、その分、成長するにつれて失意も味あわされる。浅香は浮浪児で継父の印刷工・弥吉に拾われた。弥吉は真面目で勤勉一辺倒で浅香を可愛がったが、その反面康江の行動を勘付いてはいたものの別れることはなく過ぎる。その理由はわからないが、康江が急死してから浅香の風景はがらり変わる。弥吉との関係は良好で、読者からみればツキがまわってきたとみえるが浅香にとっては虚ろさを引きずることに変わりは無かったようにもみえる。結婚にもまして、人からの愛情に飢えた女性の像が浮かびあがる。
  「女蛭」は唯一下層民の話ではない。女性の一人の男性に対する薄気味悪い執念が描かれる。百貨店部長の国本は同社会長の娘と結婚しており、順調にいけばさらに出世しそうな勢いだ。だが、愛人の君子が殺害されたことで身辺があわただしくなる。
  堂本しのぶという女性が怖ろしい。国本が独身時代に愛人であった同社の女で、彼の結婚を期にして別れることになった。しのぶは別れには同意したが、以後愛人をつくらないこととと、自身が会社に務めつづけることを国本に約束させた。十五年前のことで、いまだにしのぶは会社に居て、以後男関係は無く独身の身で国本を監視しつづける。社員数が多く、同じ部署ではないが情報収集くらいはできるだろう。わたしからすれば、そんな約束なんてどうでもよく、さっさと結婚するならして自らの幸せを掴むべきではないかと突っ込みを入れたくなる。だがこの女は国本を監視することが、「正しい道」を国本が歩むのを見届けることが生きがいとまで云うのだ。かなわないな、こういう人居るんだ。理解できない。いびつ化した愛情というべきか。読者の予想どおりに彼女は君子殺害の件に噛んでくる。




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